そして、殿田が案内された場所は、なんと、質屋『思出館』だった。

「おい、緒方、……ここって、質屋だろう?」

「あぁ、仲介してくれたのがここの店主だから」

「仲介って…まさか、あの……」

殿田は先日会った店主の彼の顔を思い浮かべた。相手は盲目だから、声だけではたぶんそれと気づくことはないかもしれないと思いつつ、それでも、再び店を訪れる気まずさは拭えなかった。

「おい、わかっていると思うが、なるべく人には知られたくない……」

「わかっているさ。彼に引き合わせたら、俺も退散するから。ここは、待ち合わせに手頃だから借りただけさ。お前の名前はまだ言っていないし、気に入らなければ断ればいいだろう」

そう言いつつも、いまさら断ることなんてまずありえないと確信したような、緒方会長の物言いだった。

「こんにちは」と、緒方が店の扉を開いた。

「賢三君、ようこそ」と、店主の声。

「よう、仕事の紹介をしてくれたとか、ありがとさん」

カウンター席に座っていた、ダークスーツに濃いサングラスをかけた人物が、片手を挙げて挨拶した。なんだかヤクザに見えなくもない。こんな人物と交友があるなんて、やっぱり『Mクラブ』会長は曲者だと、彼に相談したことを、半ば後悔しかけた殿田だった。

「僕は、しばらく席を外しますから、みなさんでごゆっくりしていって下さい」

店主は、そう言って黒猫を抱くと、暖簾の向こうに姿を消した。

殿田は内心、ほっとしていた。

緒方が、殿田を紹介すると、探偵はかけていたミラーコートのサングラスをずらして、彼の顔をまじまじとみつめた。

探偵の彼の素顔を拝んだ殿田は、一瞬、ぎょっとするハメになった。サングラスの下の閉じられた左目には、傷痕が刻まれていた。彼は隻眼だったのだ。

「失敬、脅かしちまったかな」

苦笑いしながら、彼はサングラスをかけ直した。 

「どうも、こいつのせいで、よくヤクザと間違えられることもあってな。もっとも、かけてもかけなくても人相が悪いって、悪態をつく奴もいるがね」

「片桐さんは、見かけによらず、気さくな人だから大丈夫さ」と、緒方が仲をとりもつ。

「そうそう。ところで、君、夜中にジョギングする?」

名刺を差し出しながら右京がそうたずねたので、殿田は少なからず驚いた。なぜ、初対面の探偵がそんなことを知っているのだろう? 案外、優秀な探偵なのかもしれないと思い直した。

「……えぇ? はぁ、まぁ、受験勉強の息抜きに」

「受験生か。受験勉強に、恋愛は邪魔だと思う?」

「――なんの話ですか?」

「片桐さん、そろそろ本題に。殿田、俺もいない方がいいのだろう? それじゃ、あと、よろしく」

そう言って、緒方が帰ろうとした。

「待てよ! そんなこと言っていないだろう。いいから、……お前も、同席してくれ」

「ということで、座れよ。緒方会長」と、右京。

「さっきの質問に答えます。たしかに、受験勉強に恋愛は邪魔だと思います。だけど、だからこそ、はっきり、すっきりして、勉強に専念したいのだ」

「やっぱり、姫のことか……」と緒方。

「妃佐ちゃんは、一方的に、婚約を解消しようと言ってきた。ただ、受験勉強の妨げになるといけないからと」

「そりゃぁ、ご立派な彼女だな」

「茶化さないで下さいよ、片桐さん」

「今までは、彼女はそんなこと言わなかったのに、むしろ、俺の方がそう言っていたはずなのに……」

「話の腰を折るようで済まないが、まだ、依頼の内容を聞いていないのだがね」

「そうでした……実は」

「ちょっと、待った。その前に、ひとつ、弁明しておくがね、今回の依頼は、本来、俺としては断るべきなのだ。なぜなら、探偵の鉄則として、二重の依頼を請け負うことはタブーだからな」

