お疲れ様です。
4回マネの浦田です。

 

 


本来なら全国公で引退だったものの、インカレまで残らせていただきました。インカレまで続けたことで同期全員の引退レース、引退試合をしっかり生で見ることができ、ラスト仕事はインカレの決勝レースという私には贅沢すぎるほどの体験をさせていただきました。
悠貴、日菜乃お疲れ様、そして本当にありがとう🌷

 


引退したその日に、なんとなくの区切りとして入部当時から付けてた“大阪公立大学水泳部”と“OCUST”のLINEグループのピン留めを外してもまだ実感は湧いてません。でももう予定がないとみんなと会うことはないかもと思うと寂しいです。それだけ私にとって部活は大学生活で当たり前になってたとようやく気づきました。

 


こんなにも長い文章をブログで書くのは後にも先にもこれだけなので、目次示しておきます。興味無いところは飛ばして読んでください。


1.大学での水泳生活
2.私が行き着いたマネージャーの在り方
3.各方面へのメッセージ
4.最後に

 

 

 

 

 

 


1.


入部当時のことは今でもよく覚えています。
高校では選手だったこと、市大と合同練した時の大学生がカッコよすぎたこと、絶対受かると思ってたサークルの抽選に落ちて路頭に迷ったこと、入部を決めた理由はいっぱいあるけど最終的には勢いでした。

 


初めに教えてもらうマネージャーの基礎的な仕事内容は、自分でゆうのもなんですが難なくこなしていたと思います。
メニューの見方もなんの問題もなかったし、この年の医学部の方との合同練では2コース15人ぐらいのタイムもとって書いていました。


他大では有り得ない状況ですが、当時の市大水泳部のマネージャーは競泳水球を兼任していました。だから夕練は競泳が終わったら水球に行く。水球の試合の次の日でも競泳の朝練に行く。結構なハードワークでした。しかも水球の知識はゼロだったので参加しても競泳みたいに力になれないことばっかでした。先輩方がいっぱい優しく教えてくれるけど何が分からんかが分からん。水球に関しては不安いっぱいでした。

 


競泳と水球の練習でかなり気持ちに差はありました。それでもひとつ出来ることが増えると褒められ、また増えると褒められ、同期マネが1人だったこともありすごく大切に大切に育てられてた気がします。先輩方本当にありがとうございました。

 

 


1回生の冬前、ずっと兼任してきた水球マネと競泳マネを分けようと言われました。あっそうなんですね!って理解ある反応を見せましたが、内心大焦りです。すごく迷ったけど全くの未経験の水球よりちょっと知ってる競泳を選びました。
競泳マネが莉央さんとふたりになって、ただただ褒められてる自分に違和感を感じました。こんなの誰でも出来るんじゃない??って
当時は2個上の莉央さんにマネとしての能力、知識、仕事の要領の良さ、勝てるものは何もないことは分かってました。それでも一緒にいるとやっぱり自分の出来なさ加減が目につく。
もっと何か出来るようになりたい。
自分の現状に満足がいかなくなりました。

 


じゃあ何をすればいいのか?
何が出来るようになれば自分に満足するのか?

 


「元スイマーを活かしたアドバイスができるマネージャー」


自分では思いつかなかったので、 先輩方や同期から見た私の特徴であろう言葉を指針にしました。たぶん私に期待されてることはこれだ、と。

 

 


2回の夏には私の直属の大先輩、莉央さんが引退し、私が競泳マネで1番上の立場になりました。我孫子前駅前のガストで話した同期の幹部役職決めで、私は「マネージャー長」という後にも先にもなかった名前の役職をもらいました。たぶん世に言うチーマネです。

 


それからはとにかく選手が不自由なく活動できる環境だけを考えて動きました。高校では選手だったのである程度分かってましたが、大学はまた違う。
私が何をしたら選手が喜ぶのか。
マネの仕事でミスをしないのはもちろん、とにかく選手の泳ぎを見る、ベストを覚える、アドバイスをする、やるべきことはいっぱいでてきたのでとにかくがむしゃらに奮闘しました。

 

 


ところが迎えた3回生のシーズン


この年にまさかのマネージャーが総勢6人も入部してくれました。競泳だけでも4人。
最初は目標にしてた数字を達成できてやったー!って喜んでいましたが、すぐ問題にぶち当たりました。


マネージャーの競技の専門の本格化、後輩マネちゃんの指導、大所帯マネの統率、自分の能力向上、、、ちゃんと考えたい課題はいっぱいあったけど一気にのしかかってきたものに対して、自分の要領の悪さで全部中途半端になっていました。


