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戦国で世をオモシロク★星になるまで

2019年6月4日真田昌幸公の命日に紀州九度山真田砦をはじめる。
山城や歴史の現場に足を運ぶのが好き。
気づけば還暦を過ぎていてびっくり!
星になるまでゆるゆる暮らしたい。

https://youtu.be/0GlO-HEdHoU?feature=shared

今日は、いつも応援してくださっている皆さまへ


大切なお知らせと、感謝の気持ちをお伝えしたくてブログを書いています。

 

 

実は…
紀州九度山真田砦」は、今年で六周年を迎えます。

 

6年前、真田昌幸公の命日にあたる日にオープンした小さな砦。


それが今、多くの方に支えられ、ここまで来ることができました。

本当にありがとうございます。

 

この節目の年に、何か形として残るものを──
そんな想いから、

六周年記念印セット」をお作りしました。

  • 真田昌幸

  • 真田幸村

  • 真田大助

  • そして、「真田砦」

時を超えて、四つの魂を一つに。

 

 

こちらは、5月1日よりオンラインストア「紀州戦国屋商店」にて販売開始しています!
数量限定となりますので、ぜひお早めにご覧くださいね。

 

→ オンラインストアはこちら

 

 

 

さらに…!

 

5月4日(日)・5日(月・祝)には、
和歌山県「道の駅柿の郷くどやま」芝生広場にて開催される
紀州九度山真田まつり】にも出店いたします!

 

 

特に5日は、紀州戦国屋甲冑隊の武者行列も登場予定!
まさに戦国の世界が目の前に広がる、大迫力の一日です。

 

 

現地ブースでも記念印セットを販売いたしますので、
ぜひぜひ遊びにいらしてください!

 

 

そして5月10日(土)には…

 

高知県南国市で開催される【第16回長宗我部フェス】にも出陣します!

こちらでは、なんと…
長宗我部フェス限定記念印セットも特別販売予定です。

 

 

こうして、今年は「六年分の想い」を
言葉と印影で、少しずつかたちにしています。

 

応援してくださる皆さまのおかげで、
歴史と魂を、未来へと繋いでいくことができています。

 

本当に、ありがとうございます。

 

これからも、真田魂を大切に。

 

またどこかでお会いできることを、心より楽しみにしております。

 

 

 

→ 紀州九度山真田まつりの詳細はこちら

 

 

 

 


 

→ 長宗我部フェスの詳細はこちら

 

 