「どういうことですか?」と、緒方。

「依頼の内容を、他人に漏らすのも、本来は契約違反だ。だから、これは、守秘義務に反する、不本意なことだが、今回は特例ということで仕方ないから、白状しよう。俺は、別件で姫野妃佐子に関わる依頼を受けている」

「えっ……!」

殿田と緒方は、思わず叫んだ。

「悪いな、だから、今日、ここで会う前から、彼女絡みで、俺は殿田君のことは知っていたわけだ」

「そんな……」と、殿田が緒方を振り返る。

緒方は、自分も知らなかったと首を横に振る。

「それで、この件に関しては、もう一人の依頼人も交えて、話をしたいのだが、構わないかな…?」

「もうひとりって、まさか……」呟く、緒方。

「その、まさかでね。なぁ、亜星」

右京に呼ばれて、店主が再び登場した。

暖簾の陰から現れた和装の彼を見て、まるであらかじめ台本通りに設けられたような、やけに絵になる光景だなと、緒方会長は思った。


「あらためてご挨拶させていただきます。質屋『思出館』の店主、真野亜星と申します」

初対面ではないのに、あえて彼がそう装うのはどうしてなのだろうと、殿田は戸惑いつつ自己紹介をした。

殿田のその胸の内の疑問に答えるように、店主が語りだした。

「本来でしたら、うちの商売も、片桐さんの探偵業と同様に、お客様に関する情報については守秘義務が伴います。ですから、ここでの話の内容は、内密にお願いします。賢三君にも、そのように心得てもらえますよね」

「わかりました。……聖也にも、内緒ですか?」

「…もちろん」

亜星は、返答に一瞬の間をおいた。

それと気づいたのは、右京と緒方会長だけだったが。




⑭へつづく

放課後、聖也たち『Mクラブ』のメンバーが部室に集まっているところへ、ヒデの彼女である、新聞部の山口詩織が顔を出した。全員の視線が彼女に集中した。

「何よ……みんなして……」

姫野妃佐子とクラスメイトで、親しい間柄でもあるという詩織ならば、きっと詳しい事情を知っているに違いないとメンバーは期待していたのだ。

「……言っておくけれど、私が噂を流したと思っているとしたら、心外だわ…」

「もちろん、そんなことは思っていないさ。詩織がそんな軽薄な奴だったら、俺はとっくに縁を切っているさ」

「…どういたしまして……」

「それで、噂の真相は?」と、トシが先を促す。

「真相もなにも、姫本人が、クラスメイトの前で、堂々と、殿下との婚約解消宣言をしたのよ。それで、すべて。理由もなにも誰にもわからないわ。彼女は、それだけしか言わなかったもの」

「その直後、彼女は倒れて、保健室に運ばれて、そのまま帰宅してしまった…それだけか」

「そうよ。ここ数日、なんだか具合が悪そうだったけど、前にも、貧血で倒れたこともあるし、なにしろ、深窓の姫君ですもの」

「まぁ、女子にはいろいろあるだろうし……」

言い難そうに言葉尻を濁したトシは、居合わせた女子三人から無言の非難の眼差しを浴びて首をすくめた。

その時、詩織が姫野妃佐子のことを『深窓の姫君』と称したその物言いには、女子特有の陰湿な刺が含まれているように、聖也には感じられた。常日頃であったならば、つい昨日までだったなら、青蒼学園の生徒たちが、彼女を呼ぶ『姫』という呼称には、どこかに、敬愛の情が含まれているように思えていたものなのに。そして、そう感じたのは、どうやら聖也だけではなかったようだ。

「私が、山口さんだったら、ちょっと淋しいかな…。姫がなにも話してくれないことって……」倫子が言った。

「そうよ……ちょっとね。私にくらい教えてくれてもいいのに…って、そう思うわよ」

本音を愚痴る詩織だった。

「……親しいから、余計に言えないこともあるかもしれないだろう。誰かに話したくても、できないくらい深刻なことかもしれないし。そういう意味じゃ、当事者である殿下は、どうなのだろうな……。彼は、彼女の心根を知っているのか、あるいは、知らされていないのか……」