けど私は結構もがいていたと思います。練習になかなか参加出来ない後輩マネちゃんにメニュー早見表を作ったり、他大がどんなことしてるのか繋がりを作ってみたり(これは1番して良かったしもっとしたら良かったかも)、そもそも練習に休まないように、とか。

 


でも部活自体なんでか純粋に楽しめなくて
結果、完全に潰れましたね。

 

 


3回のシーズンはほとんど毎日練習に参加していましたが、今思い返すと何をしていたかあんまり思い出せません。強いて言うなら出来るようになったことより出来なかった失敗ばかり覚えています。
ずっとみんなに申し訳なくてマネージャー長と名乗ることも辞めました。

 


ずっと頭にあった選手に喜んでもらいたい、という気持ちがいつからか何事も完璧でなくてはならない、に変わりました。そして自分の弱さを隠して強く居続けようとしました。私の素直になれない部分です。


なかなか気持ちの整理もつかないまま気づけばシーズンも終わり、1ヶ月のオフを挟むともう引退まであと1年を切っていました。
さすがにここままじゃやばい。1ヶ月のオフも今思うと1回冷静になれる良い機会でした。

 

 

 

 

 

 

2.


ここがラストイヤーの話です。いきなり次の章へ飛んだのは最後の1年が1番部活が楽しかったからです。

 


マネージャー長という役職も終わり、自分のために割ける時間が増えた一方で部活のシフトは激減しました。(選手数、マネ数、練習のコース数を考えると仕方のないことでしたが。)
加えて就活で心は少しづつ疲弊。
これ以上新しい能力を見出すことはほぼ不可能です。だったら今持ってる自分の個性を伸ばすしかない。

 


ラストイヤーに私が掲げた目標はただ1つです。
「やりたいことを全部やってみる」

 

 


え?しょうもなっ


ですよねしょうもないです。
でも最後の1年は私らしさがでていたと思います。私の個性の1つは貪欲なところです。それなりに色んな経験はできたつもりでしたが、まだまだ足りない。もしかしたら行動や姿勢にもでていたかもしれません。申し訳ないですが、結構自分自身のために部活に参加していました。
そこからのラストイヤーは本当にあっという間でした。ですが思い入れは1番強いです。

 

 


練習のFPや試合のアップでは常にうろちょろして泳ぎを見ながら声かけられるのを待ったり、時には自分から声をかけたり、

タイムについて選手から色々言われることはありましたが、私から見たらめっちゃ頑張ってるようにしか見えなくて、大した喝を入れることもできなかったと思います。ごめんね。


他にも予定空いてたらシフトじゃなくても練習にふらーっと行ってみたり、


みんなのレースをいっぱい見たくて帯同できる試合にはほとんど全部ついて行ってみたり、


試合後のラップの紙の裏には書きたいこといっーぱい詰めてみたり(お母さんは小さすぎて読めないって言ってました)。


余談ですが、ラップの紙の裏は泳ぎを見てすぐにアドバイスできるほど能力がなかった私にとって、とにかく選手に伝えたいことを山ほど書いてました。
やる気や方向性を失った選手がいればラップの紙を見返すといいでしょう。マネージャーは選手みんなを本気で応援しています。だったらマネージャーのために頑張るってのも悪くないと思います。


どれもこれも私がしたくてしてたことです。

 


すると次第に選手や後輩のマネージャーから頼りにされてるかも、とか部のためになれてるかも、と感じる機会が増えていきました。
自分のためにしていたことが部員のため、チームのために繋がるってこんなに嬉しいことはないです。
やっぱり前向きな気持ちで部活に参加する方が良い事があるっぽいです。こんな当たり前のことにやっと気づきました。

 

 


全国公後にもらった扇子や同期からの手紙を読んで、こんなにも私のことを見てくれていたんだと思いました。すごく嬉しかったです。

 


「選手を支える」ということ。
私が引退するまでに幾度となく言ってきたテンプレみたいな目標。マネージャーの功績は数値化も可視化もできません。だとすると結局は何をやってもマネージャーは選手を支えてる、つもり、になります。こんなに不明瞭なものに私が大学生活身を注いでたと思うといつ考えても本当に悔しいですが。そんなことは今はいいです。


私が思うに、マネージャーの頑張りは選手からの感謝や言葉で初めてちゃんと評価されます。支えてる、つもりが支える、ことができてる、と確信に繋がる瞬間です。
時には厳しい言葉やお叱りみたいな言葉をいただくこともありましたが、私としてはそれだけマネージャーを見てもらえてることがすごく嬉しかったです。 
私がもっと何かしてあげたい、良い結果になんとしても導かせてあげたい、そう思えるきっかけも選手と一緒に目標に向かえてる、信頼感を与えてもらった時でした。

 


こうやって二人三脚で取り組んでいく中で、選手の努力が実り、結果を出し、そんな選手の喜ぶ姿にマネージャーはこの上ない幸せを感じるものです。特に今シーズンは人のレースで何度も感動させられました。まあ泣きました。

 

 


みんなにとって私はどんなマネージャーでしたか?

