オリンピックが始まったと思ったら既に後半に入っている。
自分の趣味に「スポーツ観戦」と書き、それも国際試合が好きとなれば、世界選手権やオリンピック放送を観るのは勿論大好きだ。けれどコロナ禍、これだけ感染が広まっている状況であると、開催賛否を含め気持ちとしては複雑な所ではある。
私の友人の中にはオリンピックに全く興味が無い、つまりスポーツやその勝敗に夢中になるなんて感覚的にわからないという人もいて、うかつに話の出来ない人もいる。
確かに最近の、どんどん商業化し巨額なお金の動き、利権のはびこるオリンピックそのものの在り方には疑問も多くて、その根本的な見直しは必要な気がする。
例えば「オリンピックは毎回ギリシャで開催してはどうか?」という意見もあるが、具体的にそれについて真剣に討論された事はあるのだろうか?
今回、オリンピックの為に、私の知るある公園の樹木が随分伐採されて競技施設が建設されたが、結果的に無観客の会場・・・虚しい限りだ。それこそオリンピックに興味の無い人の中には、その公園を散歩し楽しむ日常を奪われたと嘆く人が何人もいる。
それなら決まった会場、発祥の地ギリシャに競技施設を建設し、毎回そこで開催すれば無駄が無いではないか・・・私もそう思った事もある。だが建てた施設は誰の所有になるのだろうか?ギリシャ?オリンピック委員会?そしてその維持費を何処の国からどう捻出する?等、問題は山程出て来るだろう。
資本主義の国で、もしオリンピックが自国で開催するとなれば、各企業はそれに関わる仕事を手に入れようと奔走するだろう。こんな潤う大きな仕事はなかなか無いからだ。
そして「放送」が無ければ、私達は盛り上がる事も出来ない。お金に支えられなければ、純粋に競技に打ち込んでいる人達をオリンピックという舞台で支えられ無いのも事実だ。
ただ、私のある友人からこんな話を聞いた。彼女のご主人は長い間、南方の島でお仕事をされていた方だ。勿論その島の中にも、水泳で世界を目指したいと思っている若者はいる。でもどんなに美しい海に囲まれた、島の泳ぎの達人であっても、競技用のプールは無いのである。国にそんなお金は無く、選手を育てあげようという方針など、そもそも無いのだろう。と言う訳で何処で練習するかと言うと、島にあるホテルの25mにも満たない20mプールで行ったり来たりして泳ぐしか出来ないそうだ。
日本には素晴らしい競泳用のプール、トレーニング施設があり、指導陣を始めとするチームがカメラやコンピューターを駆使して泳ぎを分析し、食事のコントロールに至るまで「勝つ」為に伴走してくれる。勿論勝敗は最終的には本人の力に依るものだ。が、それ以前にあらゆるデータを読み込み、分析しその場に臨んだかという別のせめぎ合い、そういう闘いが現代にはある。これまたそれなりに強化する為のお金が無くては出来ぬ事だ。
オリンピック憲章というものがある。オリンピックの五輪には様々な意味があるそうだが、五大陸を象徴するというのもその一つだ。あらゆる国から参加出来て、スポーツの連帯をうたっていると言う。かたや技術の最先端を駆使し勝利を目指し、かたや小さなプールで出場の夢を追うも、同じ土俵に上がる事すら叶わないままに時が過ぎて行く。そういう事実も忘れてはならないだろう。それならまだしも、紛争でそれどころでは無い国もある。
だが最初に戻るが、恩恵に浴しこの恵まれた国日本で、スポーツ選手の活躍を見られるのは嬉しく、このコロナ禍、在宅を余儀なくされている中にあっては何とも有難い。
後半も沢山観戦して、おおいに元気を頂くつもりだ!
その2ではスポーツ観戦から感じた事など書けたら。
(余談ですが、「観戦」という字を打ち込む度に変換文字が「感染」と出ます。あな恐ろしや・・・)
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