晴耕雨想 -4ページ目

インエクセスinxs4。

あぁ、インエクセスが長くなりました。

しかし。
そもそもの始まりはまえにも書きましたが、中学のころ。
『Listen Like Thieves』からです。

85年だから中3です。

あの頃はまだCD文化の前。レンタルレコード店なんかもありました。
カセットテープのダビングが大ブームで、ワタクシなんかは主に、みんなからテープでダビングしてもらいました。

そんで、インエクセス。

クラスで、同じ名字の女の子がいました。
(…ワタクシの名字は地元では多く、クラスに3,4人はいました)

その子はキリさん(仮名)。
音楽の時間は、必ずその子がピアノを弾いて、成績も優秀な女子でした。

その子が、当時話題になったばかりのインエクセスを持っていたんです。
多くの友達が、彼女に「ダビングしてぇ~」と頼んだ、と思います。(…記憶があやふや)
ワタクシも彼女にダビングをお願いしたところ、、

キリさん:「 オモイハナには、ちょっと早いかなぁ」

なんて言われてしまいました。


当時は『上から目線』というコトバはありませんでしたが、今になってみると、まさにソレ!



…結局、ダビングしてもらいましたが。





30数年前の、そんなエピソードを思い出しました。



これが、ワタクシのインエクセス始まりでした。


インエクセスinxs3。

茨城に来てから、毎日があっという間。

仕事が楽しかった、っていうのがいちばんでした。


3年ぐらいしてからでしょうか?

クルマを買い替えたのです!

そうです!レガシィです!
後に18年も乗ることになるなんて、誰が想像したでしょうか?

そのレガシィ。

(…なんか、このクルマに合う音楽ってなんだろう?)

いっとき、ビーズなんかも聞いてましたが、何か違う!

そこで!
インエクセス!
再び登場!

あの頃は『livebabylive』や『welcome to wherever you are』。


ところで。

レガシィ乗り出して12,3年した頃でしょうか?

何か整備に出した時、

(そういえば、レガシィのエアコンフィルター、一度も掃除したこと無かったな)

と、思い出し、

オモイハナ:
「スミマセン、エアコンフィルターも交換お願い出来ますか?」

店員:
「この年式のレガシィには、フィルターついてませんから!」

と言われました。

ちょっと恥ずかしかったですが、逆に、

(…昔の日本人は強かったんだなぁ)

と、変に感動を覚えました。



インエクセスinxs2。

コウサクと夜、本屋へ向かう車中、15年ぶりに聞いたインエクセス。

後で調べてわかりましたが、なんと、その日はインエクセスのボーカル、マイケル・ハッチェンスが亡くなった日でした。



ワタクシ、その日のことは、よく覚えております。

それは21,2年前の秋。

9月かな?
盛岡の図書館で親方の作庭した写真集を見て衝撃を受け。

10月に、親方のところへ飛び込みで来て、一応、面接みたいなことをして。

11月のアタマには従業員として、親方のもとで働き始めました。


縁もナンもない茨城でしたが、

(よし!オレの人生、ここからスタートだ!)
みたいな?

意気込みだけはありました。



働き出して2週間ぐらいして、新聞記事で、マイケル・ハッチェンスが亡くなったことを知りました。

いやぁ。


(オレ、これからスタートだ!っていうのに、この先の人生にインエクセスの曲はもう聞けないのかよ!?)


(お、お前!
『エレガンリーウエステッド』の発売の頃、インタビューで、

「売れても、売れなくても関係ない。オレたちは、オレたちの好きな音楽をやるだけだ!」

って、言っていたろ!?

『just a man』で、
「…my will is so strong」って、歌ってたやん!ウソだったのか!?)

(なんでだよぉ~)

…なんか、すごく寂しかったです。



そもそものインエクセスとの出会いは中学時代。
『listen like thieves』でしたが。
よく聞いたのは大学時代。
ちょうど『X』の頃 。
それから就職して、宇都宮時代も聞いていたので、
当たり前のように、共に人生を歩んで行くものだと思っておりましたから。



…その記事はショックで。
(…あぁ、オレはこういうモノに支えられて生きていたんだなぁ)

という実感と喪失感を同時に味わってしまいました。


しかし。
こんな、音楽1つで不安を感じる自分自身に対して、
(これからの茨城ライフ、オレ、大丈夫なのか?)

と、思ったりしました。

そんなこともあってか?
マイケル・ハッチェンスの死から、次第にインエクセスを聞かなくなるのでした。

が。

再び、ワタクシの人生にインエクセスが現れました。





 

インエクセスinxs。

11月のある夜。

コウサクが帰って来るなり、

「お父さん、本屋さんに行こう!買ってほしい本があるの!
  お母さんが買っていいって!」

うわぁ、マジ面倒くせぇ~。

夕飯の後は、家出たくない派、なんですけど~


…しょうがねえ。

行きました。
デミオで。

最近、我が家は整理週間。
5年経っていらないモノ、使わないモノを整理しだしております。

その一つに、音楽CD。

まずは若気の至りで買ったCDを捨てて行きました。
そして残ったCDをパソコンに取り込み中。
ipodで聞く、という。


んで、んで。

話を戻し。

夕食後、コウサクとデミオで本屋へ出掛けました。

ipodからインエクセスが流れて来て…。

(…インエクセス、15年ぶりぐらいに聞くなぁ。めちゃかっこいいやん!?)