 


ずっと囚われていた「完璧」という言葉は、曖昧なもので判断基準は人それぞれです。
例え後悔が残ったとしても私がやりたいことを全部やり切った!と感じ、みんながこんなにも「頼りにしていた」「憧れです」「ありがとう」と言っていただけたならそれが正解なのでしょう。

 


散々1人で悩んだ自分の存在意義は意外と周りが見つけてくれるものでした。

 

 

 

 

 

 


3.


OB.OGの皆様へ
日頃から現役部員のために多大なるご尽力、サポートしていただき本当にありがとうございます。コロナによる制限が緩和されてからは大会にも足を運んでいただき、皆様の応援があったからこそ部員一同努力し、成長することができました。心から感謝申し上げます。今後とも後輩が創る大阪公立大学水泳部をよろしくお願いいたします。

 

 


先輩方へ
杉本プールが壊れて使えなくなったので、杉本プールの思い出は全部先輩方とのもので大切に胸にしまってます。壊れちゃうぐらい古いプールでしたが、あそこで練習した日々があったから今の私がいると確信しています。
そして、ひよっこだった私が最後まで部活を続けられたのは、皆さんが私にして下さったこと全ての恩を余すことなく後輩に送りたかったからです。それぐらい私にとってカッコよくて偉大な先輩ばかりでした。
沢山ご迷惑、ご心配もおかけしましたが、ずっと見守ってくださり本当にありがとうございました。

 

 


選手のみんなへ
私が最後まで本気で選手になる気にならなかったのは、みんなみたいに自分と向き合い続ける勇気がなかったからです。毎日朝早くからしんどい練習に耐えて頑張るみんなは本当にかっこいいです。
私たちの代はまあ良くも悪くも影響力のある人ばかりだったと思うので、10月から本格的に始まる新体制が私としても未知数です。
でも全国公からインカレまでの数週間、端っこで練習に参加させてもらってひとりひとりのやる気は充分伝わりました。きっともっと強くなれるって思いました。
辛いことも絶対あるけど、たまには息抜きしつつコツコツ努力し続けてほしいです。過去の自分の頑張りに未来の自分が感謝するはずです。
そして困った時はまだまだいっぱい先輩を頼ってください。可愛い後輩のためならときっと助けてくれるはずです。
私が最後のカウントダウンで書いた言葉はみんなに向けて、
みんなのこれからに期待しています。

 

 


マネージャーのみんなへ
公立大マネは人数も多くて活動の中で我慢の方が多いかもしれません。焦ることもいっぱいです。
でも私としては、みんなのマネージャー関連の仕事の質は他大に劣るものではないって本気で思ってます。特にこの夏は私、友梨香、涼帆、真奈美がいなくてもいいようにって気持ちで動いてました。そしてしっかり期待に応えようと頑張ってくれたことも知ってます。本当にありがとう。
マネージャーはモチベーションが上手く保てないものですが、自分らしさは忘れないでほしいです。無理に繕って頑張ることは自分の首を絞めます。自分ができる最大限のパフォーマンスをしたらいいです。
何か悩んだらいつでも連絡してください。話聞くことぐらいはできるので不満の吐き溜めにでも使ってください。
まだまだみんなの成長を見ていたかったですが、これからは少し遠くからずっと応援しています。これからの活躍を楽しみにしています。

 


綾乃ちゃん
実は同じ屋根の下、ひとつのベットで一夜を明かした仲なのでね。ヘヘヘ
綾乃ちゃんの入部当時はよく覚えていて、授業の関係上練習時間も少ないのに1教えるとリアル10出来るようになるポテンシャルの持ち主です。こんな後輩いたら安心でしかないです。
一緒に活動してきて、ほんとに色んなことに振り回してしまったよね。本当にごめんね。綾乃ちゃんの優しさに沢山甘えていたと思います。それでもずっと着いてきてくれて本当にありがとう。
マネージャーとしてのラストイヤーはほんとに一瞬です。残り1年自分の気持ちを大切に。

 


夏花
いつでも色んな話をしてくれる夏花、人の話を聞くことが好きな私にとって一緒にいてすごい落ち着く存在です。サンケイのシフトが被ってる時は少し嬉しかったです。
練習ではずっと受け身だったけど、今シーズンは特に仕事分け積極的にしてくれて大変成長しました。
関国前のミーティングで周りに助けてもらいながらなんとかって言ってたけど、夏花の天真爛漫で穏やかな性格は誰よりも周りをずっと助けてました。
私には杉本にマネージャーの同期がいたことないので勝手ながら後輩より近い感覚で関わってきたと思います。本当にありがとう。

