それから小半時後、エンジェルは意識を回復したふたりの男たちを従えて、『思出館』を去っていった。
店内には、ふたりと一匹だけとなった。
「右京さん、さっきはどうもすみません」
「ふん、本当にすまないと思っているのかどうか、怪しいものだな……。まぁ、いいさ。それにしても、なぁ、亜星。お前って、本当に何でもお見通しなのか?」
「そんなことはないと、さっきも言ったでしょう」
「どうだか、信用できないな」
「それは、こっちの台詞ですよ。でも……」
「でも? なんだい?」
「さっき、彼女が拳銃を向けたときに、右京さんが盾になってくれるとは思いませんでした」
「そうかい、俺も自分でも驚いたさ」
「だから、右京さん本人にもわからないことが、僕にわかるわけがないでしょう」
「なるほどな。それにしても、お前、本当に目が見えるようになりたいとは思わないのか? その、倉橋から預かったものの中身を知っているんだろう?」
「たしかに、それを知ることは可能かもしれませんが、それはパッケージングされた状態であるわけで、あえてそれを紐解くというのはおそろしく難儀ですから。うまく言葉では表現できませんが。それに、お客様の思い出には手をつけないというのが、店主の信条ですから」
「そうか……。ところで、ひとつ頼みがあるのだが……」
「なんですか?」
「お前のサングラス、ちっと貸してくれないか? 俺のは壊れちまったから。今から、新調しに行きたいのだが、あまり人目に触れたくはないのでな……だめか?」
「いいですよ」
亜星は快く承諾して、自分のサングラスを外すと、右京に差し出した。右京は、それを受け取りながら、亜星の顔色を窺いつつ、やはりと納得する。
「じゃあ、ちょっと借りるぜ。ところで、聖也が帰って来ないうちに、一杯やらないか?」
「サングラスを買いに行くのじゃ?」
「お目付け役の聖也が帰ってこないうちに一杯だけさ」
そう言って、右京は勝手にカウンターの中に入ると、流しの下から一升瓶を取り出した。
「ビールじゃないのですか?」
「お前、日本酒ならいけるのだろう」
「飲み比べはしませんよ」
「顔色が悪いぜ。潔斎が必要なんじゃないのかい。聖也に心配かけたくはないだろう」
「そうですね……それじゃ、一杯だけ」
右京は杯に清酒を満たすと、それを献杯した。
「……倉橋の冥福を祈って」
亜星もそっと忘れな草の瞳を閉じて祈った。
夕刻、下宿人高校生の聖也が元気よく高校から帰ってきた。
「ただいま――」「お帰り、聖也君」
「あれ――、亜星さん、サングラスは?」
まだ日が暮れないのに、亜星はサングラスをはずしていた。
「あぁ、ちょっとね……」
「よう、聖也、今帰りかい」カウンター裏の茶の間から、暖簾をのけて片桐右京が顔を見せた。ブルーのサングラスをしている。彼のいつもの物は、ミラーコートのサングラスなのに。聖也は不信に思って問い質した。
「あれ、右京さんのそれ、亜星さんのじゃ?」
「まぁな。俺のはちょっと壊しちまって、これから買いに行くところさ」
「さてはまた、喧嘩でもしたんでしょう?」
「まぁな……。それより聖也、今夜のメシはなんだい?」
「餃子ですけど……」
「おお、ビールに合いそうだな。俺が帰って来るまでに作っておいてくれよな」
「またぁ――。こんなこともあろうかと思って材料を多めに買っておきましたけどね。その代わりビールは自分で買ってきて下さいよね。それに、こうもちょくちょくじゃ食費が予算オーバーで。今度から、食費を払って貰った方がいいのじゃないですか、亜星さん、そうすべきですよね?」
「それもそうだね」
質屋『思出館 忘七草』の七代目店主の彼は、下宿人のきわめて建設的な提案に、賛同の意を込めて相槌を打った。
『思出館へようこそ』第8話 ― 終 ―