緒方会長が、独り言のように淡々とそう呟いた。

「他人の恋路に口を挟む奴は、馬に蹴られて死んじまえ…か」

トシが、ぼそっと口に出し、またしても女子たちからの、冷たい視線を集めてしまった。

「いや、トシの言う通りだ。恋愛問題は当人達の問題さ。俺たちがとやかく言っても、どうなるものじゃない」

「そうですよね。姫がフリーになったということは、殿下以外の万人にチャンスがあるってことだよな」

珍しく、緒方会長がフォローしてくれたので、ほっとしつつ、俄然、気合が入ったトシ先輩だった。

「殿田先輩は、たしかに、知勇兼備だけれど、姫と並ぶとちょっと美女と野獣ですものね……」と沙耶花。

「そんなことないって! 殿田先輩は、いい人です!」

思わず、聖也は、反論してしまった。

「聖也、お前、いつの間に殿下のファンになったのだ?」

「それは、その……」

先日の『思出館』でのいきさつを説明するわけにもいかず、自分の口下手を呪ってしまう聖也だった。

翌日も、噂の渦中の姫野妃佐子は、やはり欠席だった。

そして、その日の放課後、『Mクラブ』の部室に、噂の主の片われ、殿下こと殿田勇がふらりとやって来た。

「よう、緒方、ちょっと相談があるのだが…」

ヒデ&トシ、沙耶花は、興味津々といった面相で緒方の反応を覗った。今日はバイトで先に帰った聖也の顔は、その場のメンバーの中にはなかった。殿田が、ちらりと彼らに視線を向けたので、意を察したように緒方は、ノートパソコンを閉じると無言で立ち上がった。

「先輩、どこへ?」と、トシ。

「今日は、もう帰る。じゃあな」

その緒方の後を追うように、殿田も出て行った。

しばらくして、ヒデ&トシがおもむろに後を追う。

沙耶花は、呆れ顔で、それでも先輩たちに続いた。

けれども、結局、彼らは二人を見失ってしまった。

 

そして数分後、まんまと後輩たちを煙にまいた緒方と殿田は、再び『Mクラブ』の部室に戻っていた。

「さて、用件は?」

「お前さ、その……探偵とか、興信所とかに、知り合いはいないかい?」

「そうだな……あてがなくもないが、何を調べるつもりだい?」

「それは……」

「公言できるくらいなら、そんなものを頼りにするわけもないか。まぁ、だいたい、察しはつくがね」

「すまん……自分で調べればいいのだろうが、信用できるかどうかもわからんし、高校生だとわかったらまともに相手にしてもらえるかどうか、それに、費用を吹っ掛けられたら困るし……。そういうことには、疎いもので」

殿田の頼みを承諾した緒方は、携帯電話を

取り出し、その相手に電話をかけた。


⑬へつづく

「今夜は、気分がいいわ。なにか、他にも聞きたいことがあるかしら?」

「……その、本物と偽物と、どう見分けるのかな?」

「どうも、坊やは本物と偽物にこだわるわねぇ。言ったでしょう、偽物と一口に言っても、色々よ。それに私に言わせれば、本物と偽物を決めるのは、人間の勝手というものよね。人を欺くため、騙す目的で使われれば、それは確かに正真正銘の偽物よね、変な言い方だけど。本物を愛して、それを模倣して作ったレプリカがあったとするわよね。それは、偽物だけど、偽物じゃない。やっぱり本物なのかもしれないわよ。わかるかしら?」

「……はぁ、なんとなく」

「いいわ。その上でなお、やっぱり本物と偽物と呼ばれるものがあったとするわよね。それを見極めるには……」

愛子さんが勿体をつけたので、聖也は、彼女の次の言葉を待ちながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


「……ところでね、昔つきあっていた彼氏に、警察で偽札の鑑定をやっていた男がいてね。あら、ちょっと今、仰け反らなかった? 

