話は前の彼と別れるところから
始まります。

私はその彼と、

本気で結婚すると思っていました。
そのために苦しい思いまでしていました。


そのために、
いろんなものを犠牲にしました。

知らないうちに
いろんな人を傷付けただろうし、

いろんな人がくれる優しさに
ずっと気付かずに、

ずっと苦しい道を選びました。

それは通過点であって、
仕方ない犠牲だと
ずっと信じていました。

苦しい時点で気付けばいいものを、
いらないところで

粘り強かったのです。

っていうと、
ずっと苦しい時間だった
みたいな聞こえ方しちゃうけど、

もちろんそこに幸せはあって、
毎日本当に楽しかった。

ひとりじゃ絶対

できないような経験を

たくさんさせてもらった。


いろんな人に

会わせてもらった。


いろんな場所に

連れて行ってもらった。


いろんな美味しいものを

食べさせてもらった。


本当にいろんな景色を

みさせてもらった。


そこは、
モノの豊かさに溢れていた。

私はそれを、

本当に幸せだと思っていた。


こんな素敵な人生になるなんて、


私はやっぱり

特別な人間なんじゃないかと

思うくらいだった。


そんな幸せを、
ずっと手放せずにいて、
ずっと執着していた。


果たしてそこに

本当の愛や幸せが

あったのか。


説明しようとすると、

二段階になる。


そのときの私が感じられる

最高の幸せが

確かにそこにはあった。


でも、

私の魂が本当に求めていた

本当の愛や幸せは、


そこには

なかったんだと思う。


だけど、


もし私が

この経験をしなかったら、


私の魂が本当に求めている

愛や幸せが

どんなものかに

気付くことは


絶対にできなかった。


幸せを掴むには、
苦しみや我慢や犠牲が
必ず伴うものだと思って、

これを乗り越えた先に
幸せがあると信じてた。

それは、

ある意味正しかった。




すんごい酷い別れ方をしました。


あのとき助けてくれた
周りの人がいなかったら
自分はどうなってたんだろう。

でも、その経験がなかったら、
今の自分はどうなってたんだろう。

今となってはそっちの方が
よっぽど怖い。


喉元過ぎれば
ってやつかもしれないけど、

私にとって
必要な経験だったんだなと。

今なら素直に思えます。


まだ付き合っていたときに

「この苦しさを乗り越えたら」

と思って向き合っていた苦しさとは


比較にならない程

大きな苦しさがあった。


あの頃、

自分は苦しさに向き合ってる

と思ってたけど、

全然違った。


大きさも

形も


そして、

乗り越えたときに得られるものが


全然違った。



でも、

毎日泣きながら、

なんとかそれを乗り越えて、


つらさも

苦しさも

悔しさも悲しさも


そしてこんな自分自身も、


まるごと受け入れることが

できるようになったときの自分は、


比較にならない程

大きな幸せを感じていた。


その頃もまだ

毎日泣いてたけど、


涙の質が変わってきた。


喜び

嬉しさ

感謝の気持ちが


内側から湧き上がってきて、

涙を外に押し出すような、


自分の中身が

喜びと嬉しさと感謝で

満たされていくような


そんな涙に

いつのまにか

変わっていました。




その彼と

一切連絡をとらなくなって

半年が経ったある日。


突然彼から

食事の誘いがありました。