●現在のブログで政治論文を発表していくことが困難になりました。新ブログを開設し、管理人になって共闘していきましょうという方、ぜひご連絡いただけないでしょうか

 

 (1)私はこれまで、荒木和博さんにブログ等を開設し管理人になってもらってきました。荒木さんは思想や立場が根本のところで私と違っていましたが、それでも「大森氏は冤罪だと確信する」から、私の発言機会を確保するためにホームページ「大森勝久評論集」(2007年2月から)と、それを継承したブログ「新・大森勝久評論集」(2016年10月から)を開設し管理人になってきてくださいました。私の原稿の入力作業は、荒木さんの友人、知人などが協力してくださいました。荒木さんも入力してくださいました。これによって、私は自分の主張を自由に発信することができました。なお、ホームページの方は、ヤフーのサービス終了により2020年頃でしょうか、閲覧できなくなりました。

 

 ところが、ここに至っていろいろな点で、私と荒木さんたちとで違いが大きくなりまして、私の政治論文をこれ以上掲載してもらうことが困難になりました。裁判関連の文は別になりますが。

 

 私の生きる目的は、政治主張の文書を社会に発信して、日本国と国民の安全と日本社会の繁栄に少しでも寄与していきたいということです。それで、私は新しいブログの開設者・管理人を探すことにしました。荒木さんたちには心より感謝しています。

 

 (2)私の政治主張に賛同される方はもちろんですが、そうでなくても、私の政治主張に一定の意義があると考えられている方でもよいのです。私の発言機会を確保するために新ブログを開設して管理人になりましょう、共闘していきましょうという方は、ぜひ、ブログのタイトルの下に記されているメールアドレス(荒木和博様)にご連絡いただけないでしょうか。お名前とご住所をお伝えしてほしいのです。

 

 私は確定死刑囚(第3次再審請求中)ですので、外部交通権が制約されています。一般の人は直接私へ手紙を出しても届きません。私も出せません。「外部交通権者」に認められた人としかやり取りができません。荒木さんへ連絡してくだされば、荒木さんが私にあなたのお名前とご住所を知らせてくださいます。そうしたら、私が「外部交通権者になろうとする方」として許可を取って、私からあなたのご住所へ直接手紙を差し上げることになります。互いに2度ほどやり取りすれば、正式に外部交通権が認められることになります。あとは、自由にやり取りできます。

 

 (3)私が書くのは月に1回です。コクヨの「事務用箋ケイ29行」で8枚以内です。この入力のお時間が取れる方であれば、女性でも男性でも、若い方でも高齢の方でも、どなたでも結構です。現在はパソコンに音声自動入力機能(原稿を読み上げていく)がついているので時間を節約できるそうです。音声自動入力アプリを導入する方法もあるとか。入力後にざっとチェックしてくだされば、ちゃんとした校正は私がして、送り戻します。新ブログ名は「新・大森勝久評論集(その2)」とします。そして「ブックマーク」にお互いにブログを登録します。

 

 ご連絡お待ちしております。ぜひともお力をお貸しください。

 

●私が新ブログ開設者・管理人という共闘者を求める理由

 

 (1)私の政治主張は日本においては超少数派です。それは、自由民主主義国の根本原理である「法の支配」の思想が、日本においては欠如しているためです。そのために、日本政府と国民の思想性がとても情けない状況にあるためです。日本国と国民は本当に、国家存亡の瀬戸際にいるのですがその危機感が欠落しています。独裁侵略国家中国による台湾武力併合が迫っています。中国はその時、同時に日本を武力攻撃してきます。核ミサイルを離島に撃ち込み、「次は東京だ」と威嚇するでしょう。残された時間はほとんどないのです。

 

 (2)私は2023年8月10日アップの拙文「中国は台湾・日本を侵略する。自衛隊の専守防衛では国を守れない。閣議決定で軍隊を持て!」、7月20日アップの拙文「もはや時間はない。日本は国の安全と独立を守るためにやるべき改革を断行せよ!」を社会に発信しました。知識量も少なく拙い文ですが、今の日本において、この内容をかける著名人・識者は残念ながらいないと思います。もし、影響力を有する著名人が何人も現れて、この文と同旨の主張をされていくならば、日本の思想的・政治的状況は急速に大きく変わっていくでしょう。それを願って、私は孤立の中で主張を続けてきました。