智謀の名将・真田昌幸

戦国時代において、
武力だけで生き残ることはできませんでした。

強大な勢力の間を渡り歩き、
巧みに立ち回ることで生き残った武将こそが、真に優れた戦国大名と言えます。

その中でも、
智謀の名将として名高いのが真田昌幸です。

武田信玄勝頼に仕え、
徳川・豊臣の狭間で生き抜いた彼の戦略は、
現代にも通じる教訓が多くあります。

本記事では、昌幸の戦略と現代に活かせる知恵について深掘りしていきます。


1. 強者に従い、時を待つ—真田昌幸の「柔軟な戦略」

昌幸の人生を語る上で欠かせないのが、彼の「状況適応力」です。

🔹 武田家臣時代:最強の軍師としての修行
若き昌幸は、名将・武田信玄のもとで育ちました。

信玄亡き後は勝頼に仕え、軍略を磨いていきます。

天正10年(1582)、武田家が織田・徳川の連合軍に滅ぼされると、昌幸は生き残るために織田方に降伏します。

しかし、その織田信長も本能寺の変で倒れると、今度は徳川家と上杉家の間で巧みに立ち回るのです。

🔹 上杉景勝との誓詞—生き延びるための選択
武田家滅亡後、昌幸は生き延びるために上杉景勝と誓詞を交わし、
上杉方につきました。

その後、徳川家が勢力を増してくると、再び立場を変え、
徳川と和睦を結びます。

この柔軟な戦略こそが、昌幸が生き残るための鍵でした。


2. 家族への影響—昌幸の戦略が信之と幸村に与えたもの

昌幸の戦略は、彼の息子たちである信之と幸村にも大きな影響を与えました。

🔹 兄・信之:徳川のもとで生き抜く道を選ぶ
信之は父のような戦上手というよりは、外交の才を発揮しました。

関ヶ原の戦いでは父・昌幸と弟・幸村が西軍についたのに対し、信之は東軍につきました。


この選択によって、信之は真田家を存続させることに成功したのです。

🔹 弟・幸村:父譲りの戦略家
一方、幸村は昌幸の知略を受け継ぎ、大坂の陣でその才を発揮しました。


父と共に九度山に幽閉された後、豊臣家の要請を受けて大坂城に入り、徳川軍を翻弄しました。特に「真田丸」を築いた戦術は、父の影響を強く受けたものと言えます。


3. 戦国を生き抜いた「表裏比興の者」

昌幸は豊臣秀吉から「表裏比興の者」と評されるほど、状況に応じて巧みに立ち回りました。

また、武田信玄からは「我が両眼の如し」と称され、戦略家として高く評価されていました。

続きはこちらから読んでいただけます。

6月4日の命日が近づいてくると、昌幸公に想いを馳せる機会が増えます。

5月5日は紀州九度山真田まつりもあり、真田庵ではいまも真田三代の法要が行われています。


戦国時代の家紋の中でも特に有名な「六文銭(六連銭)」は、真田家の象徴として知られています。


一般的には「三途の川の渡し賃」としての意味が語られ、真田家が「死をも恐れぬ覚悟」を示していたとされています。


しかし、実はこの解釈は後世の創作であり、六文銭の本当の由来は別のところにあるのです。


今回は、六文銭の本当の意味を紐解き、そこから見えてくる真田家の精神を探っていきます。



1. 六文銭は「三途の川の渡し賃」ではない?

「六文銭=死の覚悟」という説は広く知られていますが、歴史的な記録を調べると、この解釈には疑問が生じます。

🔹 大坂の陣で六文銭は使われなかった?

大坂の陣において、真田信繁(幸村)の軍勢が掲げていた旗には、六文銭が描かれていなかった可能性が高いのです。

『福富茂左衛門覚書』という当時の記録には、

「あかねに大もくの文ノのほりはいぐんニ見へ申候」 と書かれています。

また、大坂城天守閣に所蔵される『大坂夏の陣合戦図屏風』にも、信繁の軍勢の旗には六文銭ではなく、真っ赤な幟(のぼり)が描かれています。さらに、これらの幟には「南無妙法蓮華経」という題目が書かれていたことが分かっています。

つまり、信繁は大坂の陣で六文銭ではなく、仏教的な意味を持つ旗印を掲げていたのです。

では、そもそも六文銭とは何だったのでしょうか?


2. 六文銭の本来の由来とは?

六文銭は、真田家が独自に生み出したものではなく、実は真田氏のルーツである滋野一族(海野氏・望月氏・真田氏)に広く用いられた家紋でした。


🔹 六文銭は戦の象徴? 『滋野通記』によると、海野小太郎が「水島の戦い」に際して、海面の渦が銭が連なったように見えたことから、旗標にしたと伝えられています。


🔹 「連銭葦毛」との関係 また、戦国時代の軍記物では「連銭」という言葉がたびたび登場します。「連銭葦毛(れんせんあしげ)」とは馬の毛色を指し、海野氏の本拠である信濃小県郡(現在の長野県東部)には、名馬を育てる望月牧がありました。

つまり、六文銭は元々「死の覚悟」ではなく、「戦の象徴」「馬と結びついた繁栄の証」として使われていた可能性があるのです。


🔹 六文銭と雁金紋の共通点 真田家では、六文銭と並んで「雁金(かりがね)紋」も用いられました。中国では穴の開いた銭を「鵞眼(ががん)」と呼び、これはガチョウの目に似ていることから名付けられたものです。


つまり、六文銭と雁金紋はどちらも「富と繁栄」の象徴として用いられた可能性が高いのです。


3. 真田の精神とは何か?

