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創作作品以外のトークを書くことはあまりないのですが。


近況報告と、お知らせです。


『思出館へようこそ』の第1話~9話までの、


ブログへのアップをようやく終えることができました。


1話を書いてから、かれこれ10年も月日が流れてしまいました。


続きの10話については、まだ全体の1/10位しか書けていません。


なので、しばらくブログにアップすることはできそうもありません。


とりあえず、夏の間は、ブログの更新もお休みさせていただきます。


その間に、少しでも10話の執筆をがんばれたらと思います。(*^_^*)



『―― それで、どうなったの?』

魅夜の美也子さんが興味津々というようにたずねた。

「もちろん、姫と山口先輩は仲直りしたよ」

聖也が、にんまりとして答えた。

その日の夕方、思出館での夕食時のことだった。

『良かったわね。女の子同士の友情というのは、こじれるとなかなかややこしくて難しいものだから』

「そうなのかなぁ…。女の子だからとか、男女とか関係なく、人を信じることって難しいけれど、でも、緒方先輩が言っていたみたいに、自分以外の誰かを信じるということは、自分を信じるということなのかもしれない。やっぱり、うまく言えないけれど…ね」

しんみりと、聖也が呟いた。

店主の亜星は、黙って微笑んでいるだけだった。

聖也としては、できればいつものように、亜星に何か語って欲しいと思っていた。そう口にすることはできなかったけれど。それでも、彼にはきっと、そんな聖也の胸の内がわかっているはずなのだ―――いつでも。

「聖也君には、敵わないね…」

やがて、彼がおもむろにサングラスをはずし、静かに語りはじめる。

「誰でも、自分の内に、嘘と真実を合わせ持っているものなのだろう…。 人はどうして、嘘をつくのだろう? 自分のために、ときには、自分以外の誰かのために――。

他人を騙し欺くことは、ある種の快感と優越感を伴うものかもしれない。それでも、意識的に嘘をついたそのあとで、誰かにその嘘がばれて、真実が公になってしまうことを恐れ、それを隠そうと必死になる。一方で、心の片隅では、秘密をかかえること、嘘をつき続けることはとても辛くて、誰かにそれを打ち明けたくなるものなのかもしれないね。たとえば、先日の姫野さんのように…」


亜星さんの内にも、嘘と真実はあるのだろうか?

聖也のそんな胸の内の疑問に、彼が答えた。


「あるよ、もちろん。自分以外の他人に嘘をつくのは、自分自身に嘘をつくよりも、ある意味、容易かもしれないな…」

「…僕は、自分に嘘をつくのも、自分以外の誰かに嘘をつくのも、どっちも難しいような気がしますけど…」

亜星は、どこか儚げな微笑を浮かべて、サングラスをかけ直しながら呟いた。

「だから僕は、そんな聖也君には、敵わないのさ…」

  


真夜中、吹きつける強い風が『思出館』店主の寝室の北側の窓硝子をカタカタと鳴らしていた。

床の中に忍び込んできた彼女のぬくもりを、彼は拒むこともなくそっと抱きよせた。

『眠れないの? そろそろ、人肌が恋しい季節よね…』

「聖也君は?」

『星夜は、もうとっくに眠ったわよ』

「美也子さん、いつか言ったね。聖也君は、僕の心を映す鏡のような存在だと――」

『そうね…そして、あなたは言ったのよ。その鏡が曇ることなく、疵つくこともなく、真実を映し続けてくれることを願うと。今でも、それは変わらない?』

「さぁ、どうだろう…? いつだったか、聖也君には嘘つきだと言われたことがあったな。それにこの間、右京さんにも聞かれた…。意識的に嘘をつく人間と、無意識に嘘をつく人間と、どちらがより罪深いのだろうと――。美也子さん、僕はいつのまにか無意識に嘘をつくようになってしまったらしい。店主であるために、知っていることを知らないふりをする……そうやってずっとやってきたけれど…」

