●憲法9条は自衛権行使のための軍隊の保持と軍事力の行使を認めています。現行の9条解釈(軍隊の保持はできない)は違憲であり、だから無効です。政府は憲法に支配されるのであり、「お上」ではありません

 

 (1)日本では正しい憲法教育は行われず、逆に誤った憲法教育がなされています。国家・地方公務員試験でも強制されていきます。憲法とは、政府と国民との統治契約書であり、政府(行政府、立法府、司法府)は憲法に支配されて国政をする義務があります。それをしない政府は契約違反を犯しているから、国民によって交代させられます。「法の支配」とはこういうことです。政府はこんなことは隠して教えません(後述)。憲法9条は外国の侵略、攻撃から国と国民の安全を守るために、自衛権行使のための軍隊の保持と軍事力を行使することを認めているのですが、政府は、「憲法9条は軍隊の保持を禁じている」と反日解釈しています。政府のこの解釈(閣議決定)は違憲ですから、無効です。これが法の支配です。

 

 私は上記のことを主張する言論活動を続けてきました。しかし、残念ながら、完全に無視されています。このままでいくならば、日本は独裁侵略国家の中国・ロシア・北朝鮮・イランによる軍事侵略によって、国家存亡の危機に直面することになってしまうでしょう。私が主張してきたことは、本来であれば全ての知識人と国民が大きな声をあげていかなくてはならないことなのです。

 

 (2)国連憲章によって戦争一般が違法化されました。自衛権(国連憲章51条)は国際法に属するものです。自衛権に基づく軍事力の行使は、国連憲章が違法とした「国権の発動たる戦争」ではありません。日本国憲法9条1項は、国連憲章によって違法とされた「国権の発動たる戦争」と、「国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使」(これは国連憲章2条4項が禁止したもの)を、永久に放棄しました。しかし、自衛権に基づく軍事力の行使は放棄していないことは、条文で明らかです。だから、日本は自衛権に基づく軍事力を行使することができます。また、9条1項は国連の集団安全保障措置の「軍事措置」(国連憲章42条)を放棄していませんから、日本はこのための軍事力を行使することができます。

 

 日本国憲法の草案を作ったのは、米国・GHQ(連合国軍最高司令官司令部)ですが、GHQは憲法9条1項案で、前述のように「戦争(war)を放棄する」としましたから、9条2項案を、「陸海空軍その他の戦争潜在力(War potential)は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としたのです。すなわち、戦争するための陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、という意味になります。また戦争を放棄したのだから、「国の交戦権を認めない」のは当然のことです。だから、自衛権を行使するための陸海空軍その他の戦力の保持はできる、となります。また、国連の集団安全保障措置の軍事措置を行うための軍隊も、保持できるとなります。このように、9条1項2項案は国連憲章と完全に一致しています。GHQは既に成立している国連憲章(1945年10月)に則して憲法9条案を起草しましたから、当然のことです。GHQはさらに憲法98条2項「日本国が締結した条約及び確立した国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」も定めました。憲法9条と憲法98条2項は完全に整合しています。

 

 ところが、GHQから1946年2月13日に日本国憲法草案を受け取った日本政府の外務省は、9条2項案の「その他のWar potential」を、「その他の戦力」と和訳してしまったのです。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」。こうなると、あらゆる目的のための軍隊は保持しない、という意味になってしまいます。実際、吉田首相は1946年6月25日の衆議院本会議における9条の法案説明で、そのように述べています。6月28日の答弁でもしかり。

 

 しかし、GHQのケーディス大佐が8月1日に、憲法改正小委員会委員長の芦田均氏にアドバイスして、9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」の文言を挿入する修正を行わせていたのです。「芦田修正」と言われるものです。この芦田修正により、9条2項案は「前項の目的を達するため(違法化された戦争を放棄するため)陸海空軍その他の戦力(=戦争潜在力)は、これを保持しない」と読むものになり、GHQの9条2項案と同じものになったのでした。そして、これが可決成立したのです。

 

