私、風邪なのよ
義母と義父の所に行ってから1週間後の夕方、「容態が悪いので家族で来てください」と病院から電話。
慌てて義母に知らせると、「私も行かなきゃ行けない?私風邪ひいてるのよ。熱が出ちゃって。」と言葉が返ってきた。
私は叫び出したくなるのをこらえ、「お義父さん危篤なんだよ。危ないかもしれないんだよ。」話しながら涙がこぼれる。
「だって私、自分の体が大事なのよ。」
無理。もうこの人と話す力が出ない。
私は黙って部屋を出た。
夫もすぐ帰ってきて、義母を説得しどうにか連れて行くことができました。
病室に入ると看護婦さんが義父の向きを変え少しでも楽な体制になるようにしているところでした。
いたい・・と苦しそうにでもはっきりと訴え、「うん、いたいね、いたいよね」と看護婦さんが腰をさすってくれ、しばらくすると眠ってしまいました。
夫は主治医に呼ばれ隣の部屋へ。
「何かあったら、すぐ呼んでください。」と言って看護婦さんも出ていきました。
そして、「私はロビーにいるから。」と義母はさっさと病室を出てしまった。
結局、私と娘だけでした。義父を看取ったのは・・・・・
顔や手がピクッと動いてたのにだんだん動かなくなって、そのまま眠るように息をひきとりました。
あまりに突然のお別れだったのでとても現実に起きてる事とは思えませんでした。
死とは生とは不思議なものですね・・
さっきまで苦しんでいたのに、体だけ横たわってココロはどこにいってしまうんだろう・・。
看護婦さんが体をきれいにしてくれている間、消灯が過ぎ薄暗い中、みんな静かにロビーで待っていました。
少しすると
ね~まだ帰れないの?私熱があるの。先に帰りたい。」「と言い始めた。
仕方が無く、葬儀屋さんに義父を安置してもらうので先に帰って部屋を片付けてもらう事にした。(義母の部屋はものすごくちらかっています)
それから2時間後、義父と家に戻ると義母はグーグーいびきをかいて爆睡中。もちろん部屋も片付いていない。
「お義母さん、どうして寝てるの?」声を荒げて起こす。
義母は寝ぼけ顔で「そうだったわねえ。うっかり寝ちゃったわ。」と平然と答えた。
義父が亡くなって4時間後のやりとりです・・・・・・・はぁー
病院での仕打ち
病院には義母の車で30分で着きました。
病室に入ると義父は眠っていました。2,3分程様子を見た後、水を取替えに行こうとしたら、「私は車で待つてるから」と言いだした。
うそーっ 「今来たばかりだよ、もう少し居てあげて。」 と言うと 「何もする事ない」とブツブツ。
義母の事はほっといて娘と洗い場へ行き、数分して戻ると義母が廊下にいる。
「部屋に入らないほうがいい。今吐いたから。」 まるで人事のように話す。
慌てて中に入ると看護婦さんが「大丈夫、急に起きたから気持ち悪くなったのね。」と話してくれました。
義父は苦しそうでしたが薬が効いてるのかまた眠り始めました。
その頃の義父はモルヒネを大量に使用していましたが、それでもあまり効かなくなっていて、幻覚の中で痛みと闘っていました。
眠っている時が僅かに楽になれる時でした。 それなのに、義母はものすごい大きな声で
「パパー何かやる事あるのー」 と と起こしたらしい。
酷い事を・・・・・・
辛くて悲しい気持ちで病院を後にしました。
義父、入院 義母、「毎日暇」
義父が動けなくなり入院している時のこと。
週に4,5回病院に通いました。
朝家事をすませ、下の娘(2歳)を連れて電車で1時間かけ通い、息子(小1)が下校する前には戻るのであまり長く付き添う事ができませんでした。
もっともっと通えばよかった、何もしてあげられなかったと後悔ばかりです。
義父が亡くなって丸2年が過ぎましたが義父の病気や死についてまだ、書く気力がありません。振り返るのが辛いのです。
その頃義母は毎日テレビを見てました。それと買い物。
私が病院に誘っても行かないくせに、「暇だー暇だー」と連呼。
何十年も連れ添った夫が痛みや吐き気に苦しみ、幻覚も出てきているのに・・・悲しくなった。
最初は弱っている義父を見るのが辛いのかと思った(思おうとした)が違うようだ。
「行っても何もやる事がないし、用も無いから」だそうだ・・・・・・・・・絶句
気をとり直して義父に会いに行こうと説得。
入院してから3週間ほどしてようやく連れて行くことができました。
優しいのも考えもの?
