居宅のころに、
施設ケアマネ不要論のような記事を読んだ記憶があります。
確かに施設はケアプランがなくても回ります。
しかし、私が今日言いたいことは、
同じ不要論でも私の存在不要論です。
末期癌で寝たきりの女性が昨日眠るようにご逝去されました。
まだ59歳。
妹二人とお母さんは毎日のように面会に来ていて、妹さんの一人はオーストラリアから一か月に二回も面会に来ました。
その方にとって、私という存在は不要なのかもしれない、そう感じました。
ケアマネがいなくても家族がいる。
介護と看護と医師がいる。
悪い意味ではなく、その方の人生にとってケアマネは不要なのだ、
それでいいのだと、ネガティブではなく感じた一日でした。