点前を終えて水屋に戻ってきた 茶杓の画像です。   同じ茶杓でありながら、2枚の画像を見比べていただくと 一方には 樋 (窪み) に お茶が残っているのが分かります。
 

 

   


   
    
亭主は 点前を始める前に 水屋で 十分に清めた道具を茶室に持ち出しています。   そして 皆さま よくご存じのとおり、 お茶を点てたり  お客様に道具を お目にかけたりする時には  それを更に お客様の面前で清めています。  

初心者が 点前を学ぶとき 「何故 その動作をするのか」は あまり考えず、  順番を覚えることに集中しがちです。  それが高じると   順番を 間違えずに 一服点てることが出来ると、大きな喜びと 達成感を覚えるようになります。   間違えないことが 最大の目的 になってしまうんですね。   でも これは自己満足にすぎず、 点前の あるべき姿からは  大きく外れています。
 
表千家の点前は 無駄を 徹底的に省くところに特徴があります。    すなわち、いかなる点前の型にも 単なる パフォーマンスは 存在しません。  道具を清める時には「 お客様に 汚れのない 道具をお目にかけたい」など、 何らかの意図があって清めているので、 樋にお茶が 青々と残るような拭き方をしたとするならば、それは単なる「無駄な動き」「不必要な動作」ということになってしまいます。    

画像に残した 茶杓は  同じ日の稽古で用い、点前の最中に 何度か帛紗で清めた物です。      この結果の差は どこから 生じたのでしょう。      点前をした人の 技術の差でしょうか?  
   
いいえ。   意識の差です。  
「清める」 という 動作に対する 意識の差が  技術の差となっています。   


茶杓の 基本的な清め方は、平を拭いて、脇を拭いて、もう一度 平を拭く という三度拭きです。  でも「ただ三回茶杓を撫でればよい」 というほど 単純ではなく、樋の深さによって 帛紗を持つ手の指の角度を変えています。  それでも清め切れなかったら、 どうぞもう一度 拭き直してください。  
大切なのは、込めた心を  いかに 茶杓にのせて表現するか  ということです。   


ここまで言うと  絶対に聞こえてくる 言い訳の声。
「近頃 目が見えなくて・・・   遠くの物ならよく見えるんだけど・・・」 

違うのよemoji
    
例え稽古であっても  道具は 点前が 始まってから 初めて 見るのでは なく、 水屋で 準備をする段階で よくよく 観察し その特徴を捉えておきます。      茶碗や 棗だったら 「正面はどこか」  とか、  茶杓だったら「 腰の 反り具合や 樋の深さはどうなっているのか」「茶入れや 茶碗に乗せたときの相性はどうなのか」など。   
そして 点前を始めたら その特徴に合わせた 道具の扱いを心がけるようにお願いします。