『星夜が言っていたわ。あなたに、彼のために嘘をついてなんてほしくないのだと』

「僕は、いつだって誰かのために嘘をついたりはしなかった。店主としてあるためだと言い訳してみても、それは結局いつも自分自身のためだった」

『そうしなければ、あなたも亜希子や紗智子のようになっていたかもしれない…そうならなくて、よかったと私は思うわよ』

「ほんの少し前までなら、僕が意識的に嘘をつかなければならない相手は、薫さんと、美也子さんだけだった…。

薫さんが一成と一緒になってからは、もうあとは誰もいないだろうと思ったのに…」

『ところが、そうはならなかったというわけね…』

「聖也君、右京さん…この先も何人か増えていくのかもしれないな…」

『なかなか難儀しそうね…』

「…それでも、嘘と真実との挟間にあるものを、その挟間にあることを、愛しいと思うから…」

窓の外では、北風がさらに強くなってきたようだった。

どこか遠くで風が電線を鳴らしているのか、ヒュールリヒュルリという鳴き声のような音がしている。

「嵐がくるかもしれないな…」

『…そうね…。亜星、いいわよ。もう私には気を使わなくても。もう先日、あなたの本心は聞いているものね。あなたの代で、この店を閉めるつもりなのだと――。

十年間、私を欺くのはさぞ骨が折れたことでしょう?』

「あぁ、そうだね…。だから、美也子さん、お互いにもう嘘をつき続けることはやめにしよう…。お盆のときにたずねただろう、両親の霊が僕の元へ訪れてくれないのは何故だろうと……。その理由がようやくわかったよ…」

『亜星……』

「――つい先日、両親の夢を見たよ。物心ついてから、夢に両親が現れたのは初めてかもしれないな…。美也子さんは、夢を見る? 彼らに会ったかい?」

『――あの子たちは、あなたに何と言ったの…?』

「……彼らは、もう何も語ってはくれない。美也子さんのようには。ただ微笑んで見守っていてくれるだけだ」

それから、長いこと、ふたりは言葉を交わさなかった。

『季節の変わり目には、嵐はつきものなのよ。けれど、冬の厳しい寒さのあとには、きっと春が待っているわ。たとえ、どれほど大きな嵐がやってきたとしても――』



「そう信じて春を待つことにしようか。聖也君が言ったように、信じることにはそれだけでも力があるのだと、そう信じて――」


  第9話  終

聖也と緒方会長とが、姫野妃佐子と『思出館』で会ってから数日後、彼女が、放課後の『Mクラブ』へふらりと現れた。もっとも、図書準備室の入り口のドアの側に佇んでいた彼女にたまたま気づいた聖也が声をかけて誘わなければ、そのまま立ち去ってしまったかもしれない。

聖也がなんとか彼女を部屋に招きいれイスを勧めた。

「ひ、姫、何か飲みます? ご注文は?」

トシがためらいがちに声をかけた。

「Mクラブっていつから喫茶店になったの…?」

姫はやや硬い表情のまま揶揄するように言った。

「そ、そうじゃないけど…、たまたま、各自の好みに合わせて、各種とりそろえてあるだけで、その…」

机の上には、沙耶花が誂えたチェックのテーブルクロスが敷かれ、Mクラブのレギュラーメンバー五人分の、カップや湯のみが並べられ、お茶菓子までそろっていた。

ちなみに、紅茶党が会長と沙耶花、コーヒー党がヒデ&トシ、聖也がひとり緑茶党だった。

「…それじゃ、紅茶をお願いするわ」

「ハイ、ただいま!」と、トシ。

「…おい、トシ、でもその予備のカップなんて…」

小声で耳打ちするヒデ。そこへ沙耶花が加わる。

「あら、大丈夫よ。予備ならあるわよ」

そういって、すかさず花柄の、まさにとっておきのカップを取り出し、紅茶の支度をする沙耶花だった。

「いつの間に? 用意がいいね…」感心する男子3人。

「この頃、イレギュラーなメンバーが多いじゃない。だから、この間から用意しておいたのよ」

沙耶花のいうイレギュラーなメンバーとは、元合気道同好会会長の小石川倫子や、ヒデの彼女である新聞部の山口詩織のことであるらしい。その日は、彼女たちの姿はまだなかったが。


「…美味しいわ…」

紅茶を一口飲んで、いくぶん和らいだ表情になった姫がほっと深い溜息をつきながら呟いた。

「よかったですね――」と聖也。

それから、他のメンバーも各々のカップを手にしながら元の各自の定位置に戻り、それぞれ勝手に本を読んだりして、気ままなふりを装った。内心はどれほど姫に関心が向いていたとしても。いつもは、他のメンバーに加わらずノートパソコンに向かって小説執筆に没頭しているはずの緒方会長だけがひとり、姫に向き直っている。