私だって、若い頃には付き合った彼氏のひとりやふたりはいたのよ」

「は、はい。その彼氏さんが、どうしたのですか?」

聖也は、急いで、話題を戻そうと試みた。

「そう、彼が言うには、いかにして偽札を見極めるか、それには……」

「それには……?」

「より、多くの偽札に出会うことですって」

「はぁ??」

「あら、わからない? 本物ばかり見ていたって、本物と偽物の区別なんてつけられるわけがないじゃないの。だから、要するに、審美眼を身につけるためには、醜いものからも目を逸らしてはだめなのよ。これは、人生における教訓、真理でもあるわね」

愛子さんは、半ば自己陶酔したように力説した。

「そして、ひとつ補足するのなら、どちらか片方だけではだめなのよ。本物ばかりでもだめ。偽物ばかりでもだめ。お互いがあってこその存在なのよ。宝石の鑑定に関して言えば、やはり、それは技能なのよ。長い月日の積み重ね。日々の地道な努力鍛錬なくして、輝ける鑑定士の道は開けないわ」

「何事も、一朝一夕には成らないということですね」

先ほどから、聖也と愛子さんのやり取りを黙って聞いていた亜星が、そう言って話を結んだ。

「そうなのよ。だから、坊や。もし、私に弟子入りしたいのなら、いつでもいらっしゃい」

「いぇ、その、そこまでは……」

「あら、そう、残念ね」


「そういえば、この間、メモリアルダイヤモンドというのについて聞いたのですけど。あれって、人工ダイヤだとしても、この世に唯一のものだとしたら、やっぱり本物といえるのかなぁ…」

「そうねぇ、私も死んだらダイヤモンドにしてもらおうかしらね。遺言書にでも書いておこうかしらん……」

愛子さんからダイヤを作ったなら、さぞ特大の大粒のものができあがるにちがいないと、聖也は想像した。


「ダイヤモンドって、宝石の中で一番硬いって本当ですか?」

「そうね、でもダイヤだって金槌で叩けばあっけなく割れてしまうものよ」

「えっ、そうなのですか……」

「硬さ、硬度というものと、脆さというのは別物だし。それに『ダイヤモンドは傷つかない』というけれど、それだって嘘よ。だって、ダイヤモンドを研磨するのは、実はダイヤモンドなのよ。だから、本物のダイヤを傷つけることができるのは、本物のダイヤだけなのよね」

「ふーん……」

聖也はただただ感心するばかりだった。

愛子さんのうんちくは、その後も延々と続いた。

「ダイヤの硬度を10として、硬度7くらいのルビーやエメラルドなんては、それこそただ放置するだけでも、空気中の細かい微粒子によっても傷ついてしまうものなのよ。宝石に限らず、たとえば、亜星ちゃん、ちょっとあなたのサングラスを貸してごらんなさいな」

愛子さんに言われて、亜星はサングラスを外して彼女に渡した。

「ほら、ずいぶん傷ついているじゃない。何年も同じものを使っているのでしょう?」

「そうですね、まぁ……かれこれ10年ほど。自分では見えないですから、気がつきませんでした。そのうちに、買い替えも考えてみますから」

そう言って、彼はまたサングラスをかけなおした。

「いっそ、サングラスなんてかけなければいいのにねぇ」

愛子さんが、なんだか残念そうに、そう呟いた。 

聖也としては、愛子さんが言ったようにして欲しいような、そうして欲しくないような複雑なところだ。

四六時中、亜星さんの忘れな草色の瞳をまともに見ていたら、きっと、ドキドキしっぱなしになるだろう。

お店に訪れたお客だって、誰だって、彼の瞳に見つめられたら、きっと、その虜になってしまうだろう。

もっとも、サングラスをかけていてもいなくても、そのままで十分、彼は周りの人間を惹きつけてしまうのだ。

当の本人は、それを承知しているのか否か、聖也が思うには、たぶん、自覚はあるのだろうけれど。


後日、愛子さんが、たまたま聖也とふたりきりになったときに、彼女が秘めた思いをそっと教えてくれた。

「私がこの世で一番愛する宝石はね、亜星ちゃんと魅夜の瞳かもしれないわね。どんなに欲しくても自分の物にはならないって、わかっているけれど。ときどき、そばでそっと見つめることができるだけ、それだけでしあわせだわ」