 


彩乃
入部して初日「ここのコースタイムとってメモもしてね」っていきなり仕事パスしたことはほんとにごめんね((私ならあの環境なら一旦入部を保留にします。
選手のためにもっと何かしたい、でもどうしたらいい?って沢山悩んでないかなーって思います。その気持ちは私も痛いほど分かります。けどきっとその想いはみんなに伝わってるはずです。理想のマネージャーですってゆってくれて嬉しかったです。ありがとう。でも彩乃なら私なんかよりもっともっと強くなれます。ずっと応援してます。

 


萌彩夏
ほんとに心の底から水泳が好きで、部活が好き!ってひしひしと伝わってきます。的確なアドバイスをする萌彩夏と一緒にいるともっと頑張らないと、と思わされました。ありがとう。
選手だったから分かると思うけど、マネージャーからの応援は結構記憶に残るものです。誰にでも分け隔てなく接することは誰もができることではないです。同じ目線で相手を思いやれる、萌彩夏の強みをさらに発揮していってください。

 


なるみん
一番最初に入部を決めてくれて綾乃ちゃん夏花と喜んでました。学業との両立の難しさ、それでも入部を決断してくれてありがとう。
なかなか練習に参加できないなるみんに何かもっと出来ることがあったんじゃないかって今でも考えます。無力だったと思います。
なるみんからマネージャー関連の質問を沢山してもらうようになってから自分のマネージャー像を見つめ直すきっかけになったと思います。ありがとう。これからもなるみんらしく部活に向き合ってくれたら嬉しいです。


杉本マネみんな大好きです。
ぜひみんなとのみに行きたいです。

 

 

 


同期全員へ
私たちはすごく人数は多いですが、ひとりひとりのキャラは被ることなくみんなが輝いてました。みんなと出会えてよかったです。
新しい目標を見つけた時、不安から抜け出せなかった時、原点に帰って思い返した時、どんな場面でもみんなの頑張る姿が私を奮い立たせてくれました。私の原動力であり、モチベーションの源泉でした。たくさんありがとう。
また、友梨香、涼帆、真奈美にはたくさんお世話になりました。統合して1番良かったって思うのはキャンパスは違えど同期マネージャーができたことです。
私は来年以降も大阪にいるはずなのでいっぱい会いたいです。
いつか全員でごはんとかも行ってみたいです。計画力はないので誰かお願いします。🤲🏻

 

 


そして、杉本の同期へ
ストイック集団なばっかりに後輩からは私たちの代なら辞めてるって結構思われてるかもしれません。でも、私が最後まで部活を辞めなかった理由の1つが同期です。


私たちは入部時期も全然違うし、価値観、境遇、性格、何もかもがバラバラではっきり言うと個性的な人の寄せ集めです。
似ている人がいないからこそ、衝突したり、誤解が生まれる経験も少なくなかったと思います。
それでもみんなが 「何か」に全力で打ち込める人、そしてみんなが自分を大切にできる人たちでそんな選手たちのマネージャーでいれることが誇りでした。

 


私は悠貴がインカレを切った時、同期全員が引退するまで絶対引退しない、最後まで残ると決めました。それが私がしてあげられる最後の使命だと思ったからです。
1番長く努力も笑顔も苦労も見てきたつもりです。だからこそみんなの応援には人一倍力が入るしレース中は手が震えるし目が離せなくなるものです。
絶対に伝わっていない自信しかないですが、私は同期がすごい好きです。恵まれた環境で部活させてもらっていたなって感謝の気持ちでいっぱいです。みんなの引退レースを最後まで見届けれて良かったです。ちょいフッ重ですが、これからも遊びでものみでも定期的に会えたらいいなって思ってます。これからもよろしくね、みんなのこれからに幸あれ。🌟

 

 

 

 

 

 


4.


ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
長ぇよって思ったかもしれませんが、もう浦田のブログを読むことはないと思って大目に見てください。
まさかの悠貴に先を越され競泳面で1番最後に引退ブログを書いて幕を閉じるとは思ってもいなかったです。オフ期間に入ってますが、読んでくれる人はいるのでしょうか。
最後にざっとお気に入りの写真を複数枚貼って終わろうと思います。























私の青春の全てだった水泳部。
勢いで入部した当時の私の選択は間違ってなかったです。
関わってくれた全ての方へ、本当にありがとうございました。

 

 


2024.9.11
大阪公立大学水泳部
浦田 香凜