失恋って、

ほんとつらいですよね。


本気であればあるほど、

心が引き裂かれるような

本当につらい痛みを伴い、

何ヶ月も立ち直れなかったり。


私は一番辛かったとき

3ヶ月泣き倒しました。


ひとりになる車の運転中、

夜お布団に入ってから、

ひたすら泣いてました。


今思えば笑い話だけど、

そのときは本当につらくて、


自分を客観視する

余裕なんてなかったです。



でね。



失恋がなんでこんなに

つらいかというと、

ちゃんと理由があります。


失恋は、

ただ好きな人を

失うだけじゃないんです。


自分自身の

アイデンティティも

一緒に崩壊します。


だからこんなに

つらいんです。



自分自身の

アイデンティティのところ、

もうちょっと

ちゃんと説明します。



そもそも

アイデンティティとは、


「自分がどんな人間か」

ということを

自覚して認める

ということなんだけど、


じゃあ具体的に

どのようにすれば

「自覚して認める」

ことができるかというと、


「他者比較」

なんですね。


学生をイメージすると

わかりやすいんだけど、


自分はどんな学校に通っていて

どんな部活動に所属していて

勉強はどのくらいできて

どんな役割を担っていて、


そして、(ここからが大事)

クラスにいろんな子がいる中で

特にどんな子たちと仲良くて

どんなことが好きで

その子たちと何をして

遊んでいるのが楽しくて…


とかっていうのを

深めていくと、


自分という人間が

どういう人間かが

少しずつ具体的に

なっていくでしょ。


こうやって

自分という人間を

認識していきます。



「我思う、ゆえに我あり」

的なことを

おっしゃってた人

昔いましたが、


そんな崇高な

アイデンティティの

形成の仕方をする人は

基本的にいません。


だいたいは

他者との比較によって

自分を確立するんです。



それで、

今の話を一言でまとめると、


「人間関係から

アイデンティティを見出す」


と言えるわけなんだけど、


その、

人間関係の中で

重要ポイント高いのが、


「異性において

誰と付き合うか」


なんですね。


友達は何人もいたり

増えたり減ったり

いろいろするけど、


付き合う人ってなると

一人だけ。


しかも、

自分も相手も

お互いに好きっていう

関係じゃないと

成立しないしね。


だから、

誰と付き合ってるか

っていうのが

自分のアイデンティティの確立に

ものすごく影響力を持ちます。


失恋してしまうと、

その人を失うだけじゃなく、


自分のアイデンティティを

確立させている要素のうち

ひとつの重要な

大きな票田を占めるものが

なくなってしまうということ。


単なる

「人間関係の喪失」

だけにとどまらず、


自分自身が揺るがされる

大きな出来事なんですね。


だから、

恋人を失った喪失感

プラス、

自分のアイデンティティを

失った喪失感、


自分はどういう人間か

これからまた

見つけに


恋人に対して

アイデンティティの

構成要素としての

依存度が高かった人ほど

この喪失感は大きいですが、


そうじゃなくても

誰でも喪失感は感じます。


だから失恋って

自分の心が

真っ二つに

引き裂かれるくらい

辛かったりするんですね。



でも大丈夫。


人はずっと

ひとつのところに

とどまってるってことは

ありませんので。


何かの形で

前に進んでいって

成長していくものです。


なので、

出会いや別れは

必然なんです。



つらい別れをしても、

本当に縁のある人とは

また必ず再会します。


しかもそのときは、

以前と比べて

お互いに成長してるので

もっといい関係を

築けるようになります。


そのために

一時的に必要な別れも

あったりするんですね。



神様はいたずらです。


でも、

そのいたずらのおかげで

私たちは

本当に素晴らしい

世界を見ることができます。






てゆーか、

今の話を踏まえて

改めてよく考えたら、


思春期の学生に対して

教育現場では


アイデンティティを

確立しろってゆってみたり、


人と比較しちゃだめって

ゆってみたり、


まあなかなか矛盾したこと

ゆーてますわな。


そりゃ混乱するわ。


でも、

とっても大事なことを

してることには

変わらないから、


教育現場という

守られた狭い世界で

それを1回

経験しとくというのは

ありですね。