思い出の彼方 -4ページ目

決断

行く手を阻むものは、確かに何も無かったが
踏み出せずにいる自分が、一人ぼっちで立ちすくんでいた。

私は半年ほど
自分ひとりで悩んでいた。
なかなか結論が出せぬまま
ゆっくりと時間が過ぎていた。
今から思えば、何かの
きっかけを求めていたのだろう。

そんなとき
結果的に私の背中を押した
ひとつの小さな出来事があった。

これまで一緒にいて
一度も泣いたことがなかったのに
このときばかりは一筋の光るものを見せられた。
彼女はすぐにそれを拭い取ったが
私はそれを見たとき、体中に稲妻が走ったような気がした。

「お父さんとお母さんが生きている間に
           自分の嫁入り姿を見せたい。。。」

この一言が、私の心に強く響いた。

「これでいいんだ、これが選ぶべき道なんだ」

こころの中で、何度も何度もつぶやいた。
それは同時に、自分に言い聞かせるようなものだった。

数日後、私は別れを告げるため
静かに受話器を手にとって、指になじんだ番号を
ゆっくりと、いつもより時間をかけて押していった。
これから起こる出来事を知る由も無く
聞きなれた声が、いつも通り返ってきた。

彷徨えるこころ

もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。

私はどうすべきなのか?何度も自問自答した。

多恵子と知代。。。
都合よく棲み分けていたが、私にとっては
二人とも大切な存在であることは違いなかった。
いや、いっそうのこと全てを白紙に戻して
ゼロからのスタートをとるべきであろうか?

多恵子との付き合いは、既に15年になっていた。
親族以外では、最も私をよく理解している女性であった。
もはや彼女との間には、別れという概念すら持ち得ない。
できることなら、お互いの時間をとめて
ずっと恋人同士でいられたら。。。と思っていた。

知代は、ついたり離れたりしながらも
一途に私についてきてくれた。
彼女は決して器用ではなかったが
堅くて賢く、時としてはっとするような行動力があった。

今すぐ答えを出す必要はなかったが
いずれ答えを出さねばならない。
自ら答えを出す必要はなかったが
それが結果的に自分自身を束縛することになる。
そんなことを考えながら、私は二人の間を彷徨い続けた。

行く手を阻むものは、確かに何も無かったが
踏み出せずにいる自分が、一人ぼっちで立ちすくんでいた。

転機

独身でいること
自由気ままな豊かな生活。。。
その一方で、齢を重ねるに連れて
誰もいない部屋へ帰る寂しさも感じていた。
この状況を一番案じていたのは母親だった。

ちょうど二年前
週末を利用して、母親を中華街に連れて行った。
一人暮らしをはじめて、最初の招待だった。
それほど高くないセットメニューを頼んだが
出される料理を食べきれない、そんな状況に
お互い歳をとったのだなぁ、という現実に気付く。
そして、母親の顔に苦労の数と同じか
それより多いであろう皺をみて、ふと涙が浮かんできた。

母は何気ない会話の中に、ひとつのメッセージを込めてきた。

「もう自分自身の幸せを、考えていいんだよ」

周りの人は決して気づくことのない
苦労を共にした親子だけがわかる会話だった。

現実に目を向けたとき、父親の死は
私の最大の心配事がなくなったことを意味していた。
母親は幸い健康で、自立した生計を立てている。

もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。

読者の皆様へ

いつもご来訪いただきありがとうございます。

恋愛をテーマにこのプログを綴っていますが
この数日間、本来のテーマにそぐわない
内容になってしましました。
この一連の記事を表意するのに
私自身も戸惑いと怖さがありました。
しかし、私はこのプログの中で(差し支えない範囲で)
自分に正直になって、記事を綴ってきました。
とても重いお話で恐縮なのですが
私にとっては人生の大きな転機となったことであり
また、自分自身の気持ちの整理をつけるためにも
ここで文章にさせていただきました。

不意にご来訪いただき、思わず気分を害された方
こころの奥底にしまっていたことを不用意に思い出された方
私の失礼をお許しください。

そして、この記事に共感していただいた方や
あたたかいコメントをいただいた全ての方に。。。
こころより御礼申しあげます。
(みなさんと出会えて、本当に嬉しく思います)

今の私は、現実を受け入れて元気に暮らしています。
そして、皆さんのプログを楽しく拝見させていただいております。
私のプログは、もうじきひと段落つけようと考えていますが
どうぞこれからも、いつもどおりにお付き合いくださいませ。


今日はクリスマス・イブです。
みなさまのところに、素敵なサンタさんが訪れますように!