 (3)日本は連合国と講和条約を結び主権を回復すれば(講和条約=平和条約の締結は1951年9月8日であり、発効=主権回復は1952年4月28日)、憲法9条によって自衛権行使等のための軍隊の保持と軍事力の行使ができるようになりました。そのために、1951年1月に来日した米国の全権特使のダレス氏は、吉田首相に対して、1954年3月までに憲法9条、98条2項によって32万5000人から35万人の陸軍を作ってくれるように要請しています。アメリカは戦争中から、日本を第2次大戦後のアジア地域における米国の中核となる同盟国にすることを考えていましたから(日米には長い友好の歴史がありましたし、日本国民もアメリカが好きでした)、他の連合国の批判を抑えて、天皇制度を守りましたし、憲法前文、憲法99条(憲法尊重擁護の義務)、9条、98条、11条(基本的人権の享有)、13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)等も定めていきました。ダレス全権特使の吉田首相への要請も、この一環です。日米の強力な共同防衛の準備のためです。

 

 1951年9月8日、「連合国と日本国との平和条約」が締結されました。連合国はその第5条(C)で、「日本が国連憲章第51条の自衛権を保有すること、日本が集団的安全保障取極を自発的に締結できることを承認する」としました。「自衛権を有する」とは「自衛権を行使できる」ということです。主権国家は自衛権を軍隊によって行使します。連合国は、日本が憲法9条と憲法98条2項によって軍隊を持てること、軍事力を行使できることを明確に認めているのです。9月8日、日本とアメリカは集団的安全保障取極である「日米安全保障条約」も締結しました。日米安保条約は、両国が集団的自衛権で相互防衛するものです。

 

 (4)平和条約の第5条(a)は、「日本国は、国連憲章2条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する」であり、その(ⅲ)は「国際連合が憲章に従ってとるいかなる行動についても、国際連合にあらゆる援助を与える」です。 憲章42条は「軍事措置」であり、安保理決議による「軍事制裁措置」に加盟国が軍隊をもって参加する義務を謳っています。日本は1952年6月に国会の承認を経て、国際連合に加盟申請をしています。一切の留保をつけていません。日本は憲法9条によって、国連の集団安全保障の「軍事制裁」のための軍隊を保持できるし、そのために軍事力を行使できるからです。日本は1956年12月18日に 加盟が承認されました。日本政府は国連に対して、自衛隊(1954年7月1日創設)を軍隊であると説明しているのです。

 

 (5)GHQのトップのマッカーサー元帥は1950年元旦の「日本国民に告げる声明」で、「憲法9条は相手から仕掛けられた攻撃に対する自己防衛のおかしがたい権利(自衛権行使)を否定したものとは絶対に解釈できない」と明言しています。 同年7月には日本国民に向けて、「憲法9条は自衛のための軍隊の保持を禁止するものではない」と言明しています。

 

 以上の論証で、日本が主権を回復すれば、自衛権や国連の集団安全保障のための軍隊を保持し、軍事力を行使することができる事は明白です。憲法9条、憲法98条2項です。

 

●吉田茂内閣の1952年11月25日の憲法9条に関する統一見解(自衛目的であれ軍隊の保持を禁止する)は、憲法違反の閣議決定であって無効です

 

 (1)吉田内閣が1952年11月25日に、参議院予算委員会で述べた統一見解(閣議決定)はこういうものです。「一、憲法第9条2項は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず、『戦力』の保持を禁止している。一、右にいう『戦力』とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいう(中略)。一、『戦力』にいたらざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない。このことは、有事の際、国警の部隊が防衛にあたるのと理論上同一である。一、保安隊および警備隊は戦力ではない(後略)」。

 

 憲法9条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない(後略)」です。「その他の戦力」とは、例えば海兵隊とかロケット軍とかですが、ともかくも「戦力」が、「様々な軍種の軍隊」を意味していることは明らかです。そして統一見解の1つ目の文を見てもらえればわかるように、「9条2項は自衛目的の戦力(軍隊)の保持を禁止している」と言っていますから、違憲(憲法9条および98条2項違反)の決定(閣議決定)であるのは明らかです。だから憲法98条1項の規定により、無効の閣議決定です。憲法98条1項「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為〔閣議決定はこれに当たります―大森〕の全部又は一部は、その効力を有しない」。読者の方々はこのことを深く認識してください。

 

 (2)その後の歴代内閣も、この統一見解の1つ目を堅持していきました。本当に日本という国は、憲法の支配(法の支配)を無視する国なのです。また、3つ目も継承されていきましたし、2つ目の「戦力」の定義も修正して受け継がれていきました。ただし、意味がよくわからない表現になっていきます。