実は、愛子さんは、『思出館』からの、亜星からの依頼については、いっさい、鑑定料を請求しないのだそうだ。それは、彼女がまだ駆け出しの鑑定士だった頃に、先代の美也子さんにお世話になったからなのだという。

そして、亜星曰く。彼にとって、美也子さんの遺してくれた最高の財産は、質屋『思出館 忘七草』の店そのものと、そして、人脈、人と人とのつながり、そういったものなのだろうと。




数日後、聖也がいつものように登校すると、何やら学校中が騒然としていた。あちこちで生徒がひそひそと噂話をしていた。教室に入るとすぐ沙耶花が寄って来た。

「おはよう、沙耶花。なんだか騒がしいけど…?」

「知らないの? 大変よ! 姫と殿下が婚約解消ですって!」

「えっ! どうして?」

「わからないわよ。だから、みんな噂しているのじゃないの!」




⑫へつづく 




聖也が店に戻ると、亜星は、鑑定士の彼女に電話で連絡をし終えたのか、受話器を置いたところだった。

「亜星さん、その…さっきは、余計な口出しをしてすみませんでした」

いつもの亜星なら、ここで「構わないよ」と微笑んでくれるはずだったが、聖也の期待に反して、そのときの彼の返答は、眉根ひとつ動かすこともない冷ややかなものだった。

「確かに、そうだね。店のことに関しては、君にどうこう言われる筋合いじゃない。だから、僕が彼の要望を承諾したのは、君の先輩だからというのではないから、その点は気にしなくてもいいよ。こと商売に関しては、個人的感情は差し挟まないというのが鉄則だからね」

そのときのことを、聖也は、やはりあとでこっそりと、魅夜にたずねてみた。

「あのとき、亜星さんは怒っていたのかなぁ……」

『亜星も言っていたように、星夜が気に病むことはないわよ。質屋として、と言うより、客商売の心得として、個人的感情は持ち込まないというのが鉄則ではあるけれど、裏を返せば、それは建前なのよ。むしろ、どこまで、個人的感情を差し挟むか、その匙加減が微妙なのよね』

「そういうものなのかな?」

『星夜は、あの彼が持参したネックレスがどういうものか、知っているのでしょう?』

先日の『Mクラブ』での話題では、殿田先輩が18になったら、姫野先輩と正式に婚約することになっていて、そのときに彼女に贈ることになっているのだと聞いた。だとしたら、あれは大切な品物のはずなのに、それを質草にしたということは……?

『殿田君にとっては、近い将来よりも、今、ピアスの方を取り戻すことの方がとても重要だったということよね。彼は、彼なりの相当の覚悟を持って、うちの店に来たのよね。亜星は、もちろんそれがわかっていたから、あのとき、すぐには承諾しなかった。でも、結局のところ、どうするべきかを決めるのは、お客様の側であって、店主はそれを受け入れるだけなのよ』