父への手紙

お父さん、元気にしているかい?
もう早いもので
お父さんが逝ってから一年あまり
少し前に逝ったおじいちゃん
追いかけるように逝ったおばあちゃん
ようやく家族三人、水入らずになったね。

子供の頃
お父さんは大きかった。
どんなに背伸びをしても
追い越すことは出来なかった。
家の前の芝生で、よく
キャッチボールをしてくれたよね。
お父さんの投げる玉は早くて
とても真正面では受け止められなかったよ。

今僕は、やっと家庭を持って
毎日しあわせに暮らしているよ。
色々なことを考えて
守るべきものの多い嫁の家に入ったけどね。
結果的に家を絶やすことになったけど
それはお父さん、許してくれるよね。

今から思えば
お父さんはいつも貧乏と戦っていたね。
小さい頃、生きるために悪さをしていた。。。
自分の子供にはそうさせたくないって
言っていたそうだね。お母さんから聞いたよ。
確かに、僕は悪いことをせずに済んだよ。
でもね、お母さんがいなかったら
きっと同じ人生を歩んだかもしれない。
そして、結局は貧困がお父さんの命を奪った。。。
僕はね、三代続けて同じ過ちはしたくない
だから、お父さんを反面教師としていたし
守るべき家を変えたんだ。
わかってくれるよね。

お父さん
あと何年かしたら
僕もそっちに逝くだろ。
そうしたら、やりたいことがあるんだ。

ひとつは、一緒に酒を飲もう。
僕は小さいときから
酒におぼれたお父さんを見ていたから
今でも酒は飲んでいないよ。
でもね、一度徹底的に付き合うから
酔っ払いの理屈を聞かせてくれないか?
思いっきり、反論してやるからね。
その時僕は、絶対お金を払わないよ。
父親のかっこいいところ
一度で良いからみせてくれよ。。。

それともうひとつ
久しぶりにキャッチボールをしようよ。
僕の投げるボールを、真正面から受けてくれないかい?
少しは大人になった僕を見てくれよ。
悪いけど、手加減はしないからね。

僕は今、金融機関で企業再生をしているよ。
この平成不況は、沢山の大切な命を奪ったんだ。
微力ながら、僕は僕なりの方法で貧乏の原因と戦うよ。
同じ思いを二度としたくないし、させたくない
それが僕を支える、大きな柱になっているんだ。
どこかで僕は、お父さんの仇をとってくるよ。
きっと、みんなにも喜んでもらえると思うんだ。
お父さん、これからもずっと僕を応援していてね。

少し長くなったね。
言いたいことはまだまだ沢山あるけど
そっちへ逝ったときのためにとっておくよ。

ただひとつだけ、この場で言っておきたいことがあるんだ。
確かに貧乏はしたけど、お父さんに本当の
豊かさの意味を教えてもらった気がするよ。
そして、最高学府までの教育を受けさせてくれたこと
本当に感謝している。
ありがとう。そして。。。

僕はね、お父さんの子供でよかったよ!

それじゃ、お父さん
嫌なことを忘れて、そちらでゆっくり過ごしてね。
そして僕達のこと、見守っていてください。

あなたの生意気な息子より

軌跡を追って。。。

今から思えば、そのぬくもりが
父に抱いていた憎悪の念から、私を解放したように思える。

翌日、身内だけのささやかな葬儀を行った。
納骨までの間、菩提寺のご本尊さまに
父親を預けることにした。

その翌日から
私は父親の軌跡を追って旅に出た。
仕事が山積みなのはわかっていたが
そんなことはもう、どうでもよかった。
忌引きの期間は、自由に自分を解放したかった。

父親がたどったであろう道程は、大体予想がついた。
人は、知っている道を走ろうとするものだ。
その道を、ただひたすら走りつづけた。
車窓からみえる山や川、草原、湖。。。
きっと父親も、同じ風景を見たに違いない。
私はただ黙って、自分の車を走らせた。
しかし、走っても走っても
父親の気持ちはわからなかった。
それが却って、自分自身を追い詰めて
アクセルを踏む力を、更に強くした。

この旅は、父親を理解しようとしたものだったが
結果的には、その死を受け入れる為のプロセスとなった。

時間がたっても
なぜか涙は出なかった。
それはこの世に生を受け
生きていくための術を身に付けた私が
自分の父親をある意味では超えていたからかも知れない。
ただ私は、あれだけ嫌いだった父親を否定してはいなかった。
なぜならば、私は父の遺伝子を受け継いだ子供だからだ。
私は父の死によって、自らの生の意味を思い知らされたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、ここに父への思いを打ち明けたいと思う。

父のぬくもり

私には、心の奥底に
思い当たることが、ひとつだけあった。

携帯の声は
やはり妹だった。
私は一旦出社後
上司に事情を話し、すぐに自宅へ戻った。
そして妹と約束した時間の新幹線に乗り込んだ。

その北陸の街は
私達にとっては縁もゆかりもない
空の広い、とても静かなところだった。
タクシーで警察署へ行き
そこで本人確認のための質問を受けた。
そして、必要な手続きが完了すると
刑事さんが、ビニ―ルの袋を持ってきた。
その中には、見覚えのあるセカンドバックや腕時計
そして、決定的な事実を告げる免許証などが入っていた。

警察署から歩いて数分のところに
小さな名の知れないホールがあった。
まだ残暑ともいえる気温を考慮して
彼は冷暗所に、静かに横たわっていた。
最後に会ったのは母親が離婚を決意したとき
もう5~6年は経つのだろうか?
釣好きの日焼けした顔は
不思議なほど小さく見えた。

