たまに聞くけど、巡り会う運命の人とか言うことがある。でも、これって、まさに脳間脳内操作(人間社会で脳と脳をコントロールし合って生きていること。)の表れだからね。コントロールしてきた結果、巡り会うわけだから。そして、それを「運命の人」と呼んだりする。

運命や宿命とか思う出来事の真相はこういうことね。

例えばの話、最初は価値観のすれ違いが多かったけど、いつもいるうちに仲良くなってたっていうことも結構多いし、逆に、価値観的に合うようにしようって思ってそれ通りにやってきても、案外全然良いことは無かったりなんてこともある。


だから、結婚っていうのも究極的には『どれだけ努力できるか、すなわち「努力すること」はHQなので、どれだけHQの能力があるか』これに尽きる。

例えば、価値観的には合わない人と結婚したとしても、どれだけそれをカバーしていくかがHQの高低の表れに出る。さすがに独特すぎる価値観だと本人もそれを気にはするだろうけど相手の努力ではカバーしきれないこともありそうだが、ちゃんと考えればわかるような価値観やそれ相応の努力で合わせられる(カバーできる)価値観を持つ相手であれば、はじめはすれ違いを感じてもいずれはハッピーエンドに繋ぐことはできる。

それが結婚生活における成功だろう。


やっぱ結局はHQの高低で成功不成功は決まるので、価値観が合うか合わないかよりもHQの高低をもっと意識したほうがいい。

例えば、脱北ユーチューバーのキムヨセフさんは、北朝鮮という独裁国家の地方民で生まれ非常に過酷で壮絶な人生を経てるが、現在は日本で平和に暮らしており結婚もしている。これはHQの高低が人生の成功不成功に最も深く関わっていることの証左といえよう。


北朝鮮といえば、正しい価値観を歪んだ価値観に塗り替えられる。誰もが幼い頃から「日本人は悪だ」「北朝鮮は素晴らしい国、金正恩は神様」などと教えられて育つ。それにも関わらず、キムヨセフさんは脱北と日本で暮らすことを実現しており、北朝鮮の歪んだ価値観によって作られた現実の情報をYouTubeで発信している。

つまり、ある価値観自体に問題があれば、その価値観を自分の手で塗り替えることができるというのがわかる。

その良い例が、脱北者の方々である。



話は変わるが、恵まれた能力・恵まれた環境のもとに生まれれば、それ相応の将来の兆しがあるので、それだけ慢心はできない。

逆に、低い能力・過酷な環境のもとに生まれれば、まずは能力をつけることなどをマイペースに自分の流儀で行える。


どちらにせよ、精神の在り方は全く異なってても、より向上していくための努力と心の持ち方などは変わらない。


世間では親ガチャというが、それには語弊があるのがわかる。なぜなら、それは生まれた瞬間の所だけしか見てないから。生まれた後、どのようにして育っていくかは親ガチャではわからない。それは武井壮が証明してることだし、Yoshikiにしても父親の自殺を経験してるが世界的な著名人として活躍している。

反対に、一軒家で車2台持ちで両親もいるのに息子は大人になっても引きこもりのニートなんて人もいる。未だに母親に面倒を見てもらってるのだから子供の頃に愛情が不足してたことも一切無く、しっかり愛情を持って育てられてきたのがわかる。

あるいは、生まれつき能力も高くて環境にも恵まれて、人生の全てに恵まれた人でも、だからといってもし慢心していたら、その意味では「底辺の成り上がりの人」よりも劣る。底辺の成り上がりとは、底辺である(だった)という事実があるゆえに、成り上がることを覚えたら止まらなくなることである。まさに俺がそれだ(HQの向上を完全に達成し、今もなお継続中)。

実際、政治家に不満をぶつける国民は少なくない。これは、高層な人たちだからこそ起こる現象ではないか。高層なゆえに慢心してしまうという現象のことだ。(平和ボケしていることと似ている。)こういう人は一度慢心してしまうと中々抜け出せない。政治家にはそういう人がいる。