こうした背景を知ると、六文銭が単なる「死の覚悟」ではなく、 ✅ 戦に臨む者の誇り ✅ 知略と生存戦略の象徴 であったことが見えてきます。


これは、真田家三代の生き方にも表れています。


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訪問ありがとうございます😊


昨日の「情熱大陸」みました?


2週連続放映されましたが、わたしが見たのは昨日のみ。


情熱大陸 俳優・岡田准一


わたしは、岡田さんのファンではありませんが、大河ドラマの黒田官兵衛、映画関ヶ原の石田三成、燃えよ剣の土方歳三、散り椿の瓜生新兵衛、天地明察の算哲役を観てきました。


あらっ飛び出すハート


結構観てるのね。


大河ドラマどうする家康のときの信長さま役はなんとも言えませんが、印象に残っているのは散り椿。


そんな岡田准一さんが、好きな作家の今村翔吾さんの原作「イクサガミ」を映像化することなり、情熱大陸では撮影シーン🎬がびっくりマーク


岡田准一さん演じる嵯峨愁ニ郎と、伊藤英明さん演じる貫地谷無骨の闘いのシーン。


日本産の映画を世界に✨


今年11月からの配信が楽しみですびっくりマーク



早速、特別の帯まで⁉️



わたしの持っているイクサガミ天の表紙はこちら。


Netflixシリーズ「イクサガミ」 2025年11月 世界独占配信決定!第一弾キャスト発表 !

命をかけた 侍たちの遊戯に臨む

超ド級の俳優陣14名 一斉解禁


⬇️Netflixサイトは


こちら

訪問ありがとうございます😊


岩手県大船渡市の山火事は雨が降って、延焼は避けられているとニュースで見ました。


一部の避難所には解除も出されるとか?


どうか早く鎮火しますようにびっくりマーク


それにしても同時期に、長野県上田市でも山火事が起こりビックリしました。


さらに、山梨県でも。。。


6日目には鎮火したと知りました。


新年早々、ロサンゼルスでの山火事からはじまり、日本でも立て続けに大惨事となるなんてショボーン


岩手県出身の佐々木朗希選手(ドジャース)が大船渡市に寄付をしたと知りましたが、ドジャースも大変な目に遭っているので、他人事ではないでしょう。


さて、今日用事があって九度山に行ってきましたニコニコ


真田の具足師をしているぱぱさん(夫)が、、、


どん‼️ときた、地震か⁉️


と、わたしに言いにきたけど、


車が通ったから揺れたんじゃない⁉️


と、わたし。


ネットで調べてみると、確かに地震が発生していました。



真田砦のある下古沢地区は、比較的ゆれにくい地域だそうです。


地盤の種類は山地で、1km四方の標高差が概ね200m以上で、岩石からなる標高の高い地盤、つまり液状化しにくい地盤だそうです。


最近、南海トラフ地震の話題をよく見かけます。ずっと前から30年以内に発生する確率があると言われています。


九度山町の場合、まず津波の影響はないと思います。


雨の方が土砂崩れの影響を受けるかも知れない。実際、2年前の線状降水帯による大雨にはびびったしガーン


九度山町、今日のどん‼️ときた割には震度1に入っていないではないですか。



震度3は奈良県十津川村。震度2には工房のある紀の川市や隣接する高野町も。




自宅は和歌山市ですが、母に聞いてみたけど揺れは感じなかったそうです。


恐るべし、九度山町⁉️


でも、大地震が発生したとき、どこにいるのかわかりませんよね。


水や非常食などをストックしていたとしても、部屋が崩れるかも知れないし、その部屋に行くことすらできないかも知れない。


グラっときたら、まずは身の安全を確保する‼️


これに尽きますびっくりマーク


阪神淡路大地震のときは、震度4ぐらいだったと思う。この時より強い地震はまだ経験したことはありません。


当時は、しばらく子どもだけ家に残して出かけることは出来ませんでしたガーン


地震、雷、火事、大山嵐(台風)


昔もいまも怖いのは同じですね。