お久しぶりです。
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一週間前くらいにTwitter上で書いたりしたんですが、宮城県塩釜市にて東北地方太平洋沖地震を体験しました。
あの日から、もう10日。
で、ここしばらく音沙汰もなく何をしていたのかってことについてなんですが、端的に表現するとむちゃくちゃ落ち込んでました。
いや、無気力だった、の方が正確。
とにかく、何もする気になれなくて帰ってからの数日に関しては正直記憶も曖昧で。
上記したまとめを書いた時にはよく分からない使命感みたいなもので自分を保ててたけど、その後は本当にだらん、としていたのです。
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僕は自分をストレス耐性が強い人間だと思っています。
こういった例を出すことは適当ではないとも思うのだけど、父が亡くなった時も自分を保つことは出来ていました。
受験中だったあの頃、"family"という単語を見るだけで涙が出てしまうような精神状態には陥っていたけど、それでも無力感に襲われたことは(きっと)なかった。
でも今回は、今までにない無気力感に対して喘ぐ気すら沸いてこなかった。
その上で一番問題であったのは、自分が落ち込んでいる理由が分からなかったことです。
多くの死、喪失。
どんどんと増えていく死亡者・行方不明者数。
とは言え次第に地震報道色が薄らいでいくメディアに対するやりきれない思い。
被災地での温かい対応や、大変な状況にも関わらず僕達を東京に送り届けてくれたことへの感謝、申し訳なさ。
恩返しをしたいっていうのは被災を「どこか遠くの出来事」と捉えてしまっているんじゃないか、っていう気づき。
(悲しいことに自分も含めだけど)被災を「イベント」として捉えてるんじゃないかという空気に対するやりきれなさ。
無力な自分。
色々と思い当たることはあるんですが、どれが自分を一番落ち込ませているのか、どうすればこの気持ちをなんとか出来るのかが分からなかったんです。
たぶん「よし、頑張ろう」って考えることに罪の意識を感じてしまっていたのが一番大きかったんじゃないかと思うんですけど、なんだかちゃんと考えることができなくて。
ーーーーーーーーーー
”災害が起こったとき「もっと大変な人達がいるのに自分は情けない」と思うことからPTSDになる人が多い。
そんなことない、みんな怖いし、無力。悲しんだりショックを受けて当然なのです。
どうぞ、自分を責めないで、自分に優しく。"
っていうツイートを見て「まさに俺じゃん」って思ったり。
ってかこのブログを書きだしたときには「もう大丈夫になりました」って書くつもりだったのに、だからブログを書こうと思ったのに、考えてたよりもまだ駄目みたい。
まさか今日になってまで、地震の夢を2度も見るとは思わなかった。
俺が代償を払うならまだしも、他人の命だったり生活だったりがなくなってしまうのはとてもきつい。
世界中の色んなとこでなくなってく命に対してほとんど無関心を決め込めるくせに、なんだか今回はかなりきてる。
悲しみは距離に反比例すると僕は思っているんですが、今回物理的なそれがゼロだったことがきつかったのかも。
ーーーーーーーーーー
僕は自分の弱さであったり辛さであったりを、こういう開かれた場に書くことをなるべく避けています。
でも色んな情報やつながりを遮断してみたりそれでも誰かに電話したり会ってみたりゆっくり休んてみたりしても回復しきれてない自分に今びっくりしてて、ちょっとどうすれば良いのか分かんないからとりあえず書いてみました。
こうやってみっともない姿を晒すことに疑問を感じてもいるんですが、「今日はブログを書く」と一度決めたのでこのまま公開してみようと思います。
ほんと、結構回復できたと思ったから書き出したんですけどこういう文章になってしまったのは自分でも予想外。
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でも、さすがにそろそろ動かなきゃなんです。
今月の目標だってそうだし、入社後のイベントに向けた準備もだし、そもそも今は生きれてすらいない。
ゆっくりとさせることじゃあんまり回復させられなかったから、今度は流れに身を投じてみることにする。
まぁ人前に出れば(無理矢理にとかではなく)自分が元気になることは分かっているので、そこらへんは大丈夫です。
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やっぱ人だよね。
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一週間前くらいにTwitter上で書いたりしたんですが、宮城県塩釜市にて東北地方太平洋沖地震を体験しました。