「僕は、なんだか余計なことをしてしまったのかな…」

『そんなことはないわよ。ほとんどの場合、お客様のその後を知ることはなかなかないけれど、今回は、星夜を通じて、成り行きを知ることもできそうね』

「美也子さん、なんだか楽しそうだね」

『そうね。星夜のおかげで。人と人との関わりというものは、なかなか複雑で、ときにはとても奇妙で、興味が尽きないものだわ』

さて、亜星が鑑定士の麻生愛子に連絡をしたので、先日のごとく、ものの15分もしないうちに、彼女が店にやってきた。

「また、鑑定の依頼がもらえるなんて嬉しいことね」

「聖也君のおかげもあります」

「あら、そうなの。ありがとうね。坊や」

そう言って、愛子さんが首に絡み付きそうになったので、聖也は慌てて丁重に遠慮しておいた。

「そ、そんなことはないです」

「それにしても、見事なネックレスだわね。私が欲しいくらいだわ」

もう十分に豪華な宝石を身に付けているというのに。

今日も愛子さんは、全身ゴージャスな装いだった。

「今日は、お急ぎではないのですか?」

「えぇ、久々に亜星ちゃんのいれてくれたお茶でもご馳走になろうかしら。どうせ帰っても待っていてくれるのは猫だけですもの」

26才にもなる店主を、やっぱり、ちゃん付けで呼んでおいて、愛子さんは、「よっこらしょ」と言いながら、カウンターの高椅子に腰かけると、黒猫の魅夜を膝の上に抱きあげた。自分でも猫を何匹も飼っているのだという猫好きの人間は、猫にもそれとわかるのだろうか、魅夜も愛子さんにじゃれている。それとも、美也子さんが挨拶しているのかもしれない。そんなことを思いながら、聖也は、夕飯の支度にとりかかろうとエプロンを首にかけつつ、なんの気なしに言ってみた。

「あの…、よかったら一緒に夕飯を召し上がりますか? 僕の作った料理じゃ、お口に合うかどうかわかりませんけど……」

愛子さんは、しばらくぽかんとして返事もしなかった。が、次の瞬間、感極まったようにハンカチで目頭を押さえたかと思うと、およよと泣き始めた。

「なんて優しい坊やなの! やっぱり、亜星ちゃんが見込んだだけのことはあるわね」

「とりあえず、お茶でもどうぞ」と、店主。

「菊枝がいなくて良かったわ。彼女じゃ、ぜったいそんなことは言ってくれないものね」

女宝石鑑定士は、鼻水をズルズルとすすったあとで、ティッシュを数枚重ねると盛大に鼻をかんだ。

 

小一時間もすると食卓が整った。今夜のメインメニューは、生鮭とキノコと野菜のホイル焼きである。夕食は、聖也と家政婦の菊枝とが交代で作ることになっている。実家にいた頃から、料理や家事はふたりの姉達よりも得意で、聖也の数少ない特技でもあった。『思出館』に下宿するようになって、かれこれ半年余り経った今では、料理のレパートリーも着実に増えてきた。もっとも、菊枝の料理が和食中心なので、聖也の作るものは、必然的に洋食風のメニューが多かった。いつもは、亜星と聖也とふたり分だけだが、この頃は、気まぐれな右京がちゃっかり加わることもあるので、3人分の食事を作るのがすっかり習慣になってしまっていた。

「おいしかったわ~~! 聖也ちゃんって、いいお嫁さん……じゃなかった、いいお婿さんになりそうね」

「はぁ……どうも」

「なにかお礼がしたいわね」

「えっ、いいですってば……」

聖也が恐縮していると、亜星が口添えをした。

「愛子さん、聖也君は、愛子さんの宝石に関する知識をとても知りたがっているようですよ」

「あら、そんなことなら任せて」

「はぁ、じゃあ、お願いします」

そう答えつつも、聖也にとって意外に思えたのは、亜星が聖也のひそかに思っていたことを口にしたことだった。そして、あらためて思った。普段はそれとひけらかすことはないけれど、彼はいつでもその気になれば、他人の思いを知ることが出来るのだということを。こういうとき、ふと、聖也が亜星の表情を窺うと、彼はたいていほんの少し悲しげな顔をするのだった。だから、聖也はつい言い訳をしてしまいたくなるけれど、それでも、なるべく平静を装ってみるのだった。

