吹雪。
とはいえそこまで積もらず。
年末年始に来た2本のうちの1本を1日早く納品。
あとの1本も90%終わってて、あとで1時間くらい使って仕上げたら終わり。
明日明後日は完全に休める。


新年早々、
このひとまじでぶっ壊れてるな、と思うことがあり、物申したい気持ちでいっぱいなわけなのですが、今年は「悟り」をテーマに掲げていこうと思っている所存ですので、何もかもをぐっと呑み込んでいる。
いや悟ることなんでできるわけがないんだけど、受け止めきれない何かが起きたときに頭の片隅に悟りを置いておこうとは思ってて、それで少しは早くフラットに戻すのが早くなるかな、ということで。

そんなこんなで昨夜、お風呂の蛇口がぶっ壊れた。
ここのところパッキンがやばそうな気配をうすうす感じてたのでわたしは注意して開け閉めしていた。
年末年始の休みのときに水が止まらなくなるとか、それだけは避けたいと思っていたので。
でも、うちでお風呂に入る人間はわたしだけではないので、じぶん以外の意思を操作することはできないわけで。
などと思っていたら案の定、案の定やられた。
「ちょっとー、水が止まらないんだけどー」

( ˘ω˘ ) 悟り。



人間は考える葦である。
という言葉があるけど、考えない人間はすなわち葦、とみてよろしいですか。
いやひとのこと言えたあれじゃないので、そこにはわたしも含まれるということは重々承知している。
承知したうえで、ひとにそう思うことはある。

パッキンくらいならわたしでもがんばれば換えられるのでは、と思いネットで調べてみたけど、まず工具がないと気づき、ホムセン行って工具とパッキンの型番調べて買ってじっさい作業しての工程を考えたら、知り合いのプロに任せたほうが早いと悟ってやめた。
まぁでも次また壊れたときのことを考えて工具くらいは揃えておいたほうがいい、ということはわかった。


一昨日は夕方とつぜん友人から連絡があり、ずっと会いたいと思っていたので、仕事をばっさりやめて、いそいそと出かけた。
会おうと決めてから出かける準備をしたのに、落ち合うまでたいして時間がかからなかったので驚かれた。

話したいことが溜まりすぎて、ぜんぜん時間が足りなかった。
いつ会っても変わらずひたすら笑って話せる友人がいてくれることに改めて気づかせてもらえたし、ありがたい存在だよ本当に。
まぁ相変わらず変人ぷりがすごかったけど。
おもしろいひとだ。
このひとと話してると、たまに支離滅裂さを覚えることはあるけど、確実に意志があって言ってるんだなと思ったりする。
したいことはする。したくないことはしない。
誰かに薦められたからってじぶんに不要なものは要らない。
付き合いとか流れとか、そういうものは気にしない。
こう書くとすごく取っ付きにくいひとみたいだけど、人当たりはすさまじくいいというところが謎だ。
わたしとは全然違う性質の塊を持っているひとなのに、なぜか、20年仲良くやれてることも謎。
まぁ友達ってそういうものなのかな。


ここ数日、出かけるときに必ず通る幹線道路から見える某事故現場。
初日の物々しさは初めて見る光景すぎて、人だかりもすごくて非日常感で溢れてたけど、今日はもう閑散としたものだった。
ここからはもうただの工事現場と同じように、淡々と片付ける日常と化すんだと思いながら通りすぎた。
そこに当事者として関わってしまうことになった人々はそんなこと言われたらたまったもんじゃないだろうけど、人々の関心なんてそんなもんだよな、などと。
いつだってなんだって、当事者以外にとっては他人事で、もうここは無感情で通りすぎるだけの場所なのだ。

いろんなことが起きて、いろんなことを考えて生きるひとがいて、その反面なにも考えず、もしくはじぶんのことしか考えられずに過ごすひともいる。
当たり前なんだけど。

お前は葦でしかないなんて、ひとから思われて生きるのだけはいやだな。

しかし昨日からそこそこ頭痛がひどい。
瞼まで内側から圧迫されてる感覚。
きっと気圧のせい。
鎮痛剤飲んであったかくしよ。



そういえばふと見かけたツイートに、なかなか大きな疑問を抱いた。


これを美談にするひとの多さにも驚く。
書いたひとがどんな境遇でシングルなのか知らずに勝手にこっちが負の感情を抱くのはフェアじゃない気がして、少しだけプロフィール的なものを見てみたけどどこにもそれがわかりそうなことは書いてなかったので、この文章だけでわたしが判断したとしても文句言われる筋合いはないな、ということにした。
まぁ赤の他人だし、そういう価値観のひとがいるというだけなんだけど、確実にモヤモヤはする。それだけ。