…なんか面倒臭かった夜の外出が、テンション上がるドライブとなりました。

12月に入った今でも、軽トラミュージックはインエクセスブーム、続いています。



カラテキッド。

ある日曜日の夜。

妻:「コウサク、次の昇段試験受けるの?」

コウサク:「受けるよ。」

妻:「『太極上段』って書いてるけど?やってみてよ!」

コウサク:「えぇ?『擊砕第一』じゃないの?」

妻:「『擊砕第一』は前回でしょ?紫帯は『太極上段』って書いてるよ!」

コウサク:「(パニック状態)えぇ!?ぜんぜん覚えてない!どうしよう?どうしよう?」

…どうしよう、どうしよう状態で20分近く騒ぐ。

オモイハナ:
「うるせぇなぁ!YouTubeで検索して見りゃいいじゃん!」

…んで、見せた。

コウサク:
「早くてわかんない!どうしよう?」

…もう!うるさいから風呂に入れました。
風呂に入っても「どうしよう?どうしよう?」って…。

オモイハナ:
「コウサク!なんでも人がやってくれると思ったら、大間違いだぞ。

いまできることから、少しずつ自分でやるようにしてみな!

昇段試験までまだ日があるから!

YouTubeで見てやってみて、次の稽古でしっかり教えてもらいな!」

風呂から上がると、すでにほろ酔いの妻がやって来て、コウサクの身体を拭こうとしました。

オモイハナ:
「お母さん!コウサクを甘やかさないで下さい!これからは、自分でできることは自分でやってもらいますから!」

妻:
「ええ?だってぇ~、こうちゃん赤ちゃんですもん!」

コウサク:
「オレはもう赤ちゃんじゃない!こどもだ!」


オモイハナ&妻:「…(はい?)」

…いやぁ、面倒くせ~し、不思議言語を操るヤツです。

今日も午前中、稽古に行きました。







 

マンガ。

相模原、横浜方面への仕事のときは、相模原の妻の実家に泊まります。

大体、夕食のときはほろ酔いで、義父と時事ネタや本の話をしたりします。。。

この夏、ワタクシたちの本ブームは、

『山は海の恋人』の 畠山重篤さん  でした!

多いに盛り上がり、ワタクシが2冊、義父も別な本2冊。
畠山さんの本を持っております。


ところで。

いささか飲み過ぎると、話題は本からマンガへ。

マンガ、となると、義父からは否定した言葉しか出てきません。

「…小説に三流小説があるように、マンガにも一流があります!お義父さんはいいマンガを読知らないだけです。」


…なんて、言ったりしましたが。
なんでワタクシ はマンガになるとむきになるんだろ?


…やんわり思い出しました。


それは小6、ある授業の時。
先生が、『マンガはいいか?悪いか?」みたいな質問を投げ掛けました。

「マンガはダメに決まってるじゃん!」
と言ったのは、ワタクシのみ。

あとのみんなは
「マンガはいい!」
という結果に…。

1:39 1人対39人

みんなを敵にまわしての大討論。

…結局、最後は。
中学から私学へいった天才I君が、

「マンガは、だらだら読むのではなく、時間を決めて読めばいい!」

みたいな結論をだし、

ワタクシも、「そうだ!そう言いたかったんだ!」なんて言って終了となりました。


あの頃は。そして今でもそうだと思いますが。
義父と同世代のワタクシの両親は、

「…マンガはダメだ!ダメだ!」

「…マンガなんか読んでたらバカになるぞ!」

と、よく言ってました。


さらに、ワタクシたち兄弟のマンガが知らぬ間に捨てられていたこともたびたび。

そんな教育でした。


ずっと大人になってわかったのですが、
小6あの屈辱的体験は、親からの洗脳だったんだ!と…。


そんなわけで、今でもマンガを否定する人がいると、ちょっと感情的になってしまうのかな?

と今では分析しております。







義父の背中。

何度か、ここでも書きましたが、お盆過ぎの8月後半の仕事は相模原から。

義父と共に現場へ向かいます。

ここ5年位、そうしてます。


はじめの頃、義父との仕事に違和感 を感じておりました。

それに気づいたのは、ある日、

義父:「私は60過ぎまで農業をやって来なかったんです!」

あー、そうか!そこか!

ワタクシが今まで出会った義父世代の方は、大抵が農家育ち。もしくは農業経験者。

義父も当然、小さい頃には農家の手伝いなどしてきたんだろう、


と、思いきや?

