心の文の優れたところは、村田珠光が 室町時代中期に書いた物であるにもかかわらず、 その内容が 21世紀になった今でも 古さを感じさせず、 多くの人の共感を得ていることでしょう。

 

自惚れてはいけない : 自分の考えに執着し 溺れてはいけない ; 謙虚な気持ちで 学ぶことを忘れてはいけない 等々 私たちが 「然り」 と思う文言に満ちています。

 

令和3年8月21日の わび茶の祖・・・村田珠光(3)には、 心の文の原文と その現代語訳に 若干の説明を加えたものを投稿したので、 大体のご理解はいただけたと考えていますが、 ここからは、そこで説明しきれなかったことについて述べたいと思います。

 

1) 和漢之さかいを紛らかす云々・・・とは?

2) ひゑかるる云々・・・ とは?

3) 銘文二いわく  心の師とハなれ  心を師とせされ とは?

 

以上3点について 順を追って解説し、同時に 令和のお茶を楽しむ私たちが それを どう解釈すればよいのか、  私が考えるところを記していきたいと思います。

 

 

 

まず本日は、 1)和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要、ようしんあるへき事也  から始めましょう

 

珠光は 台子を用いて別室で点てられたお茶を 点てだしで供する書院茶を習得しました。  主客が同じ茶室に座って 一座を建立する 草庵の侘び茶は、 珠光の時代には まだ確立しておらず、 座敷飾りの決まりに従って、 床にも 違い棚にも 中国伝来の荘厳 かつ 華やかな 茶道具や文具が 飾りつけられるのが 常でした。 

 

 

君台観左右帳記・・・室町時代の座敷飾りの秘伝書。  著者は能阿弥と伝えられています。

珠光は 能阿弥から君台観左右帳記の相伝を受けており、書院茶を修めました。

 

そこに素朴な 和物の道具を 取り込んで 渾然一体とした 調和をとりつつ 融合させようというのです。  異質な物を取り合わせるのですから 「調和と融合が最重要であることを肝に銘じて 心して臨むように」 と珠光は述べています。

 

この文章だけを読むと 和漢のさかいを紛らかすことの重要性を説いた最初の人物は、珠光であるかのような印象を与えます。 

  

しかしそうではなくて、 文芸の世界においては 和漢連句 という 連歌にも似た 楽しみかたが 珠光の時代には既に存在していました。   和漢連句とは、複数の人が集って 上の句を和歌で詠んだら 下の句を漢詩でつなげ、更に 和歌と漢詩を繰り返しながら 融合した世界を生み出そうとするものです。

 

珠光が 和漢の境を取り払い  洗練された美意識を展開しようとしたのは、 この時代の文芸に 発想の原点があると考えられています。