 

 「法の支配に基づく国政(外交・軍事・内政)」を守らない政府とその政策は、国民によって「法の支配」(国と国民の安全を守ること。生命、身体、財産、自由・権利を守ること)の立場から、批判され、糾弾されて、改革されなくてはなりません。だから私は、この国民の法的義務を果たすために主張してきました。だけど、前記のとおりです。私は主張を続けていかなくてはなりませんが、前節で述べたように、私は政治主張の論文を書くことが困難になりました。これが私が新ブログ開設者・管理人を探す理由です。どうかお力を貸してください。共闘していきましょう。

 

●私は左翼時代、日本に対する侵略者であり、反日武装闘争をめざしていたのですが、本件の道庁爆破の犯人ではありません

 

 (1)私は1976年当時(東アジア反日武装戦線による道庁爆破は1976年3月2日です。死者2名、負傷者81名)、反日爆弾闘争をめざし、その準備も部分的に進めていました。爆弾を製造するための材料(木炭や硫黄粉末)を入手し、工具や器具を入手し、爆体となる消火器も盗み出したりしていました。しかし、混合爆薬の主剤である除草剤(塩素酸ナトリウム。純度98パーセント以上)は未入手でした(道庁爆破は除草剤を主剤とした混合爆薬です)。私は犯人ではありません。

 

 道警は実に多くの証拠を捏造して、私を犯人に仕立て上げて逮捕し、検察官も証拠を捏造して起訴し、裁判官は捏造証拠を使って有罪判決を下していったのでした。証拠を捏造しなければ、私を逮捕することはできませんでした。これは、国家機関による明白な刑法違反犯罪です。私は無実であり、冤罪です。ただし、私は「善良なる市民」ではありませんでした。上記のように反日爆弾闘争をめざしていましたから、もし逮捕されなければ姿を隠して、どこかで日本に対する戦いを実行していた人間でした。だから、主体的な意味においては、真犯人と大差はありませんでした。私は道庁爆破をやっていないという意味では無実ですが、日本に対する反日武装闘争をめざしていた点では、日本に対する侵略者であり、「有罪存在」でした。この認識はもちろん保守に転向してからのものです。私は思想変遷の末に、やっと1996年後半に「普通の自由民主主義者」の立場に立てるようになり、1997年後半に「法の支配を守る真正な自由民主主義」(=保守)の思想を持てるようになりました。

 

 (2)転向した私が何よりも優先してやらなくてはならないことは、誤った左翼時代の生き方と戦い(運動)を自己否定して、真正な自由民主主義(=保守)の立場に立った言論活動(戦い)を行っていくことでした。日本侵略を狙っているロシア・中国・北朝鮮への糾弾、日本内部の侵略勢力たる反日左翼(共産主義勢力)への批判、また大東亜戦争(1937年~45年)を支持し、同盟国・米国を非難している反米民族派への批判、そして何よりも法の支配に基づく国政(外交・軍事・内政)をしていない日本政府への批判を、文にまとめて社会に提起していくことでした。そうすることで、自国の安全と存立を守り抜いていける強い日本と国民を創っていくことに、少しでも多く寄与していくことでした。

 

 私は勉強し考え、『大森勝久論集1』(1998.10.20)同『論集2』(99.2.7)、同『論集3』(99.5.15)を出しました。政府や保守のメディアや識者へ送りました(共闘者から)。論集1に掲載した3つの論文タイトルは次です。「私は真正な自由主義(保守)へ転換した―社会主義は自由ゼロの超不平等体制になる」、「戦前の『軍国主義時代』は社会主義時代だった―隠れ共産主義者による謀略の大東亜戦争」、「ソ連=ロシアの『大退却』戦略に騙されるな!―ロシアは21世紀にユーラシア大陸の制覇を狙う」。論集2の2つの論文は、「憲法9条は自衛権行使の戦力(軍隊)の保持を容認している」、「北朝鮮の特殊部隊は皇居と国会等の武装占領(人質作戦)を狙う」。論集3の2つの論文は、「国防こそ政府の最大の責務である!」、「憲法9条を正当に解釈せよ!―日本は個別的自衛権・集団的自衛権とその軍隊を保持している」でした。私は左翼時代から、ソ連、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなどの社会主義国を、民主主義を否定する独裁主義支配国家で侵略国家だとして、その解体を主張する超異端派でした。

