『自分以外の誰かを信じること、信じ続けることは、とても難しい。そして、自分を信じることはもっと難しい』
魅夜の美也子さんがそう言ったので、聖也はようやく、ほっとため息をついた。
「右京さんも、姫のこと、知っているのですね。緒方先輩は、僕が亜星さんから聞いて事情を知っていると思っていたらしいけれど、でも、僕は何も知らなかった」
「知りたかったことを知ることができて、聖也君は、満足かい?」
「亜星さんって、やっぱり意地悪だな……。満足かどうかなんてわからないけれど、知らない方が良かったのかもしれないけれど、姫のプライドを傷つけてしまったかもしれないけれど、それでも、僕は、殿田先輩を信じて良かったと思います」
「それは、君の自己満足に過ぎないかもしれないね」
「そうかもしれないけれど……」
「別に、君を責めているわけじゃないよ。僕も似たようなものだからね。まったく、身につまされる」
『自分以外の誰かを信じること、それはつまり、そう信じている自分自身を信じることでもあるのよね』
「そうなのかなぁ……」
「きっと、そうかもしれないね」
「亜星さんがそう言うのなら、信じることにします」
「他人に全幅の信頼を寄せるのは危険なことかもしれないよ」
「大丈夫、たとえ相手が亜星さんでも、100%信用するわけじゃないですから」
「そう言われるのも、なんだか悩ましいね」
「だって、亜星さんだって嘘はつくでしょう? たとえばさっき、姫に言ったこと。姫のピアスと殿下の持ってきたネックレスが同等の価値だなんて。あれは、姫のために言った方便だったのじゃ?」
「そのことだったら、嘘でも方便でもない。それとも、聖也君は、愛子さんの鑑定を疑うのかな?」
「そんなことは、ないですって。でも……どうして?」
「愛子さんにこの間、レクチャーしてもらっただろう。
本物と偽物について、天然石と人工石について」
「はぁ、まぁ……?」
「愛子さんの鑑定によると――」
そして、亜星は聖也の疑問を解き明かした。
つまり、姫が最初に質草として置いていったピアスは、本物の極上の天然ダイヤモンドで、一方、殿田の持参したネックレスは、ヘッドの一番大粒のダイヤのみが天然石で、残りの小粒のものはすべて人工のものなのだと。だから、それぞれの鑑定による評価額は、ほぼ同等なのだと。
「姫は、知っていたのかな、殿下は?」
「彼女は、自分の物については、もちろん知っていただろうね。ネックレスに関しては、ふたりとも、たぶんそれとは知らなかっただろうけれど」
「亜星さんは、最初から、すべてお見通しだったわけ?」
「僕には愛子さんほどの鑑定眼があるわけじゃないし、質草の価値については、すべて承知していたわけじゃない。それに、ものごとの成り行きというものは、それに関わる人々によって、微妙に変化していくものだろうから、すべてを読むことなんて誰にもできやしないだろう。だから、人と人との関わりというのは、本当に、奇妙で不思議なものだと思わされるね」
「姫は、やっぱりずっと殿下のことを思ってくれていて、いつか、何年か後に、あのネックレスを取り戻したら、そうしたら、殿下と姫は元通り一緒になれるのですよね。きっと、そうでしょう?」
「どうかな……。人の気持ちなんてものは、いつどう変化するか、わからないからね。当の本人の、彼らにさえも、それはわからないだろう」
「でも、僕は、きっと、大丈夫だと、信じます!」
「そう、言い切るところが、聖也君のすごいところかもしれないね」
亜星にそう言われて、聖也は久しぶりに、ほんの少し幸せな気分になった。
夜になると毎晩のように、二階にある聖也の部屋のベッドに、美也子さんの魅夜が遊びにやってくる。その夜も、聖也が寝ようとしたところに、黒猫が現れた。いつものように聖也は、彼女を抱いて背中を撫でたり、顎をくすぐったりしてやった。傍らには、幽体の和服姿の美也子さんが佇んでいる。店主の亜星は、一階の玄関脇の和室ですでにひとり休んでいるはずだ。彼は、自分のことについてはあまり多くを語らないので、聖也は、時々、こっそり美也子さんから、彼のことについて、いろいろ聞いたりするのだ。