 

 自衛隊は吉田政権の1954年7月1日に創設されました。吉田政権から代った鳩山一郎政権は1954年12月10日に発足しましたが、鳩山内閣では林法制局長官が、1954年12月21日の衆院予算委で、「自衛隊は、9条2項におきます陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力には、これは当たらない」と答弁しました。すなわち、自衛隊は戦力(軍隊)ではない、と。そして「憲法が今の自衛隊のごとき、国土保全を任務とし、しかもそのために必要な限度において持つところの自衛力というものを禁止しておるということは、当然これは考えられない」と答弁して、自衛隊は合憲であると述べています。この部分は、吉田内閣の統一見解の3つ目の「戦力にいたらざる程度の実力を保持し云々」を受け継いだものです。また、2つ目の「戦力」の定義を修正して受け継いだものです。意味がよくわからない言い方になっていますが。

 

 さらに、鳩山内閣後の内閣によって、「政府は昭和29年12月(1956年12月)以来は、憲法9条2項の戦力の定義といたしまして、自衛のため必要な最小限度を超えるものという趣旨の答弁を申し上げています」となっていきました。これは1972年11月13日の田中内閣の吉国法政局長官の答弁です。こうして、「自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力組織であるから、憲法に違反するものではない」となっていきます。

 

 (3)以上のようにますますわかりづらい定義になっていきますが、明確なのはどの内閣も憲法9条2項を、「自衛権行使や国連の集団安全保障措置のための戦力(軍隊)の保持を認めていない」と反日解釈していることです。自衛隊は戦力(軍隊)ではないとしていることです。したがって、これらの内閣の決定は憲法違反であり、無効であるのです。

 

●日本国民は国と国民の安全を守るために、政府に早急に閣議で国防軍の保持と自衛隊は日本軍である、と決定させていかなければなりません。日本は1日で軍隊を持てます。日本には国家存亡の危機が迫っているのです

 

 (1)はっきりさせたいと思いますが、もし本当に自衛隊が軍隊(戦力)ではない(実力組織である)ならば、自衛隊は自衛権は一切行使できません。国内法に支配されて行動する警察や海上保安庁は国際法の自衛権を行使できません。もし行使すれば、国際社会から一斉に糾弾されてしまいます。自衛権は国連憲章51条に載っているように、国際法です。国際法が各国に侵略を排除する自衛権を認めています。各国は軍隊によって自衛権を行使するのです。日本では、政府や自称識者が、自衛権は国家がもともと持っている基本権だと言いますが、それは19世紀の国際法です。1920年1月の国際連盟以降に否定された古い国際法です。

 

 各国が日本に対して「自衛隊は国際法違反だ」と批判を言わないのは、歴史をさかのぼれば、日本政府は国際社会に向けて、主権を回復すれば日本は憲法9条と98条2項に基づき民主的な国防軍は創建して、国際法(国連憲章等)を守る、平和愛好国家として行動していく、と誓約したからです。それが、連合国と日本国との平和条約(1951年9月8日調印、発効1952年4月28日)であり、また日米安全保障条約(旧条約)(同上)であり、また国連加盟申請 (1952年6月)と承認(1956年12月)でした。

 

 吉田内閣の統一見解(1952年11月)以降、日本政府は「日本は憲法9条2項によって、軍隊(戦力)を保持できない」と、日本国民に言ってきたのですが、国際社会に向けては「自衛隊は軍隊です」と言い続けているからです(日本国民にはわからないように)。だから、国際社会では自衛隊は軍隊として扱われています。それに、この統一見解は違憲であり、無効だからです。

 

 (2)日本政府は国民を騙してきたのです。また国際社会に対しても、軍隊をもつ主権国家として、当然行うべきことを行ってきていません。つまり、米国や国際社会を騙してきています。新・日米安保条約(1960年、岸信介首相)の「片務性」はその象徴です。また日本は安保理決議による多国籍軍による軍事制裁の戦闘行動には一度も参加していません。だから米国等々から批判されています。米国は日本政府に批判を提出しますが、日本は独立国家であって米国の保護国ではないので、それ以上はできません。日本国民が日本政府の誤りを変えていくしかないのです。

 

 (3)自衛隊が軍隊か、そうではない実力組織かは、日本国と国民の安全にとって決定的な問題です。現在の「実力組織」であれば(これは「現在の9条2項解釈であれば」ということです)、「憲法9条のもとにおいて許容されている自衛権の発動については、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」(1972年10月14日、田中内閣の提出資料)になってしまいます (実力組織なら本当は一切自衛権は行使できませんが、前述のごとく自衛隊は国際社会では軍隊と受け止められていますので、行使できます。でも、政府によって厳しすぎる制約をつけられているのです。政府の反日犯罪です)。これでは全く国と国民の安全を守れないのです!