 

 私は1997年半ばから、政治学者の中川八洋教授の思想、主張の正しい部分を積極的に学び、吸収していきました。誤っていると思う部分は、もちろん私自身の見解で思想を形成していきました。『論集』もそういうものでした。私は2014年5月までは、中川氏の正しい主張については自分の論文で積極的に援用してきました。しかし、それ以降は中川氏からは完全に距離を置いています。批判すべき点もかなりあります。面識はありません。

 

 『論集』には裁判のことは全く書いていません。論集2を出した後ですが、産経新聞の某記者が、公安当局の話という形を取って、「大森死刑囚は死刑を免れるために保守の主張を始めたのではないか」という主旨の記事を書いたのでした。私の保守の主張を貶める意図があるのは明らかでした。反米民族派系の人かもしれません。それで、私は社会の人々に自分の主張を色メガネをかけずに読んでほしいと考えて、『大森勝久論集3』は出しましたが、作り直して『日本と自由世界の安全保障』というタイトルの小冊子にしました。大森勝久の名前は伏せて、「渡辺隆」というペンネームにしました。また1999年5月から、同タイトルのホームページをインターネットでも流していきました。保守の論文ばかりを書いていました。

 

 共闘者の事情により、『日本と自由世界の安全保障』の小冊はNo.20(2005.4.10)で終わりになり、同ホームページも2006年1月で終わりになりました。そして2007年2月から、荒木さんに開設者・管理人になっていただいたホームページ『大森勝久評論集』が始まったのでした。なお、この2月に先のホームページはタイトル名を『日本と自由世界の安全保障研究会―大森勝久』に変更しました。リンクでつなぎました。現在も閲覧することができます。

 

 (3)大森勝久評論集には、政治論文のほかに、裁判所へ提出した文書(でっちあげ粉砕、再審開始決定を求める)も載せていきました。2006年に裁判所へ出した文書からです。また私は古い友人に、裁判専用ホームページの『北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)』を立ち上げてもらいました。2009年9月からです。2016年10月に終了しました。リンクでつなぎました。『新・大森勝久評論集』(ブログ)でも、政治論文のほかに、裁判関連の論文も数は多くはありませんが書いてきました。また、裁判所へ提出した文書も載せてきました。

 

 裁判専用ホームページの最初の文として、私は「北海道庁爆破裁判―私は無実である」(2008年7月10日脱)という長文(4万4000字位)を掲載しました。捏造証拠を具体的に批判・粉砕しましたし、無罪証拠についても書きました。

 

 私は、当時、反日爆弾闘争をめざしていたのであり、でっち上げ逮捕され、有罪判決を受けたことで、自分の誤った反日テロルを防いでもらったわけです。また獄中で沈思黙考することができたことで、左翼思想の誤りを認識できるようになり、転向できるようになれたのでした。そのように書きました。だから私は、当時のでっち上げ逮捕とでっち上げ裁判を恨む気持ちは全くありません。そのことも書いています。

 

 ただし、それは私個人に関することであり、捜査における証拠捏造や、捏造証拠を信用できる真正な証拠として有罪認定に用いる裁判は、憲法違反、法律違反です。許されない犯罪です。国家権力がそれをやっていったら、一般刑事事件でもしばしばなされていますが、「法の支配」という文明国家の根幹が崩壊してしまいます。私はもはや日本国家と国民にとって危険な存在ではなくなったのです。裁判官には、憲法と刑事訴訟法に支配された公正な裁判を行う義務があります。でっち上げ証拠は排除されます。つまり「犯罪の証明は全くない」のですから、私は無罪です。裁判所は再審開始決定を出さなくてはなりません。このように主張しました。裁判所へ出した文書でも、『新・大森勝久評論集』に書いた裁判関係の論文でも、同様の主張を行ってきました。例えば、最近の2023年3月17日アップの文、同年5月30日アップの文です。ブログの最初の頃の文(2016年11月8日アップ)にも書いています。

 

