10代将軍の家治の嫡子家基が生きていれば?
元服もして家基として西の丸で次期将軍にほぼ決定していたが
16歳の時に遠乗りで馬から落馬して大けがをしてしまい
死去してしまう。
実子の男子は家基しかいなく 家治は落胆したという。
諸説あるが一橋の陰謀とも
当時の一橋家は吉宗の4番目の宗尹が長子家重を憎んでいたものもあり
二代目治斉 がかなりの親父の積年の憎悪を引き継いでおり
暗殺したともいう説もある
その仔家斉が、家治の養子となり11代将軍に
これで田沼以下の幕閣は一掃 一橋の息のかかる松平定信らが登場
この家斉が子供を60人以上作り 各譜代、外様に養子に出すことで
金蔵に大きな負担をかけ、且つ諸大名からすればいい迷惑で
長子がいても廃嫡するなどで権威が落ちてしまう。
仮に家基がそのまま将軍就任出来ていれば、少なくとも
15代将軍の慶喜の登板はなかった可能性も
家基に子が産まれていればそうなるだろうし
家斉の大御所政治もなく、凡庸の家慶の際に外国が来ることで
早く開国していた可能性もあり、病弱の家定に薩摩から篤姫を迎えることもなく
井伊直弼の専制もなかった可能性も
となれば戊辰戦争も起こらない
薩摩長州主導の新政府ではなく徳川中心の政府で戦争をしない可能性も高く
フランスの属国になっていた可能性もあるが
日清、日露、大東亜戦争もなかった可能性もありだろうと
吉宗が創設した御三卿も徳川家康の平和国家の諸刃の剣であると考える