「官舎住まいだったから無かった」と。


それでは、ワタクシと同じ、土臭いタイプに見えておりましたが、それは?

大学時代から続いている(80越えた今も現役!)山登りのためか!

ホントに、納得がいきました。

義父世代のひとや、ワタクシたち世代でも。
小さい頃から働かされていた人、家業の手伝いをしていた人って、ワタクシたちの植木屋の現場に初めて連れて来ても、どこか手際がいいとこがあります。

なるほど!なるほど!


そんな感じで5年。
じわりじわりと、ワタクシたちの仕事スタイルもうまくなってきて来ました。




今年の8月は、まだまだ暑かったです。

そんな中、義父を見て、ふと思いました。


(逆にワタクシが80なった時、若い世代と働けるかな?
身体も無事なんだろうか?ワタクシのほうがきゃしゃだし…)

…そう考えると、義父の働く姿についての見方が変わって来ました。


そもそも。

そもそも。

義父が学生時代。
アルバイトで、植物学者の牧野富太郎をおんぶして山登りしたっていうんだから、それだけで尊敬します。







カモシダシテルノカモ。

10月下旬に、生涯学習課の庭木の剪定講座で講師をしてきました。
今年で2度目。

今回は、

「同じ内容でいいので、午前、午後と2回やってもらえますか?」

ということで2回。

参加者は午前15人、午後13人(2名欠席)。
45分座学、30分実地、15分質問時間。


今年もテーマは、

『ミライヲツクル』


さすがに2年目。手が震えること無く書けました。


そもそも、この講座を引き受けたのは去年の4月。

若手樹木医の集まり(約70名)で初めて講師を務めた直後のこと。

内容はワタクシの失敗事例について。

初めての講座が終わった瞬間は、「超やり遂げた感」いっぱいでしたが、翌日には、なんか自己嫌悪に陥っておりました。

(…もう一回、まともに話してみたいナァ)


とそんな時に、剪定講座の依頼の電話が!


あぁワタクシ、
何となく、醸していたんでしょうかねえ。

そういえば、
そういう偶然の一致。
前にも経験ありました!


それは、家を建てる時!

申請許可がおり、いよいよ具体的な打ち合わせ。

そんな時!
手入れに行っている、二人のお客様から突然、

「…オモイハナさん、もし家を建てることがありましたら、一声かけて下さい!」と!


あのときも驚きました!

普段の一服で、そんな話したこともないのに突然に!

いやぁ人生、醸してンのかも?



九九の詩。

先日、コウサクが児童クラブから帰って来るなり、

「お父さん、本買って~」


って言うから、夕食後、二人で隣街の本屋までドライブ。

ipodでスガシカオを聞いていたら、口ずさんでました!

…小2が歌うスガシカオにちょっと驚き!


ところで。
今、学校の算数は九九の時間。

今晩も一緒に風呂に入っていたら、

「今日は7の段!」

とかいいながら、欧陽菲菲『ラブ イズ オーバー』の節に合わせて歌ってました。

「…それで覚えられんの?」って聞きましたが…。

ホンっト、疑問です。今の子は!




子供の誕生日にキッザニアへ!。

10月、コウサクの誕生日はキッザニアへ行きました!

話題の豊洲です!

しかし、日曜日のため空いており、クルマで1時間位で行けました。


さあさあ、キッザニア!

コウサクは1年生のとき「医者になる」宣言をしておりましたからぁ!?

両親はぁ!?

張り切ってぇ!?

キッザニアでぇ~!?

医者なんてモノを体験させたいわけなんですよぉ。



しかぁし!

コウサク、キホン、両親と一緒のいなかモン!
そして小心モノ!


…キッザニア入った瞬間から、雰囲気にのまれぇ~、

「やりたくねぇし!」「言ってねぇし!」

とか言ってすねちゃってさ!


…まったく関係ない仕事を無理矢理イヤイヤ体験して来た、というありさまでした。

キッザニア、終~了~!

お昼はドーナッツを買って、海を見ながら外のベンチで。

コウサク、だんだん元気に!

外の広場では、リップスティックの無料講習会が行われており、コウサクはそれに参加!

上級生の子供達に交ざり、中級クラスに参加。

豊洲なんて、ワタクシ目線から言えば、観光のみ。縁もゆかりも無い土地ですが、リップスティックをしている子どもたちは、順番に競技したり、上手い人の技を見たり、インストラクターの話をよく聞いたりしておりました。
お互いになにを話すわけでも無いですが、すごく楽しそうでした。

コウサクは、いちばん小さく、みんなより競技はうまくなかったのですが。
結果的に、この日いちばんの笑顔を見せてくれました!

…タダなのに。タダなのに…。

…まぁ。子どもって、そんなモンだよね。


「おはよーモーニン!」

キッザニア内にはJ-WAVEもあったのに。子供たちは興味無かったです。