「馬鹿だなぁ」

最初に浮かんだのがこの言葉だった。
涙は出てこなかった。憎しみの方が大きかったからだろう。

「死ぬ気になれば、何でも出来るじゃないか」

そう思ったとき、私は自分自身の罪に気付いた。
そしてこの罪の意識を、私は一生背負っていかねばならない。

「お前は、こうなることをわかっていたのだろう?」

確かに、わかっていた。
父親には生活力が無く
死ぬ気になってもできなかったのだ。
彼には僅かな醜い選択肢があった筈だが
本人のプライドが、潔い自らの死を選ばせたのだろう。
縁もゆかりも無いこの街を、臨終の地に選んだのは
残される者への、せめてもの思いやりだったのかもしれない。

警察署へ戻り、残りの遺留品を確認した。
所持金は数十円、車の燃料はほとんど無かった。
父親は、残りの人生を燃料が尽きるまで走りぬき
この地にたどり着いた。そして自ら三途の川を渡ったのだ。

翌日、駆けつけた叔母とともに
父親を荼毘にふした。
子供の頃、あんなに大きかった父親は
とても小さな骨となって目の前に転がっていた。
私は父親の入った壺を胸に抱え、帰りの電車に乗った。
憎んでも、怒鳴っても、逝ってしまっては返答がない。
この世で起きた出来事など、もうどうでもよくなっていた。

まだ残るかすかなあたたかさが
骨をおさめた壺から伝わってくる。
今から思えば、そのぬくもりが
父に抱いていた憎悪の念から、私を解放したように思える。

不吉な予感

仕事に追われる多忙な日々
自分の罪を覆い隠すには、余りにも都合が良かった。

私は、仕事で大きな転機を迎えた。
業績が不振であった担当先に
関する再生プロジェクトが立ち上がり
私はそこへ出向しながら
プロジェクトを遂行することになった。
担当先では経営企画の管理職
出向元ではプロジェクトの担当者
つまり、仕事上でも
「二足のわらじ」を履くことになったのだ。
それまでも昼夜を問わず働いてきたが
ここからの2年間は
筆舌に尽くし難い、過酷な状況になっていった。

年間数日間となった休日は
ひとり暮らしを始めた自宅で
二人の彼女のうちのいずれかと過ごしていた。
一緒にいる時間が僅かなので
同棲のような感覚は無かったが
台所に立つ彼女達を見て、何となく
見えない側面に気付かされることが多かった。
だが、これからの将来を考える余裕など
何処にもなかった。

そんなある日
通勤途上で私の携帯電話がなった。
前日は日曜日だったが、夜中まで会社にいたので
仕事の連絡が入るとは考えにくかった。
午前8時前、友人が連絡してくるには早すぎる。
多恵子?知代?普通なら、メールをしてくる筈だ。
短い時間に色々なことを考えながら
胸のポケットにある携帯に手をかけた。

私には、心の奥底に
思い当たることが、ひとつだけあった。

最後のメール

そのときの私は、面倒なことを嫌った。。。

博美は遠慮をしていた。
忙しい私に負担をかけないよう
細かい連絡をしないようにしてくれた。

多恵子と知代は正反対だった。
どんなに遅くなっても、必ず連絡をとっていた。

不思議なことに
博美とは、あれだけメールで
やりとりをしていたいたのに
このときばかりはメールが来なかった。
空白の時間は、一日が二日になり
一週間が二週間になっていった。
二人の溝は、明らかに
双方が自覚するレベルになっていた。
私がその気になれば
いつでも連絡をとり
デートの約束ができた。
私はそれをしなかった。
わかっていて、しなかった。
そして、博美に罪はなかった。

約一ヶ月ぶりに来た博美のメールは
強い口調で私を非難する内容だった。

「なぜ私を避けるのか?」
「何の変化があったのか?」

私の中では「面倒だった」のだ。
そして、迷わず別れることを選んだ。
プライドが高い博美との
関係を壊すのは一瞬で、終わった。
深夜のたった一本の電話が
二人の二年の月日を白紙に戻した。

仕事に追われる多忙な日々
人の気持ちを裏切り、欺くという
自分の罪を覆い隠すには、余りにも都合が良かった。

性の虜

純白なこころで人を愛すること
そんな尊い気持ちなど、もうどうでもよくなっていた。

とにかく時間がなかった。
徹夜が続き、下す判断の重さで
自分自身が張り裂けそうになった。
その緊張感が、私を悪魔にしていった。

私は、三人の女を自分の都合で抱き分けた。
そのときの私にとって
自分の空いた時間に合わせて
身体を許してくれるのが、最も望ましいことだった。
いつ休めるのかわからず、慢性的に続く寝不足状態
彼女達をホテルに連れて行き、一緒に過ごすことが
私が解放される唯一の術となった。

そんな最も都合の良い女になったのは
一番身近にいた知代だった。
そして、遠距離恋愛に耐えた多恵子も
私の要望に応えてくれた。
博美もがんばってくれたのだが
この頃から、少しずつ様子がおかしくなってきた。

そのときの私は、面倒なことを嫌った。。。