「あの、愛子さんが今、身に付けている宝石って、全部本物なのですかぁ?」

聖也は幾分、遠慮がちにそっとたずねてみた。

「さぁ、どうかしら?」

愛子さんは、ちょっと悪戯っぽく笑った。そういう仕草は意外なことに、ほんの少しだけ可愛く見えなくもない。

「仮にもその宝石鑑定士さんだから、偽物ってことはないですよね?」

「仮にも…って言うのは、ちょっと余計よ」

「す、すみません」慌てて謝る聖也だった。

「いいわ。ところで、坊やが言う、本物と偽物ってどういうものかしら?」

「えっ…? だって本物は本物で、偽物は偽物じゃぁ?」

「そうね。でも、本物といわれるものにも、天然宝石と、人の手によって作られた人工宝石もしくは合成宝石と呼ばれるものと、二通りあるのよ。さらに、人工のものでも、天然のものと同じ化学組成と結晶構造、諸性質をもったものと、一方は、外観は似ていても、実はそれらの異なったものと。天然のものは、それだけで希少価値だから、値段も高くなるけれど、人工のものは量産できるから、当然、比べれば安価よね。でも、天然のものより、不純物もなくずっと美しいものもあるわ。だから、そういう意味では、今、私の身につけているものは、すべて本物よ」

「す、すごいですね……。でも、その、泥棒に狙われたりするとか、そういうのは心配じゃないのかな?」

「ご心配ありがとう。高価なものには保険もかけているから。財産を持ち歩いているようなものだけど、現金を持ち歩くよりも、がさばらないし、銀行に現金を預けておくより安心かもしれないわ。日本人は、宝石というと女性のための装飾品という意識が強いけれど、西洋では、財産、貯蓄としての価値もあるのよね。私なんてひとり身だから、どこでのたれ死んでも、身につけた分の宝石で、葬式代くらいにはなるから、誰にも迷惑をかけなくてすむわよね」

そう言って、愛子さんは、カラカラと笑った。

聖也は、一緒になって笑っていいものなのかどうか、戸惑ってしまった。

「でも、それってちょっと、淋しいし悲しいのじゃ?」

「この年齢の女が、ひとりで生きていくというのは、そういうものよ。死して屍拾う者なし……それでも本望よ」

「そんな……、僕は、せっかく知り合った愛子さんが、もしそんなことになったらやっぱり悲しいです。亜星さんだってそうですよね」

聖也が同意を求めると、彼は、穏やかに相槌を打った。

「あら、ありがとう。それじゃあ、私が死んでも、少なくともふたりは悲しんでくれるということね」

黒猫の魅夜も、ニャーオンと鳴いた。

「ふたりと一匹ですね」と亜星。

女宝石鑑定士の愛子さんは、しあわせそうに微笑んだ。



⑪へつづく

聖也がバイトから帰ると、店の扉の前に人影があった。昨日の今日だったので、その恰幅のよい後ろ姿だけで相手が誰か察しがついた。

「殿田先輩、お店に用ですか?」

「お前は……えぇと、なんて名前だった?」

「1年の高橋聖也です。ここに下宿しているものですから。お店はまだ留守かな。亜星さんは夕方には戻るって言っていたから、中で待ちますか?」

聖也は店の扉の鍵を開けて、殿田を招き入れた。

「緒方が言っていた『Mクラブ』の一年坊って、お前のことだったのか」

聖也がいれた緑茶を一気に飲んで、おかわりを要求しながら、殿田が言った。そういえば、緒方先輩とはクラスメイトだと聞いていた。それにしても、自分は3年の噂話にのぼるほどのものなのかと、聖也としてはちょっと嬉しいような、困ったような複雑な心境だった。

「あの…緒方先輩は、僕のこと何か言っていましたか?」

「そうだな、質屋に下宿しているユニークな奴だとか」

それは質屋に下宿していることがユニークなのか、それとも聖也本人がユニークだという意味なのだろうか。なんだかやっぱり悩ましい聖也だった。

「緒方が他人の噂をするなんて珍しいからな。あいつは、一見して自分の興味のあること以外は無関心のように装っているが、その実、情報収集力は侮れないからな。俺も高校3年間で、いろいろ世話になったものだ」