 

 自衛隊が軍隊であれば(日本国内で)、日本は国際法の自衛権に基づいて米軍のような戦略的攻勢の軍事戦略と軍事作戦を持ち実行していくことができます。そのための装備を持てます。日本がもし主権回復後から国防軍を保持しているならば、北朝鮮によって繰り返されてきた拉致は起こっていないでしょう。起こったとしても、自衛権行使によって軍隊によって救出作戦が敢行されていったでしょう。日本軍による領海侵犯対処もなされるので、中国海警局による尖閣諸島の領海への侵犯も起こっていないでしょう。日本を軍事侵略したり、日本人を拉致したり、日本船舶を攻撃すれば、日本軍によって自衛権に基づいた強力な反撃がなされることになり、自国領内の軍事目標がミサイル攻撃や空爆にさらされることになり、大きな損害を被ることになるため、中国・ロシア・北朝鮮も、またイランも、日本侵略、攻撃を抑止されることになるでしょう。

 

 国際法秩序を守る国防軍を保持しようとしない国家(日本)は、異常国家です!「平和国家」とは他国を侵略しない国家であるとともに、自国と自国民に対する侵略、攻撃を決して許さない国家のことです。国と国民の安全を守るための精強な軍隊を持とうとしない日本は、平和国家ではありません。「平和国家」(転倒語法)を語りつつ、現在の自衛隊ですら解体や批判をする日本の反日左翼(共産主義勢力)が、「内なる侵略勢力」であることは明らかです。「違憲存在」ですから解体したり、国会や大学等から追放しなくてはなりません。

 

 (4)西側自由民主主義諸国が作り上げ守ってきた国際法秩序が、権威主義国家(侵略主義国家)の中国・ロシア・北朝鮮・イラン(またこれら4国の支援を受けるイスラム主義テロ組織のハマス、ヒズボラ、フーシ・アルカイダ)の力の増大によって、危機に瀕しています。現在は歴史の大きな転換点にあります。私たちは軍事力を強化して国際法秩序を守り抜いていかなくてはなりません!

 

 中国による台湾軍事侵略・併合が数年先に迫っています。そのとき、中国は在日米軍の台湾来援を阻止するために、日本にも軍事侵略攻撃を同時に仕掛けてきます。核ミサイルを離島に撃ち込み、「次は東京を狙う!日本は在日米軍に基地を使用させるな!中立を守れ!さもないと核攻撃する!」と警告してくるでしょう。日本がもし脅しに屈して中立政策をとれば、日米同盟を崩壊していきます。そうなれば、日本は中国・ロシア・北朝鮮・イランに容易に侵略されることになります。

 

 ウクライナの現実は数年先の日本の現実になり得るのです。しかし、日本政府にも国民にも危機感はまるでありません。逆説的ですが、日本は軍隊を保持してこなかったからこそ、軍事的に国際情勢を分析する思考は停止して、危機意識が形成できないのです。台湾でも韓国でも、敵国(中国、北朝鮮)の侵略が始まったとの想定で、国民規模で避難等の軍事訓練を実施していますが、日本では一度もなされたことはありません。政府はそんな訓練をすれば、野党から非難されると恐れてやらないのです 退官した自衛隊幹部にはそれを主張する責任がありますが、政府から批判されることを恐れて沈黙します。なによりも、元自衛官幹部は「日本は直ちに閣議決定によって軍隊を保持しなければ、国と国民の安全は守れないこと」を必死になって発言すべきなのに、批判を恐れて言いません。情けない限りです。政府を「お上」と思ってしまっているのです。「憲法の支配(法の支配)の思想」が欠如しているのです。

 

