福沢諭吉の統計学 | 感じる科学、味わう数学

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科学は、自然そのものというより、モデルです。数学は、関係性を捉える枠組みです。
だから、正しいか否かより、大事なのは視点です。

(慶応大学商学部2010年度 「論文テスト」 より)
<問> 以下の文章を読み、後の問1~問4に答えなさい。
 
 福沢諭吉の 『文明論之概略』 には、彼が統計学に関心を持っていたことをうかがわせる次の叙述がある。「 商売に於 (おい) て物を売る者は、これを客に強いて買わしむべからず。 これを買うと買わざるとは全く買主の権に在り。 然 (しか) るに売物の仕入 (しいれ) を為 (な) す者は、大抵 (たいてい) 世間の景気を察して常に余計の品を貯ることなし。 米、麦、反物等は腐敗の恐 (おそれ) もなく或 (あるい) はその仕入に過分あるも即時に  ①  を見ずと雖 (いえ) ども、暑中に魚肉又は蒸菓子 (むしがし) 等を仕入るゝ者は、朝に仕入れて夕に売らざれば立 (たち) どころに全損を蒙 (こうむ) るべし。 然るに暑中試 (こころみ) に東京の菓子屋に行き蒸菓子を求れば、終日これを売り、日暮に至れば品のありたけを売払 (うりはらい) て、夜に入り残品の  ②  せしものあるを聞かず。 その都合よきこと正 (まさ) しく売主と買主と預 (あらかじ) め約束せしが如 (ごと) く、彼 (か) の日暮に品のありたけを買う人は、恰 (あたか) も自分の便不便は擱 (さしお) き、唯 (ただ) 菓子屋の仕入に余 (あまり) あらんことを恐れてこれを買うものゝ如し。 豈 (あに) 奇ならずや。 今菓子屋の有様は斯 (かく) の如しと雖ども、退て市中の毎戸に至り、一年の間に  ③  蒸菓子を喰 (くら) い、何 (いず) れの店にて幾許 (いくばく) の品を買うやと尋ねなば、人皆これに答ること  ④  べし。 故に蒸菓子を喰う人の心の働 (はたらき) は一人に就 (つい) て見るべからずと雖ども、市中の人心を一体にして之 (これ) を察すれば、そのこれを喰う心の働には必ず定則ありて、明 (あきらか) にその進退方向を見るべきなり。」
 福沢諭吉の時代のようにまだ経済が貧しく品物が貴重だった時代と、賞味期限切れの残品の大量廃棄が問題となる現代という時代の違いこそあるが、在庫管理の基本的な問題は同じである。 菓子屋のお菓子を例に、現代の統計的決定理論による適正仕入れ量の問題を考えてみよう。
 売れ残ったお菓子は腐敗し、廃棄される。 それは仕入れが多過ぎたことを意味し、そのとき店は多過ぎた仕入れ分だけの金額のコストをこうむる。 お菓子1個あたりのオーバーストック・コスト (CO とする) は、1個あたりの仕入原価である。 これに対して、仕入れが少なすぎると早々に売り切れて、その後に来たお客に売りそこねてしまう。 このとき、もし品物があれば実現したであろう売上げ利益 (=販売価格-仕入原価) を得られなくなる。 その損失を 「アンダーストック・コスト」 といい、お菓子1個あたりのアンダーストック・コストをCU と表すこととする。 どれだけの量を仕入れるかによって、これらのコストが発生する可能性 (確率) は異なるが、それは次頁の表に示すような需要の確率分布がわかればそこから求めることができる。
 仕入れ量が少ないうちは全部が確実に売れてしまうが、仕入れ量がだんだん多くなると売れ残りが出る確率が大きくなっていく。 いま、仕入れ量をある量 x から1個増やすかどうか、すなわち (x+1) 個を仕入れるかどうかという問題を考える。 その増やした1個が売れ残るのは需要がx個以下しかなかった場合である。 需要を y で表すとき、y が x 個以下である確率 P(y≦x) が、増やした1個が売れ残る確率を示す。 すなわちコストCO が確率 P (y≦x) で発生するということであり、両者の積であるCO×P (y≦x) を 「期待オーバーストック・コスト」 という。 他方、仕入れ量を1個増やさずに x 個のままにした場合、その1個が仕入れ不足になるのは需要が (x+1) 個以上であった場合である。 その確率 P (y≦x+1) は  ⑤  と書くことができ、この確率とCU の積が 「期待アンダーストック・コスト」 である。
 期待オーバーストック・コストと期待アンダーストック・コストを比較し、前者の方が大きければ、1個増やさない方がよい。 逆に後者の方が大きければ、1個増やした方がよい。 この議論から得られる一連の不等式を整理すると、以下の条件が成立する際に x 個の仕入れが最適であるという結論が得られる。
     P (y≦x-1) < CU/(COCU ) < P (y≦x) …(a)
1個70円で仕入れ、80円で売るケースについて考えてみよう。 このとき、CO , CU はそれぞれ  ⑥  円および  ⑦  円である。 需要の確率分布が下表のように推定された時、(a) 式に従って最適な仕入れをおこなう場合の仕入れ個数は  ⑧  個である。 現実には仕入れ量 x は品物の個数として整数値をとるが、連続量であるとして扱った場合、(a) 式は以下のように表される。
     P (y≦x) = CU/(COCU ) …(b)
最適仕入れ量xを示す上式の左辺は、最適な仕入れを行った際に 「残品が発生する確率」 を示している。
 
表.需要が y 個である確率 P (y) と個以下の累積確率 P (y≦x)
需要y(個)16以下171819202122232425以上
確率P (y)00.020.050.090.190.340.240.050.020
累積確率P (yx)00.020.070.160.350.690.930.981.001.00
 
問1.①~⑤に入る最も適当な語あるいは式を次の選択肢から選びなさい。
     ア 価 (あたい)    イ 能 (あた) わざる   ウ 顕 (あら) わる   エ 幾度 (いくた)
     オ 憶断       カ 完売         キ 奇ならざる    ク 然るに
     ケ 所見       コ 暑中に        サ 損亡        シ 咎 (とが) められる
     ス 腐敗       セ 補充         ソ 稀に        タ 利子
     チ 1/P (y≦x)   ツ P (y≦x)+1    テ P (y≧x)+1    ト 1-P (y≦x)

問2.⑥~⑧に入る最も適当な数字を答えなさい。

問3.需要の確率分布を統計的に推定するためのデータを収集するうえで、どのような方策が必要であるか、
   本文の福沢諭吉の叙述中から15字以内 (振りがなを除く) で最も適当な部分を抜き出しなさい。

問4.福沢諭吉の描く菓子屋の仕入れ方は、その当時の時代背景を考えれば、(b) 式によって表現される最適
   な仕入れ方と概ね一致すると考えられる。 その理由について、150字以内で論じなさい。 ただし、P (y≦x) ,
   CU , CO 等の式中の記号を用いずに論じること。
 

《 解答例 》
問1. ①   ②   ③   ④   ⑤ 
問2. ⑥ 70  ⑦ 10  ⑧ 19
問3. 市中の人心を一体にして之を察す  (15字)
問4. (略)