3回生の戒能ひなたです。韓国によく行くのではなく、実際は1回の渡韓がやたら長いだけと訂正しておきます。回数でいえば、余裕で片手に収まります。
昨年のブログが、マネージャーとは縁遠い私しか知らない地元の同級生に読まれていたことが、最近になって判明しました。ものすごく恥ずかしかったので、今年は見つからないことを願っています。
昨年は「結果」と「過程」というテーマを、自分なりに解釈してブログを書きました。今年のブログでは、「慣れ」という言葉について、最近考えることを少し綴ってみたいと思います。
たびたび経験して常のこととなったり、平気になったりすること。また、たびたび行ってそのことに熟達すること。「慣れ」を辞書で引くと、こんな説明が載せられています。慣れには、おそらく「いい」慣れと、「悪い」慣れがあるのだと思います。
"順応"としての慣れは、おそらくいい慣れにあたるでしょう。マネージャーとして入部してから3年目になり、今ではリードする立場になる機会も増えました。普段の業務に関しても、戸惑うことはほとんどなくなり、次に必要になりそうなことを先回りして行動できるようになったと感じます。また、後輩に教える場面も増え、入部当初の自分と比べて少しは成長できていると実感することもあります。
一方で、業務全体を把握できるようになったからこそ、やるべきことがルーティン化されていくことへの不安も生まれました。これはいわゆる"中弛み"とも言える悪い意味での慣れかもしれません。実際、普段の練習では、これまでと同じ作業をそつなくこなしていれば、いつのまにか練習が終わっています。もっと言えば、「やっているように見せる」こともできてしまいます。大学入学までに経験した部活動においても、こうした「惰性でこなす時期」が必ずあり、その度に後から後悔してきました。だからこそ、3年目の今年は、自分を律する力がより一層求められるのではないかと感じています。
そしてもう一つ、いいとも悪いとも言い切れない慣れがあります。それが、"感謝されないことへの慣れ"です。3年目にもなると、仕事の多くは「やって当然」のものになっていきます。わたしの体感ではありますが、「ありがとう」という言葉を耳にする機会は明らかに減りました。1年前ブログでは、わたしは誰かのためになることがやりがいの1つだと綴りました。その気持ちは今も変わっていません。ただ、そのやりがいの拠り所が、他者からの反応ではなく、「自分の中の満足感」へと少しずつ移り変わってきたように思います。"慣れ"に甘えるのではなく、慣れたからこそできることに目を向け、形にしていける一年にしていきたいです。
次回は公立大サッカー部トレーニー代表の高城卓真です。筋肉と優しさのハイブリッドの彼のブログにご期待ください!