この世の中に
定義付け
できないものなんてない。
と思っていたの、
先週までは。
「生理的に無理」
の定義も、
数々の事例を上げて
議論を重ねれば、
必ずゴールがあると
思っていたの。
でもね、
できないかもしれん。
私は本物の
「生理的に無理」に
出会ってしまったかも…
私はこの
「生理的に無理」
に出会って、
最初に違和感を覚えてから、
2年以上の歳月を費やした。
この違和感はなんなのか、
どう受け止めればいいのか、
受け入れるには
どうしたらいいのか。
むしろこの違和感に
積極的に出会おう。
そのうちに何か
見えてくるものが
あるかもしれないから。
そう思った私は、
この違和感を
どうにかこうにか
言語化して
具現化して
受け入れる努力をした。
でも無理だった。
受け入れられなかった。
私の「生理的に無理」は、
ちょっと珍しい
パターンのようで、
人に対してではなく
人が演じるモノに対して
発動しました。
カタカナで表現した理由は、
本当に得体が知れないから。
「生理的に無理」の本体が
どこにあるのか
わからないから。
その演技自体を指すのか
それとも
演じているときの
その人を指すのか
はたまた
演じられた対象が
実在する場合は
その対象を指すのか
それすらも
わかりません。
とにかく、
この議論は
まだまだ続きそうです。
私の人生をかけても
答えが出るかどうか
まだわかりません。
あっ、
もし誰かが
「生理的に無理」における
定義付けの議論を
開催するのなら、
ぜひ私も
有識者として
参加させていただきたく存じます。