「…ほんとに、変なところだわ、ここって…」

「変人の集まりだっていいたいのだろう…」と会長。

「そうじゃないわよ。…でも、そうかもね。学園中で私のことを噂しているというのに、ここだけは静かだわ。好奇心旺盛な…物好きな話題好きなメンバーのたまり場のはずなのに」


――あれから、『思出館』での一件があってから、聖也も緒方会長も、姫との約束を守って秘密は一切口外しなかった。もちろん、ここにいるメンバー相手にさえも。

にもかかわらず、どこからかその噂は流れたのだ。

殿田勇と姫野妃佐子、青蒼学園きってのカップルのふたりが、突然、破局を迎えたその理由について。

優等生だった殿田が、暴力事件を起こしたその原因は、

姫が妊娠中絶したからなのだと――。

彼と彼女に、表立って面と向かってそれと罵る生徒は誰もいなかった。ただ遠巻きに陰口を囁くだけだった。

それでも、彼女と彼はきちんと毎日登校して、今までどおりのごく普通の高校生活をこなしていた。

姫のクラスメイトである詩織からヒデが聞いたそれらの情報を耳にして、聖也は、ただ遣る瀬無い思いを募らせるだけだった。そんなとき、彼女が訪れたのだ。

姫は、聖也や緒方が秘密を漏らしたのだと思っているのだろうか…? それで、ここへ来たのだろうか…?

彼女に、謝るべきなのか、弁明するべきなのか、聖也は迷っていた。けれど、ここで弁明などしたら、噂が真実なのだと証明してしまうことになるだろう。


「緒方先輩…」「緒方君…」

聖也が会長に声をかけたのと、姫がそう呼んだのと同時だった。

聖也が彼の顔色を窺うと、会長は黙ってかすかに首を振り、姫の方へ視線を向けた。

「勇ちゃ…殿田君は、あれからあなたに何か話した?」 

「いゃ、特別これといって何も。あいつは前と変わらない。あいつのままさ。きっとこの先も変わらずあいつのままなのだろうな…」

「そうね……」


そのとき、ヒデがおもむろに立ち上がり、外の廊下に出ると入り口のドアを後ろ手にそっと閉めた。

姫が一瞬、はっとしたように顔色を変えた。

ヒデと話している低い声は山口詩織のものだった。

緒方が、聖也と姫を図書室へ通じるドアへと促した。

聖也は、遠慮がちに姫の手を掴んで立ち上がった。

ふたりと入れ違いに、ヒデが詩織を部屋に連れ込んだ。

いつもは溌剌とした詩織なのに、今日は元気がない。

「沙耶花、お茶よろしく」とヒデ。

「…さっき、姫が来なかった?」詩織がたずねる。

「もう、帰ったよ」と緒方。

「まぁせっかくだから、一杯やっていけよ」

「なんだか飲み屋みたいだな…」とトシ。

「ばぁーか」ヒデがトシの頭を小突く。

「どうぞ、山口先輩」沙耶花が紅茶を差し出す。

「ありがとう…」と言ってカップを受け取ったものの、視線をおとしたまま黙り込んだ詩織は、次の瞬間、いきなりポロポロと涙をこぼしだしたのだった。

「ヒデ、泣かしたな~~」とトシ。

「違うの…ヒデちゃんのせいじゃないわ。私が…」

隣の図書室では、無意識に姫の手を握りしめたままだったことに気づいた聖也が、慌てて手を離して謝ろうとしたものの、彼女の方は特に気にした素振りも見せずに、人差し指を立てて静かにという仕草を見せただけだった。聖也は、隣の部屋の様子にじっと黙って耳を澄ませている姫の横顔を見つめていた。ふと、いつか彼女を『思出館』に案内したときのことを思い出していた。今も彼女の耳にはピアスが光っている。それが本物であるか、それともイミテーションなのかは、やっぱり聖也には判別できそうもない。それでも、今の聖也には、あのときほどには、それが煌めいて眩しく感じられないのは、どうしてなのだろう。それが本物であるかどうかは、どうでもいいことかもしれない。あのときは、彼女そのものよりピアスの輝きばかりに目を奪われていたけれど、今は、その持ち主である彼女という人間を少しは知った気がするからなのだろう。聖也はそんなことを思っていた。