「ねぇ、美也子さん、もしもあの時、姫が告白したことを、僕や緒方先輩に忘れて欲しいと彼女が望んだのだとしたら、そのとき、店主としての亜星さんはどうしただろう……僕たちがそれを拒んだとしたら?」
『そうね……星夜の想像どおりよ。亜星は、星夜や賢三君や、その相手の意志に関わらず、それを忘れさせることもできたでしょうね。幸い、彼女がそれを望まなかったので、そうはならなかったけれど』
「そうか……そうならなくて良かった……」
『それよりも、さっき、星夜が姫のための方便だと言ったときに、亜星はそうじゃないと言ったけれど、あれは実は半分は嘘なのよね』
「えっ、どうして?」
『だから、つまり半分だけなのよ。実はね、ダイヤモンドの価値としては、ピアスのものの方がはるかに高価なの。だから、同等の価値というのは、ピアスひとつ分と
ネックレス一連分とね』
「どういう意味? それじゃあ、ほとんど詐欺だよ!」聖也は首を傾げつつ、憤慨したように叫んだ。
『同等の価値と言われて、たとえば百万円分の価値だと理解した彼女は、あのネックレスを買い戻すために、それだけの金額を正当に稼ごうと努力するでしょう。十年かけてでもね。でも、実際は、その半分の努力ですむのだとしたら? 結果的に、彼女は当初の半分の期間でそれを手に入れられるでしょう。おそらくね』
「だったら、最初からそう言ってあげればいいのに?」
『さぁ、どうかしらね。もしも、そうした場合、逆に、5年、あるいは10年以上の時を費やすことになるかもしれないわ。人間というものは、往々にしてそういうものなのよ』
「なんだか、やっぱり、彼女を騙しているような気がするな……」
『いずれにしても、彼女次第なのよね』
「亜星さんは、優しいのか、厳しいのか、僕はときどきわからなくなる……」
黒猫の魅夜が、聖也を慰めるかのように、身をすりよせるとぺろりと舌を出して聖也の顔を舐めた。
『ねぇ、星夜。人が誰かを信じたいと思うとき、そう思う時点ですでに、人はわずかでも疑いを抱いているのよね。100%完璧に人を信用なんてできないのは当たり前よ。でも、だからこそ、その上で信じてなお、それが報われたときに、喜びを感じられるのでしょうね。たとえ、それが自分勝手な自己満足であったとしても』
「信じることは、パワーだよね。思っているだけで何もできないこともあるけれど、信じること、思うことは、なにも考えないよりも、なにも思わないよりも、きっとそれだけでも、意味のあることなのだって、そう思いたいな、僕は」
『そうよね。そう思えるところが、星夜らしいところですものね。自分らしさというのは、ときには短所でもあるけれど、長所でもあるのよね。星夜は、いつも口下手だって自分を卑下しているみたいだけれど、殿田君も言ったように、必ずしも悪いことじゃないと思うのよ』
「うん、ありがとう」
『たとえば、賢三君は、賢いかもしれないけれど、彼みたいなタイプは、物事を先読みしすぎるきらいがあるわよね。彼に足りないのは、ときにはちょっと立ちどまって、まわりをよく見回して、少し待ってみることなのじゃないかしら。今回の件でも、そうだったように』
「そうかぁ……でも、先輩自身もそんなことを言っていたみたいだから、きっとわかっているのかも」
『それにしても、星夜のまわりには、面白い人間が多くて飽きないわよね』
「それって、褒めているのかなぁ?」
『もちろんよ』
美也子さんはそう言って笑ったけれど、聖也としては、人が集まるのは、きっとこの『思出館』という店そのもの、店主の亜星のせいなのだろうと思うのだった。
⑲へつづく