彼がいかに屁理屈屋であるかは、母親との会話をみればよくわかる。「あなたが言ってるのは、屁理屈なのよ」、「それを言うなら、『論理的』って言ってよ」、「そういう意味じゃない!」、「ということは、『屁』のところに意味があるってこと?」、「そうよ」、「だったら、『屁』だけ言ってくれればいいのに・・・」、「ばか」、「だって『屁理屈』と『論理的』が違うものなら、『理屈』の部分は無意味でしょ。『屁』にだけ意味があるんでしょ。 ・・・ だったら『屁』って言えば十分じゃん」、「そういうのを屁理屈っていうのよ」。 「『屁』だけじゃ言いにくいなら、 『うんこ』って言ってもくれてもいいんだけど・・・」。この時点で母親は呆れてものが言えなくなる。
いつもこの調子なのである。「バカと天才は紙一重」というが、彼は確かに紙一重の付近に位置していた。そうは言っても多くの人は、彼のことをバカの方に分類したに違いないのだが。
・・・ なんとなく書いてみた。
「屁理屈」という 言い方 は理屈そのものを否定しているのだから、その言葉を発した瞬間に議論は終わりです。
・・・その理屈のどこがおかしいのか指摘してよね。それさえやれば、もう「屁」をつける必要は無くなるし。
・・・追加した。