元生徒会長に一目置かれているとは、さすがに緒方会長は只者ではないと、聖也はあらためて感嘆した。

それにしても、こうして話してみると、昨日とは随分違った印象を持ってしまうから不思議なものだとも思った。話してみないとその人物がどんな人物かなんてものは、わからないものかもしれない。そういえば、緒方先輩の異母兄である一成さんとの場合も、第一印象とその後とでは、随分変わったものだったと、ふと思い出した。そうすると、たとえば、姫野妃佐子の場合も、ひょっとしたら最初の印象と、本当のところはまた別物なのかもしれない。

「あの……聞いてもいいですか?」

「なんだ? そういえば好奇心旺盛なのだそうだな。あいつの後輩じゃあな。なにしろ『Mクラブ』っていうのは、そういう奴の集まりらしいからな」

「はぁ、すみません」

「別に謝ることはないさ。悪いことじゃないだろう」

「その…姫野先輩と許婚者だって本当ですか?」

「まぁな。姫がどう思っているかは知らないが」

「どうって…?」

「ちぇっ、なんで、俺は1年坊主相手にこんなことを話さなくちゃいけないのだ。まぁ、いいさ。おい、お前が女子だとして、たとえばそうだな、この店のあの和服の店主の青年と、この俺と、どっちか彼氏にするとしたら、どっちがいいと思う?」

「えっ、それはその……」

「お前って、口下手だって本当らしいな」

「いつも先輩達にもそう言われます…」

「なんだい、口先だけで嘘を並べる奴よりよほどましじゃないか」

「そう、ですか?」

「とにかく、話を戻すと、俺も姫も、誰も、俺たちが似合いのカップルだなんて思っていやしないさ。お前だってそう思うだろう? 美女と野獣だと」

たしかに容姿から言えば恰幅の良い体格の無骨とも言える殿田は、女の子好みとは言い難いかもしれない。

「そんな、だって、殿田先輩は、生徒会長もやって、柔道部の主将もこなした立派な先輩じゃないですか…」

知勇兼備と誉れの高い彼のような人物にも、コンプレックスはあるものなのだと、聖也は複雑な思いで納得した。それでも、不思議なことに、むしろそんな殿田に親近感を抱いたのだった。

 

小半時して、店主の亜星が帰宅した。

「留守にしていて、お待たせしてしまったそうで、申し訳ありません。今日は、どういうご用件でしょうか?」

「今日は、質草になるものを持参した。いくらで買い取ってもらえるだろうか? その金で、昨日、彼女が預けたものを買い取りたい」

そう言って、殿田が差し出したのは、眩いばかりの輝きをもったみごとなネックレスだった。その場に居合わせた聖也は、思わず溜息をついてしまった。

「すごい…まさか、これって本物のダイヤ?」

「本物に決まっているだろう」

「ご承知とは思いますが、宝飾品ということですと、一旦お預かりして鑑定に外注することになりますが」

「仕方ない。正確な金額の清算は後日でも構わないから、それでも、さしあたって希望したものと交換してもらえるのだろう?」

亜星は、即答をしなかった。

聖也は、たまらずに口を挟んでしまう。

「亜星さん、僕からもお願いします。殿田先輩の要望をかなえてあげてください」

かたわらで、黒猫が一声、ニャーオンと鳴いた。

亜星は、しばし思案の様相を見せた後、おもむろに、着物の懐から福紗に包まれたそれを取り出し、カウンターの上に差し出した。

「どうぞ――」

「ありがとうございます。恩にきます」

殿田は、ほっとしたように頭を下げた。

「お礼には及びません。うちとしましても、高価な取引は望むところですから。鑑定結果は後日、ご報告ということでよろしいですね。聖也君、彼の連絡先を控えておいてくれるかな。それでは、これはお預かりしますので」

聖也は、言われた通りにしてから殿田を見送った。

「先輩、良かったですね。でも…あのネックレスって?」

殿田は、聖也の疑問をさりげなく断ち切った。

「いいのだ。聖也がいてくれて良かった。俺だけだったら、あの店主は承諾しなかったかもしれないな。そんな気がする。ありがとう」



⑩へつづく