先日、お稽古から帰ってしばらくすると、世話役さんからメールが届きました。

 

曰く「稽古が終了し 皆さんが帰宅したあと、使った道具の確認を 先生がしたところ、釜の蓋にとれないシミが残っていました。 朝の点検ではこのシミはありませんでしたから、取り扱い上のミスがあったものと思われます。 これから長野さん (釜師) に相談して 対処しますが、道具は緊張感をもって清め 拭き上げてください。 

粗相のないよう このことを今後につなげていただきたいと考えて お知らせしますけれども、決して犯人探しが目的ではありません。 念のため 申し添えます。」

 

「ウ~~~~n」読み終えて 唸った。  

なぜ唸ったか・・・って?

これまで 私が このような方法で社中を導いたことがあっただろうか・・・と考えたから。

 

茶室で使われる道具には、取り扱いを誤ると傷つくものが多数含まれています。  

棗や懐石道具などの漆製品は 摩擦に弱いですし、唐銅の風炉や釜の蓋は 水気に弱く、水滴が残ったまま放置すると 簡単に輪じみができてしまいます。 「シミを拭き取ってやろう・・・」とばかりに 強い力で キュッキュ と拭くと、唐銅そのものの 美しい肌の風合いを損ねて、 見るも無残な姿になります。

 

今の時代は お茶を習いに来て初めて 畳に座り、炭と鉄の釜で湯を沸かすことを知り、 唐銅の風炉や杓立てに接する人が大半になりました。

 

教える側の私は「慣れない物に触れるのだから、 多少の事故はあって当然」と 最初から織り込んで、 悪意なく起こってしまった物損事故に対しては、気まずさを残さない程度の注意にとどめています。 


 少なくとも「どなたのミスかは存じませんが、傷ついてしまった物があります。 これから修理にだしますね。」と社中に向けて発信し、取り扱いの注意を促したことはありません。

 

「では 先生の社中では 修理に出したり、買い替えたりするような粗相は 今までになかったんですか?」と問われたら、「いえいえ、それは 勿論 幾つかありますよ。」と答えることになります。

( 経年の劣化と 取り扱い上のミス とは別もの )

 

昨日今日 入門した新人ならいざ知らず、5年 ~10年とお稽古を続けてきた人には、気のゆるみが生じさせた粗相の顛末を 知らせるほうが良いのかもしれません。

 

私も念のため申し添えますが、 「弁償しろ!」と言いたいわけではありません。

 

心ある先生のところであればあるほど、稽古中に生じた損傷の弁償はさせていないはずです。 

 

これを 優しさと捉えるとしたら「否」

 

「右も左もわからない初心者の失敗は不問」という優しさを含んではいますが、ある程度の経験を積んできた人に対しては、「気のゆるみが生じさせた不始末を 金銭ごときで解決できると思うなよ!」という 道具の取り扱いに対して厳しさを求める姿勢が 存在しています。