 私たちは一人ひとりが死に物狂いになって、憲法9条は自衛目的の軍隊の保持と軍事力行使を認めていること、現在の政府の憲法9条解釈は違憲であり、無効であることを、広く宣伝して共有を図り、閣議で国防軍の保持と自衛隊を日本軍だと決定させていかなくてはなりません。この強力な国民運動を作り上げていかなくてはなりません。そして、精強な国防軍を作り上げていかなくてはなりません。国防国債を発行すればよいのです。私たちは米国・台湾その他の同志国と連携して、中国を軍事的に包囲して、中国の台湾軍事侵略・併合と同時になされる日本への軍事侵略攻撃を抑止していかなくてはならないのです。日本の存亡がかかっている戦いです。抑止が破れた場合は、必ず勝利せねばなりません。

 

●政府は「お上」ではありません。政府は憲法に支配されて国政を行う義務があります。これに反する政府は憲法違反であり、国民によって糾弾されて交代させられます。これは先進民主主義国の共通原理です

 

 (1)日本国憲法前文の1段落目は次です。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」。

 

 (2)この前段は、国民の多くが賛同するでしょう。しかし、後段の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって」を正しく理解している人はほとんどいないでしょう。そもそも、憲法前文を読んだ人は少数派です。なにしろ、日本では意図的に正しい憲法教育はなされていないからです。「お上」でいたい人たちがそうしています。

 

 「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とは、国民は自らが選んだ政府を信頼して、国政を託すという意味では全くありません。これでは白紙委任です。「信託」とは政府と国民とが契約関係にあることを示す概念です。つまり、政府と国民は「統治契約」を結んでいるのであり、その内容が憲法前文と各条項であるということです(篠田英朗教授。『憲法学の病』134、137頁参照。新潮新書2019年7月20日発行)。だから、政府(行政府、立法府、司法府)は憲法に支配されて国政(統治)を行う義務を負っています。憲法に違反する国政をしたら、例えば憲法9条に違反する閣議決定をして、その政策を実行したら、政府は契約に違反したのであり、国民によって批判され、糾弾され、交代させられるのです。政府は「お上」ではありません!日本国憲法は明治憲法とは、このように原理が全く異なっています。

 

 (3)「国政は国民の厳粛なる信託によるもの」という原理は、先進民主主義国の憲法に共通するものですが、日本では教育されていません。憲法違反がなされています。その象徴が憲法9条を否定して国防軍を保持しないことです。先進国では日本でのみ政府は「お上」です。だから、保守の知識人は自立しておらず、批判精神が弱く、政府批判ができません。政府の決定が「正義」になってしまい、従ってしまいます。もちろん、政府を批判すれば排除されてしまうので、保身でもあります。保守の国民は、「法の支配」(憲法の支配)の思想を獲得しなければなりません。それをしなければ、誤った政府を批判できなくなります。故・安倍首相は保守に偽装して、反日政策を推進してきた人物(反日左翼)ですが、保守の知識人のほとんどが彼の上辺の嘘言語に騙されて、実際になされた反日政策を批判できず、そればかりか最大限に持ち上げて評価してきたのでした。私の孤立はこのような保守世界の構造のためです(2023年12月3日アップの拙文参照)。

 

 (4)憲法に支配されて国政をする義務を負っている政府が、憲法の原理を否定し、敵の侵略から国と国民の安全を守るための憲法9条を否定しているのですから、政府が国民の基本的人権(11条、13条など)をちゃんと擁護するわけがありません。国民も政府を「お上」と捉えてしまい、「政府と統治契約を結んでいる。その契約内容が憲法だ」と認識できていないので、政府を批判し、戦っていくことができません。だから、基本的人権を守っていけません。日本の裁判官が平気で捏造証拠を排除せずに利用して、無理矢理、有罪認定をするのも(私の裁判もそうでした)、裁判官が憲法と刑事訴訟法に支配されておらず、公正な裁判を否定しているからです。

 

●お力を貸してください

 

 私の主張に賛同される方、また一部共感される方、ぜひお力を貸してください。また、思想的には私とはずいぶん異なるけれど、私が社会に向けて発言する機会は確保してあげたいという人道的立場の方も大歓迎ですので、ぜひお力を貸してください。政治主張を社会に向けて発言することができなくなると、私は生きる意味、意義を失ってしまいます。ご連絡をお待ちしております。

(2023年12月24日脱)