 (4)みなさんはこれらの裁判関連の文を読まれたでしょうか。私の政治主張に賛同したり、部分的に共感してくださる方は、多くはなくてもそれなりにいると信じています。しかし、直接私に関わることは避けていると思うのです。それは、2021年6月3日からブログタイトルの下に、「原稿入力にご協力いただける方はご連絡いただけないでしょうか」との「お願い」を入れてきたのですが、今日までご連絡はなかったからです。また、1年間ほど、拙文の最後にもそのお願いを書いてきました。2022年10月22日アップの文では、短い入力ご協力のお願い文を書きました。でも、ご連絡はありませんでした。

 

 その理由のひとつは、やはり私が元反日過激派左翼の死刑確定囚(1994年9月6日に死刑確定)であるためだと思います。(2)項の後半に、私は1999年5月から2007年2月まで、渡辺隆のペンネームを使って『日本と自由世界の安全保障』というホームページで保守の論文を書いていたことを書きましたが、2000年代前半までに2、3人の方が「主張に賛同します」というメールをホームページ管理人に寄せてくれたのです。私は渡辺の名前で間接的にやり取りをして、「共に頑張ってやっていきましょう」となりました。でも、私が本名と死刑確定囚であること、再審請求を準備していますとか、再審請求中ですと伝えますと、メールアドレスがすぐ変えられて、こちらから連絡ができなくなってしまいました。第1次再審請求は2002年7月30日です。ただし、この時点では保守の人は私の裁判についてはマスメディアの報道によってしか証拠に関する知識はありませんでした。私は保守になってからはまだ裁判については書いていなかったからです。

 

 (5)保守の人たちは、「大森氏は自分は犯人でないと言っているが、それを証明する確固たる証拠はないのではないか。大森氏は犯人かもしれない。少なくとも怪しい」と思うから、私には直接関わらないようにしているのかもしれません。関われば人々の自分を見る目も変わってしまうと危惧しているのでしょう。

 

 私が逮捕されてからは、北海道で東アジア反日武装戦線による同じような爆弾闘争は起こっていません。また、真犯人がマスコミに「大森氏は無実だ。証拠を捏造されて犯人に仕立て上げられたのだ、直ちに釈放せよ!」という声明文を送りつけたという事実もありません。そういう報道はなかった。これは「周知の事実」です。保守の人たちは、これらから前記のように考えるのでしょう。しかし、本件事件は1976年3月2日です。私が証拠を捏造され、しかも無効の逮捕状で別件で、でっち上げ逮捕されたのは8月10日です。私は9月1日に処分保留で釈放されて、同日の9月1日に本件ででっち上げ逮捕され、起訴されたのは9月23日でした。半年後です。その間に真犯人が急病で倒れて死亡したか、交通事故に遭い重傷を負い、結局死亡することになっていたら、その考えは成立しません。ヤバイものがあるアパートは、家族が片付けて黙っている。また、真犯人は単に口をつぐんでいるだけかもしれません。戦いもやめた。

 

 付言しますが、検察官が「大森が逮捕されてからは、東アジア反日武装戦線の戦いは発生していない。また、真犯人が大森は無実だ、冤罪だとメディアに通告してきたこともない」と主張したこともありません。すれば、上のように反論されるからです。

 

●被告人や再審請求人は無実であることを証明する義務はありません。「犯罪の証明はない」ことを立証すれば、無罪です。刑事訴訟法336条です。「疑わしきは有罪」ではなく、「疑わしきは無罪」(336条)です

 

 (1)一般論で言いますが、犯人にでっち上げられた冤罪者であっても、アリバイを証明できる人はほとんど稀です。警察はちゃんとしたアリバイのある人は、犯人にでっち上げることはしないからです。被告人や再審請求人は「私は無実だ!」と主張しますが、裁判で戦っていくべきことは、でっち上げ証拠を具体的に粉砕して、「犯罪(公訴事実)の証明はない。だから、刑訴法336条によって無罪である」と主張していくことです。もちろん、アリバイ立証もしていきますし、その他の無実立証もしていきます。しかし、アリバイの証明や無実の証明までできなくても構いません。これらも加えて、「犯罪の証明はない」を明白に立証すればよいのです。そうすれば、裁判官は刑訴法336条(無罪の判決)「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言い渡しをしなければならない」によって、無罪を言い渡さなくてはなりません。再審請求の場合は、刑訴法336条、同435条(再審を許す判決・再審の理由)、同448条(再審開始決定)によって、「再審開始の決定」をしなければなりません。