義父は短気なところはありましたが気持ちの優しい人でした。
子供をとてもかわいがってくれました。本当に感謝しています。毎日何時間でも子供と遊んくれました。
その上家事もこなし,義母のさまざまな欲求にも応えていました。
義母はやってもらって当たりと思っているので、なんの感謝もしてなかったし、逆に義父に対して口うるさいとか細かいとか文句ばかりでした。(当たり前のことしか言ってないんですけどね)
義父の優しさが義母の我がままに拍車をかけていたと思います。
1人息子である夫も義母には甘く(って言うかもそれが当たり前で育っちゃった感じ)、結婚して間もない頃、世の常識はこの家では通らないと実感。
それでも正義感の強い?優しい?私は目に余る義母の言動に対してそれとなく自分の意見を言った事もありました。
私にすれば本音で話せば分かってくれるかも、家族がもう少し良い関係になるかも、という考えだったけれど甘かった。
その後、その行為が更に義母との関係を悪化させ、私を悩ませる事になってしまうとは・・・
事の始まり ③
今まで、義母の言動に対して腹を立てたり悲しんだりと色々あったが、何とか表向きはそれなりにやってきた。義母の事を良く思おうと努力もしてきた。
しかしこの日を境にその努力は私に今までの何倍もの苦痛とストレスを与えた。
今なら、もっと割り切って考えれば良かったのにと思うのだが、不器用な私は考えも付かなかった。
心の中で険悪する気持ちと、夫の母なんだから悪く思ったりしてはいけないと思うふたつの気持ちで苦しんでいた。
事の始まり ②
勿論、2人のケンカは今始まった訳ではない。毎日怒鳴りあいのケンカを、何十年と続けているらしい(親戚談)
その頃のケンカの原因第1位は、義母の買い物
とにかく量が半端じゃない。八百屋に行けばいちごを8パック、特大バナナにみかん1箱を1度に買ってくる。
毎日買い物に行くので野菜も魚も乾物も冷蔵庫や棚の中にあふれ、ゆかもテーブルの上も物に占領されている。
食べきれず捨てられていく食料品に心が痛む。二世帯の私達が貰っても太刀打ちできない。
反対に少し買って少し食べればよい義父、何度言っても大量買いしてくる義母に頭を抱えていた。
まだ元気だった義父は料理以外の家事をほとんど行っていたので、それらの始末も義父がしていた。
その頃の私は、こんなに買ってきて義父も大変だな、と思うくらいだった。
そんな時のケンカでの一言だった。
しかし元気とはいえ、余命1年と言われた人に向かって言える言葉か?
私は耳を疑った。
でも、この日の事はこれから起こる悪夢のような数年の序章に過ぎなかったのだ。
事の始まり ①
同居していた義父が病気に倒れ帰らぬ人となった。
私は義父を看取ったら家を出たいという思いを消せずにいた。それを踏み留めていたのは子供達の存在と、田舎の両親に心配かけたくなかったから。
元々、義母とは性格が合わなかった。お金 や物欲が強い義母と、精神的なものを重視している私。
それでも最初はなんとかがまんできていた。
しかし、どうしても許せなかったのは病気の義父への態度。
2人がケンカしていた時義母は、余命1年と宣告された義父にむかって、
「いつも私に食べすぎだ、飲みすぎだって怒ってたけど、健康を気にしてたあんたが病気になってるよ。」
と勝ち誇ったように言い放ったのだ。
ブログを始めた訳
同居していた義母の様子があきらかにおかしいと思い始めて1年がたち、その義母も入院しようやく少し落ち着いた日々、でも癒しきれない傷、行き場のない思いをブログに書き綴る事で気持ちの整理をしていきたい。