あの日から、もう10日。
で、ここしばらく音沙汰もなく何をしていたのかってことについてなんですが、端的に表現するとむちゃくちゃ落ち込んでました。
いや、無気力だった、の方が正確。
とにかく、何もする気になれなくて帰ってからの数日に関しては正直記憶も曖昧で。
上記したまとめを書いた時にはよく分からない使命感みたいなもので自分を保ててたけど、その後は本当にだらん、としていたのです。
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僕は自分をストレス耐性が強い人間だと思っています。
こういった例を出すことは適当ではないとも思うのだけど、父が亡くなった時も自分を保つことは出来ていました。
受験中だったあの頃、"family"という単語を見るだけで涙が出てしまうような精神状態には陥っていたけど、それでも無力感に襲われたことは(きっと)なかった。
でも今回は、今までにない無気力感に対して喘ぐ気すら沸いてこなかった。
その上で一番問題であったのは、自分が落ち込んでいる理由が分からなかったことです。
多くの死、喪失。
どんどんと増えていく死亡者・行方不明者数。
とは言え次第に地震報道色が薄らいでいくメディアに対するやりきれない思い。
被災地での温かい対応や、大変な状況にも関わらず僕達を東京に送り届けてくれたことへの感謝、申し訳なさ。
恩返しをしたいっていうのは被災を「どこか遠くの出来事」と捉えてしまっているんじゃないか、っていう気づき。
(悲しいことに自分も含めだけど)被災を「イベント」として捉えてるんじゃないかという空気に対するやりきれなさ。
無力な自分。
色々と思い当たることはあるんですが、どれが自分を一番落ち込ませているのか、どうすればこの気持ちをなんとか出来るのかが分からなかったんです。
たぶん「よし、頑張ろう」って考えることに罪の意識を感じてしまっていたのが一番大きかったんじゃないかと思うんですけど、なんだかちゃんと考えることができなくて。
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”災害が起こったとき「もっと大変な人達がいるのに自分は情けない」と思うことからPTSDになる人が多い。
そんなことない、みんな怖いし、無力。悲しんだりショックを受けて当然なのです。
どうぞ、自分を責めないで、自分に優しく。"
っていうツイートを見て「まさに俺じゃん」って思ったり。
ってかこのブログを書きだしたときには「もう大丈夫になりました」って書くつもりだったのに、だからブログを書こうと思ったのに、考えてたよりもまだ駄目みたい。
まさか今日になってまで、地震の夢を2度も見るとは思わなかった。
俺が代償を払うならまだしも、他人の命だったり生活だったりがなくなってしまうのはとてもきつい。
世界中の色んなとこでなくなってく命に対してほとんど無関心を決め込めるくせに、なんだか今回はかなりきてる。
悲しみは距離に反比例すると僕は思っているんですが、今回物理的なそれがゼロだったことがきつかったのかも。
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僕は自分の弱さであったり辛さであったりを、こういう開かれた場に書くことをなるべく避けています。
でも色んな情報やつながりを遮断してみたりそれでも誰かに電話したり会ってみたりゆっくり休んてみたりしても回復しきれてない自分に今びっくりしてて、ちょっとどうすれば良いのか分かんないからとりあえず書いてみました。
こうやってみっともない姿を晒すことに疑問を感じてもいるんですが、「今日はブログを書く」と一度決めたのでこのまま公開してみようと思います。
ほんと、結構回復できたと思ったから書き出したんですけどこういう文章になってしまったのは自分でも予想外。
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でも、さすがにそろそろ動かなきゃなんです。
今月の目標だってそうだし、入社後のイベントに向けた準備もだし、そもそも今は生きれてすらいない。
ゆっくりとさせることじゃあんまり回復させられなかったから、今度は流れに身を投じてみることにする。
まぁ人前に出れば(無理矢理にとかではなく)自分が元気になることは分かっているので、そこらへんは大丈夫です。
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やっぱ人だよね。
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