思い出の在り処(ありか)

思い出の在り処(ありか)

私の人生に一番深く関わった人と言っても過言ではない、ちょっとかわったおじいちゃんとの思い出を綴ってみようと思います。



今だからこそ、残しておきたい思い出が此処にあります。

いつも笑顔だったおじいちゃん。

お酒が好きだったおじいちゃん。

孫達にいつも優しかったおじいちゃん。

もうこの世界にいないおじいちゃんとの「思い出」を忘れないように、ここに綴っていきます。

私の思い出話しにしばしお付き合いください。

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おじいちゃんは孫を喜ばせるのが大好き。

特に何かを作ってあげて、それをもらったときに嬉しそうな顔をするとおじいちゃんの顔も自然と笑顔になっています。


私には弟が二人いるのですが、3人ともおじいちゃんの作るものを食べて大きくなりました。

両親が共働きで日中家にいるのはおじいちゃんとおばあちゃんなのですが、なぜか「おやつ担当」(?)なのがおじいちゃんでした。


まず、「タイ焼き」。

知り合いからもらったという大きな「タイ焼き器」(屋台とかお店とかで見るものです)で焼いてくれて、もちろん生地も中身のアンコもおじいちゃんの手作りという本格的なもの。

お店ではなかなか見られないような「尻尾の先まであんこがいっぱいv」という、子供にはとっても嬉しいサービス付き♪

ほくほくであつあつで、あんこも自然な甘さが出てておいしかったなぁ(*´ρ`*)


高校生頃になってもう一回食べたいなぁと思って言ってみたら、「あれはもう人にあげちゃったよ」とのこと・・・。

サヨナラ、タイヤキ・゜・(/Д`)・゜・。



次は良く作ってくれた「ラーメン」。

おじいちゃんのこだわりのラーメンは、「チャ○メラ」(製品名)。

だけど普通のインスタントラーメンじゃないですよ?

お湯入れておしまいのやつじゃなくて、お湯でぐつぐつ煮るほうなのですが、作るたびに進化してるんです。

スープも付属のものを使わず煮干ダシを自分で作ってみたり、乗せてる具もチャーシューが「胡椒付きのハム」だったり(これはちょっと辛かったけど)野菜を入れてみたり、とにかくいろんな工夫をしてラーメンを作っていました。

これがわたしには一番のお気に入りで、学校から帰っておなかがすくといつもねだっていたものです。


そしてよく口癖のように


「学校の近くに100円ラーメン屋さんを開く!」


と言っていました。


学校帰りの子供達が食べられるようにと100円で。

おじいちゃんのささやかな夢。

孫だけでなく、子供の喜ぶ顔を見たかったのかもしれませんね。


結局その夢は叶うことはありませんでしたけど。


手作りにこだわっていたおじいちゃんが残してくれた味は、私の中でずっと忘れることはありません。

今でもラーメンのパッケージを見るたびに、おじいちゃんの思い出が蘇ってくるのです。


この時期---、雨と雷がやってくる夏になると、思い出すことがあります。


私がまだ小学生の頃。

雷がとても怖くて、迷信を信じていた私は「雷が鳴ったらしゃべってはダメ・誰よりも低姿勢でいなくてはだめ・おへそを隠さなければだめ」ということを信じていました。

小さくなって丸まっている私を見ていたおじいちゃんが私のところにやってきて、

笑顔でこう言いました。




「このネズミ捕りで、雷を捕まえてやる」





おじいちゃんの手にはしっかりと小さな「ネズミ捕り器」が。

それは鉄製の檻で、中の仕掛けに餌をつるしておくとそれをねずみがぱくっと食べたときに入り口が閉まる・・・というもの。


(一体それで、本当に雷が取れるの?おじいちゃん??)


唖然とはしましたが、一瞬「カミナリサマ」を想像してしまった私。

なんだかおかしいやら、おじいちゃんが頼もしく見えるやらで少し楽しい気分になりました。


これがきっと、おじいちゃんなりの優しさだったのでしょうね。




当のおじいちゃんはというと。

本当にネズミ捕り器を庭の真ん中に置いていました。


もちろん、一匹(?)も雷は獲れませんでした(´∀`*)


私は子供の頃、変な遊びにこっていたようです。

大人になって結婚した今も、思い出したかのようにその話しをされるので、恥ずかしいやら懐かしいやらで複雑な気持ちになります。


その遊びとは、



「どろんこ遊び」



その名の通り、泥で遊ぶことです。

ただそれは泥で何かを作ったりすることではなく、自分が泥の中に入っちゃうという、人に見られたらとても恥ずかしいような遊びなのです。

なんでそんな遊びにこっていたのか、自分ことながら今になるとさっぱり分かりませんが、祖父に連れられて我が家の田んぼに行くと必ず



田んぼにドボーン!!!ヽ(≧▽≦)ノ


とやっていたようです。

もちろん、海水浴のように頭までつけたりしませんよ(・д・)

さすがにそれはやばい。

ただばしゃばしゃとその中ではしゃいでいるだけで楽しかったみたいです。

でもはたから見れば私はちょっとイタイ子供だったかも(´∀`*)