 

 私もアリバイ主張とその立証をしましたし、無実主張とその立証もしてきました。後者は除草剤を未だ入手していなかったとの主張と立証です。だけど、これらの立証が完全な証明にまで至っていないとしても、問題はありません。検察官が行った有罪立証に対して、捏造証拠を粉砕して、「犯罪の証明は全くない」を明白にすれば、336条により無罪です。再審開始決定です。これに、アリバイ立証や無実立証の効果も加わることになりますので、より一層「犯罪の証明はない」ことが明白になって、無罪判決や再審開始決定になります。

 

 (2)「アリバイが証明された。無実が証明された。だから無罪判決だ。再審開始決定だ」ではありません。これだと「アリバイは証明されていない。無実は証明されていない。だから有罪判決だ。再審請求棄却決定だ」となってしまいます。つまり、「疑わしきは有罪だ」となってしまいます。冤罪事件における日本の警察、検察、裁判官の現実の立場はこれです。憲法と刑訴法と刑法を否定する立場です。国家機関による明白な犯罪です。

 

 この誤った立場を信じ込んでいるときは、「大森氏は私はやっていないと主張しているが、それを証明できる確固たる証拠ではないのではないか。大森氏は犯人かもしれない。怪しい証拠はいろいろあるのだから。だから有罪死刑判決は正しいのだろう」となってしまいます。

 

 繰り返します。「犯罪の証明がないときは無罪」です。被告人や再審請求人は無実であることを証明する義務はありません。「怪しいけど、疑わしいけど、犯罪の証明がないならば無罪」。これが刑事裁判の鉄則です。法の支配です。しかし日本では、裁判官、検察、警察によって、そして法の支配の立場からこれらをチェックできないマスメディアによって、「不利な証拠があり、無実を証明できないときは有罪である」という誤った観念が社会に流布され、国民を洗脳しています。そのために多くの冤罪者が有罪にされてきたのです。だが、「疑わしきは有罪」ではなく、「疑わしきは無罪」です。そればかりか、日本では裁判官は捏造証拠でも排除せず、信用性があると評価し、有罪認定に使います。司法では「法の支配」は否定されています。裁判官による犯罪です。私たちはこの司法を糾弾して改革しなくてはならないのです。

 

●お力を貸しください。ご連絡をお待ちしております

 

 私の政治主張に賛同したり、部分的に共感している方でも、私に直接的には関わられなかった理由は、これ以外にもあると思っています。それについても書かなくてはなりませんが、紙枚が無くなろうとしていますので、次回にしたいと思います。

 

 日本には「法の支配の思想」がありません。法(正しい憲法条項)は政府を支配し、国民を支配します。法の支配がない日本では、政府(行政府、立法府、司法府)は「お上」になって、逆に法(憲法)と法律を支配してしまっています。恣意的に解釈していきます。憲法9条はGHQの9条案そのものが、また1946年8月1日の芦田修正によっても、自衛権行使のための軍隊の保持を認め、軍事力の行使を認めています。しかし、政府は9条を反日解釈して、軍隊は持てないとしています。法を否定する政府は、国民によって糾弾され、交代させられなければなりません。軍隊を持たなかったら、日本はアメリカのように戦略的攻勢の報復的反撃の軍事作戦が行えず、中国・北朝鮮・ロシアの日本侵略を抑止することができません。中国による日本軍事侵略が迫っています。政府が日本国憲法の中核である本来の憲法9条を否定しているからこそ、司法においても、裁判官はまさしく独裁官のように、憲法と刑訴法を無視した証拠評価と事実認定をしているわけです。

 

 私は政治主張をしていかなくてはなりません。私は保守の識者といわれる方が主張していないことを、主張してきました。本当ならば、多くの識者が主張しなければならないことなのですが、日本においては法の支配の思想が獲得されていないために、保守の側からの深い政府批判はタブーになってしまっているのです。これを突破しなくてはなりません。日本を守るために。

 

 お力をお貸しください。ご連絡お待ちしております。

(2023年10月8日脱)