小林賢太郎テレビをTSUTAYAで借りた。

といっても、近所の店にはどこにも置いてなかったのでネットレンタルなんだけど、

こう、なんというか、あの人の言葉にはどれも「ああ」とか「すげえな」とか
そういう肯定的な感情しか出てこない。

物事を考えるとき、直感というのも大事だけど、それはすなわち「安直」という言葉にも、時には互換される。

だから否定的に考えるというのも大事で、疑ってみたり、反例を考えてみたりして
そうやって咀嚼した上で飲み込む、ということを常に心がけている。

そうすると、いくら尊敬する人の言葉であっても、その否定的な考えに説得力が生まれることがあるのだ。


けれど彼の言葉に関しては、今のところそれが出てこない。


むしろ画面に向かって大きく頷いてしまうことのほうが多い。


確かにテレビ的なコメントというか、絵を撮るための言葉を選んでるのかもしれないけれど



まだKKTV3を観てないから、今晩ゆっくり鑑賞しよう。




今、自分の制作のほうにいまいちやる気が出なくて

遊びがてら友人に課題を出してもらった。

具体的には作曲だ。

時に、この「遊びがてら」というのが、ぼくにとって大きく成長できるチャンスをはらんでいる気がしている。


自分に課した制作や、他人からの依頼というのは、前者であれば「◯月◯日うp予定です!」とか宣言をしちゃうと尚更のこと、ある種の責任が生まれる。
その責任にはプレッシャーがつきまとい、依頼であれば自分のしたい事ができないストレスもあるかもしれない。

そういうマイナスなものをいくつも背負いながら、作品を仕上げなければならない。


しかしながら「遊びがてら」というのはそういったネガティブさがほとんどなく、
自分の赴くがままに表現できる。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、やりたいことをやっているその時にこそ、自分の能力は大いに伸び上がれ、発揮できる。

まさに自分はこのパターンで、「暇だから」と布団に入りながらポチポチ打ち込んだアレンジが、いざ公開してみたら好評だったり、
兄が僕の機材で遊んだ時偶然残していった、兄が歌った音源を利用してイタズラ心で始めた打ち込みが案外いい出来だったり、
そういうことが多々あった。
またその時に覚えた技法の中で、今では自分の中で定番化しているようなものもいくつもある。


小学校の頃から宿題提出できてなかった自分が、期限を定めて良くなるはずもなく
まあ当たり前っちゃあ当たり前のことだが、意識するかしないかでは違いがあると思うし

この「遊びがてら」というのを大事にしていきたい。


とどのつまり今僕は、能力向上のチャンスにあるということ。

…というかすでに色々発見できている。何しろ初めてのジャンルの作曲だから新鮮でおもしろい。


半ばこちらからの提案ではあったが、課題を出してくれた友人に感謝したい




ああ…はやく買ったモニタでデュアル化したい…