言葉とは、伝えるためのツールである以前に、「思う・考える」を行うための前提でもあって、そのことそのものに魅力を感じるから、私は言葉を選んだのだと納得している。選んだ当時はそんなこと全く思い至っていなかったから、納得、と書いている。その時にも思うことや考えることに言葉を使っていたことは事実としてあるわけだし、納得納得。
最近、口語散文詩の詩集を読んでいる。その筆者の書く詩は、もちろん言いたいことを伝えるために並べられた言葉の連なりではあるが、同時に、筆者の頭の中で行われた思考が、ただ置いていかれたものであるようにも感じられる。思考をありのままに、他者に読まれたときの齟齬が限りなく少なくなるように、できるだけ透明に書き連ねられた言葉を読んでいて、「ああこれこそが言葉だ」と感じさせられ、気分が良くなる。
気分が良くなるといえば、一昨日、他者の言葉を読んでめちゃくちゃ気分が悪くなったので、共有させてください。
「りおここを書きました。理想のりおここです。」
というツイート文面で共有されていたSSです。読んでください。少なくともこのアメブロのリンクをタップしてここまで読んできたあなたって相当暇だと思うし、たぶんSSのほうが読んでて楽しいですよ。
これを読んだ直後の、私のツイートが、以下です。
・ガチでありえない
・考えます
・一応言っとくけど「読んだあとの感想」です、〝ガチでありえない〟と〝考えます〟が
・悔しすぎて頭おかしくなりそう そうですか。
・なんか、感想とかしたためようかなって、思って、書こうとしたときまっさきに頭に浮かんだのが「いつかかならず⭕️すので、待っていてください」だったので、感想をしたためることを、やめました
・明日はよ起きて全部のタスク進めてもし恋に向けた心の準備しようって思ってたのに、今、ガチで★現世幽★を見返すために何ができるかを考えることしかしてない
・世界で一番小説下手なのが、私です──へ。
なんかめちゃくちゃ悔しがってて草ですね。
何に悔しがっていたかというと、特に、筆者の「地の文」に対してでした。
この際、キャラクター解釈だとか、作品解像度だとかはどうでもよく、いや実際には完全にどうでもいいわけじゃないか、自分も書き得るキャラ解釈・作品解像度の延長線上にはあると思える作品がしかし、それが完全に自分が書きたいのに書けない「地の文」によって書き連ねられていたことこそが、ひどく悔しかったのです。
もうシンプルに、「えー!、そんな書き方していいんだ〜!」って思った。いや、初めて見たわけじゃないですよ。口語っぽい地の文って色んなとこで見るしさ、自分も書くことあると思う。ただ、『荼毘に付す』ほど、書いたことはないし、書けないと思った。
これについて考えていて、結局答えを出すなら、この記事の冒頭で言っている、言葉が「思う・考えるを行うための前提」である、という解釈に行き着くのではないかなと思う。
『荼毘に付す』は、赤崎こころの心情そのものが、ありのままに、書かれていた。メッチャ悪く言えば、読者に伝えることなんてクソ食らえってくらい、ただ、せきららに、そのまんま、ただ、赤崎こころが書いてあった。
私自身が最近書いている小説やらなんやらにおける心情描写って、たぶん全然そんなことはなくて。読者がいて、その読者に伝わんなきゃ意味ないよなと、めちゃくちゃ忖度して、キャラらしさとか、妥当性とか、読みやすさとか、なんかそういう全部を考えてる気がする。実際できてるかどうかじゃなくて、意識の話ね。私はたぶん、つまんない文章ばっか書いてるんじゃないかって思う。
だから悔しかったんです。読者に伝えることなんてクソ食らえってくらいせきららに書かれてるのに、痛いほど伝わってくるから。じゃあたぶん「クソ食らえ」なんて思わずに、「伝わるせきらら」を全力で書いていたのだろうし、その両立が私にはできない。すくなくともこれまではやってなかったってことなんです。
あるいは、本当に「クソ食らえのせきらら」を書いてるだけなのかも。誤解を一つも恐れずに書ければ、誤解なんてされ得ないくらいの透明に研ぎ澄まされた言葉として並べてしまえるのかもしれない。ああ、それならかつての私はできていたかも。できるときはあるかも。でもそれを意識的に今からやれって言われたら、たぶんムズい。相当ムズい。私はけっこう、誤解されないために言葉を重ねるクセがあるから。共感も感動も読者に求めてはいないけど、とにかく誤解されてはいけないと思っている。ちゃんと理解させたうえで、それをどう感じるのかを相手に委ねたいけど。そんなことより、ありのままの言葉を並べたほうがきっといいんじゃないか。それが本当に「委ねる」ってことなんじゃないのか。理解さえ委ねることじゃないの? 言葉は「思う・考える」の前提だって、私は最初から言ってるじゃんね。
あーくやしい。
「思う・考える」をありのままに、せきららに、ただそれだけを書いて、なお、伝えられる文章。私も書けるようになります。
「これこそが言葉」だって、誰かに、思ってもらいたいなあ。