一応服は脱いだと思うのですが、唯一はいていたパンツはもちろん泥だらけ・・・。

体中泥だらけの私がパンツ一丁で帰るのはある意味やばいので、おじいちゃんがいつもしてくれたことが



「ドラム缶風呂」



でした。

大きなドラム缶の中に水を入れて、その辺で拾った木やらゴミやらで火をおこして簡易お風呂の出来上がり♪~

田舎だったし子供だったし、なんのためらいもなくすっぽんぽんになる私(*ノノ)

ちょっと熱かったけれど、あの時おじいちゃんが一生懸命に火を起こしてくれたのは忘れられないなぁ。



そんなある意味危険な遊びは、周りの人に忘れられない思い出として今でも残っているのでした。


おじいちゃんとの遊びは、ゲーム機とかパソコンとかそんな近代的なものじゃなくて、とても懐かしい昔の遊びばかり。


たとえば、「竹馬」「竹とんぼ」。

そういえば冬休みの宿題だった「凧」もおじいちゃんのお手製だったかな。


材料になるものはだいたい近くの山から。


我が家は周りを山に囲まれている、よく言えば自然が豊かな場所にあったのですが、おじいちゃんが必要なものは大抵そのへんで集めてきてくれました。


これがまた研究熱心で。


どうすれば良く飛ぶのだろうかと、凧に使うために細く斬った竹を少しづつ削って軽量化してみたり、凧の足の部分のヒラヒラした部分はどれくらいの長さがいいだろうかと。

竹馬にしても竹とんぼにしても同じ。

どこかにおじいちゃんの「こだわり」が隠れていたりしました。



近所の川は良い遊び場の一つでした。

ここでは泳ぎ方を教えてもらったり、魚を良く獲ったりしました。



そこで私たちがよくやっていたこと。

それが「瓶伏」(びんぶせ)と呼ばれるもので小魚を獲ることでした。


「瓶伏」というものは「瓶」のようなものに魚の餌を入れておいて、それをそーっと岩の傍や下などに入れて一日置いておくと、小魚が誘われて瓶の中に入ってきます。

どんな形だったのかおぼろげにしか思い出すことができませんが、多分入り口が狭くなっているので一度入ったら出られない構造になっていたのでしょう。


捕まえた小魚を簡単に粉をつけてから天ぷらにしていたようです。

やっぱりお酒のおつまみだったのでしょうか。



たまに大きな魚や誰かが逃がしたらしい鯉も捕まえたことがあります。

それも手づかみや網で。


月の綺麗な夜。

一匹のオレンジ色の背をした鯉を、私たちは追いかけていました。


まだ太陽も出ていたはずなのに、気づいたらあたりは暗くなっていて。

3人がかりで追い込むようにして捕まえようとした鯉をどうしても諦め切れなくて、もう少しもう少しと粘っていたらいつの間にか夜になっていた・・・という感じでした。


それはキラキラ月明かりを反射して、とても幻想的な光景でした。


私はなぜか、この光景を忘れることができません。


鯉を捕まえたあの瞬間。

これまで感じたことがないほどの「達成感」。

子供心に深く刻まれて、十余年たった今でも時々思い出すことがあります。

あのときの言い知れぬ感動が、きっと心に強く焼きついたのでしょう。



そんな川はもう、どこにもありません、



今は見る影もなくゴミだらけで汚れて、泳ぐのに十分な水位などありません。

魚の姿も、見ることはなくなってしまいました。

そして私も、今ではそこに足を踏み入れることは無くなってしまいました。



時々そこで「どんど焼き」と呼ばれる行事が行われる以外は、にぎわうこともありません。



おじいちゃんのことを語ると「お酒」はぜったいにはずせません。


「お酒好き」なくせにすぐ酔っ払ってしまうほどお酒に弱いのですが、家で飲んでるときはいつも大声で何か言っている声が家中に響き渡ります。

外に出かけてはお酒を飲んで帰ってくるということもしばしばありました。

近所の人から連絡があったり、外で粗相をしたという話も聞いたことがあります。

でも当の本人は顔を真っ赤にさせながら、「にこにこ」と笑って帰ってくるのです。



ある日こんなことがありました。



家の中にいたらクラクションが突然鳴りました。

家のすぐ前の道路からです。


「なんだろう?」と思って外に出てみると、なんと



おじいちゃんが道路に寝てるじゃないですかっ!Σ(・д・)



良く酔っ払ってはその辺に寝ちゃってるという話しは聞いていたのですが、まさか道路にそのまま寝てしまうとは・・・。

よっぽどコンクリートが気持ちよかったのか・・・。

いやいや、そこは危ないだろう(・д・)



その後はおじいちゃんが起きて戻ったのか、親が連れにいったのか良く覚えてません(´∀`*)



「ただのよっぱらいじゃん!」って思われるかもしれませんが、そんなおじいちゃんは孫がとってもかわいかったみたいです。(私が言うのもなんですが(苦笑))


私が男の子にいじめられたときにはおじいちゃんが学校まで乗り込んでいったそうです。

私が「おなかすいたー」といえばラーメンやタイヤキを作ってくれました。

今思えば、ただの一度も怒られたこともありませんでした。



そんなおじいちゃんが、とってもとっても大好きでした。



両親が共働きというのもあって、子供の頃はおじいちゃんと過ごしたことのほうが多かったかもしれません。

小さい頃のいろんな思い出も、おじいちゃんと過ごした記憶のほうが濃いです。


思い出が深ければ深いほど、それがとっても大切だからと思えるから

今でも時々思い出しては懐かしくて、そしてちょっぴり切なかったりするのかもしれません。