「……そろそろ、昼食の支度をしなくちゃ。

ちょっと足りないものがあるから、買い出しに行ってきます」  

そう言って聖也は立ち上がり、茶の間をあとにした。


店の南側の扉から外に出ると、後ろから黒猫の魅夜が追いかけてきた。

『星夜、待って……』

「慰めてくれなくてもいいよ、魅夜」

『そうじゃないわ』

「妙だね、昼間なのに君と普通に会話しているなんて」

『そうよ、これだけは星夜に伝えたいのよ』

「美也子さんにとっては、やっぱり、亜星さんが一番なのでしょう?」

『そうね。でもね、星夜。私でさえも亜星のすべてを知って理解しているわけじゃないのよ』

「そうなの?」

『相手のことを知って、それを理解するには想像力が必要だわ』

「どうやって想像するの?」

『相手のことを想うのよ』

「難しいね」

『そうね。簡単だけど、難しい。亜星が他人の思いを知ってしまうことがどういうことか、その感覚は彼以外にはわからないでしょう』

「美也子さんだって、店主だったのに?」

『そう、私とあの子は別々なの。似て非なる者ね。

彼に一番近かったのは、初代の店主だった私の祖母でしょうね。

それでも、まったく同じではなかったでしょうけれど。

だから、これも私の想像にすぎないのだけれど――』

そして、美也子は語り続けた。


『私達、私を含めて、代々の店主だった女性は、相手のお客様に触れることによって、その思いを、より深く、たしかに知り、そしてときには預かってきたものよ。

だけど、さっき彼が言ったように、彼は違うのね。

彼が相手に触れるそのときは、むしろ相手との間に一線を引くためなのじゃないかしらね。だって、彼は触れなくても、居ながらにして思いを知ってしまうのですもの。常に、他人と自分との間に境界がないというのは、どんなものかしら? それがどんなことかなんて私達には想像もできないものだとしても、それでも想ってほしいのよ。星夜には』

「僕には、そんな能力はないのに……」


『いつか、星夜は言ってくれたわよね。

亜星の内には、広い空と無限の宇宙があるのだと』


「…あのときは……、美也子さん、聞いていたのだね…

…なんでもお見通しだね」

『あれは、とても的を射ていたわね。

だけどね、逆もまた真理なのよ。

広い空と無限の宇宙のただなかに亜星はひとりきりなのよ』

「誰だって、人はみんな孤独なのだって、そう言ったのも、美也子さんでしょう?」

『そうね……』

「だけど、僕のものと、亜星さんのものは比べるべくもない。

それくらいわかるよ」

『星夜は星夜ですもの』

「……僕は、亜星さんを信じたい。

だけど、何を信じたらいいのかわからなくなる」

『嘘の中にも真実はあるわ。真実の中に嘘があることも』


「それを見分けられるほど、僕は賢くもないし、器用でもない。

納得しているふりなんてできないよ。僕に嘘をつけって言うの?」

『知って知らないふりをすることが、嘘つきだというのなら、たしかにそうよね。でもね、それが相手のためを思ってつく嘘ならば、許されるのじゃないかしら?』

「もしそうでも、僕は嘘なんてつきたくないし、誰かに、亜星さんに、僕のためだからって嘘をついて欲しくなんかない……」

『星夜も、これから大人になるにつれて、きっと嘘をつかなければならないときが来るかもしれないわ。でも、星夜には、いつまでも素直なままでいて欲しいと私は思うわ』

「そんなの無理だよ……」

 聖也は、いつのまにかその場にしゃがみこんでしまった。

『大丈夫よ。きっと、星夜なら』

「……やっぱり、慰めてくれているだけじゃないか」

抱え込んだ膝の上まで、魅夜がじゃれるようにしてよじ登ってきた。

聖也は、目頭をごしごしと擦った。 

「もう、いいよ。買い物をしたらちゃんと帰るからさ」

聖也はそう言って魅夜をそっと追い返した。



④へつづく

次回で7話完結です。