「……噂の出所は、君だね…」緒方会長が静かに訊いた。

詩織は、涙を拭いながら黙って頷いた。


「…こんなつもりじゃなかったのに。いつか姫の具合が悪そうなときがあったから、ひょっとしたらって冗談で言ったつもりだったのに…。ちょっとだけ、悔しくて。姫が私に何も相談してくれなかったことが…。私にくらいは話してくれてもいいのにって…。私って最低だわ。ヒデちゃんに、愛想をつかされても当然だわ…」

「馬鹿だな…誰が、愛想をつかすって?」

「だって…」

「詩織は噂を煽ったりはしなかっただろう?」

「そんなことはしなかったわ。信じてくれる?」

「信じるよ」と、彼。

「でも、姫はどう思っているかしら…」

「本人に聞いてみたらどうだい?」

「そんなこと、聞けないわよ…。怖くて…きっと姫は怒っているわ。

私のことを赦してなんかくれないかも…」

「さぁ、どうだろうな…」

「えっ…?」

詩織が振り向くと、図書室との境の扉が開いて、そこに姫が立っていた。

「姫…」

「詩織…」



〈22〉最終回へつづく

女医の上条真琴が、『思出館』を訪れたのは、右京がやって来たときよりも数日前のことだった。

いつものように、店主が来客に挨拶を述べたあと、女医の彼女が、自己紹介で答えた。

「上条です。覚えていらっしゃるかしら?」

「はい、先日は、お世話になりました」

店主の用意した緑茶を啜りながら、彼女がたずねる。

「いつも、そうやって和服姿なの?」

「亡くなった祖母の知り合いに呉服屋さんがおりまして、季節ごとに誂えてくれるものですから」

「私も、和服を着てみようかしらね。仕事中はちょっと無理だけれど、プライベートならいいかも。着付けの心得もおありとか、そのときは、お願いしてもいいかしら」

「今日は、そちらのご依頼ですか? 僕は、あくまでも師匠の助手ですから、それほどお役には立てないかと…」

「そう、いいわ。もちろん、今日お邪魔したのは、質屋『思出館 忘七草』のお客としてよ」

その名のもとに、店を訪ねるお客は、店主の持つ不思議な能力を頼ってくるのだ――。

「右京さんからの紹介ですか?」

「そうね。彼から、私のことは聞いたでしょう?」

「―――はい。ご依頼の内容を伺います」

「あなたの、質屋『思出館 忘七草』の店主としての、不思議な力について、右京から少し聞かされたわ。そして、思ったの。もしも、今現在の私をあなたに預けたら、ほんの数日だけでいいから、以前の私を取り戻せるものなのかと。もしも、それが可能なのだとしたら」

実際のところ、彼女は、内心ではまだ半信半疑だった。

けれども、店主の彼は、不可能だとは言わなかった。

「詳細をどうぞ―――」

彼女は、自分が緊張していることに気がついた。

外科医として患者の前では、常に沈着冷静であることを自負してきたはずの自分なのに。右京相手にさえ、あまり感じたことのない心地よい緊張感を、今、感じている。ひょっとしたら冗談から駒かもしれない。自分はこの盲目の和装の店主に好意を抱いているのかもしれないと、彼女は内心苦笑した。たった一度会っただけの、しかも自分や右京よりずっと年下のはずの相手に、他人には見せたことのない本心をさらそうとしているなんて。

「……3日後に、郷里の父に会いに行くことになっているの。父とは、私がカミングアウトしてから、絶縁状態だったのだけれど。もう、余命いくばくもないので、母がどうしてもと言うので」

店主は、黙って彼女の話の続きを促した。

「正直なところ、まだ迷っている。今の本当の自分を父に見せるべきか、それとも、せめて最後くらいは父の望む、息子としての姿を見せるべきか……」

「―――女性になったことを後悔しているのですか?」

「何年も悩んだ末に、自分で選択したことだわ。望みの自分を手に入れたつもりだった。それを後悔したくはないけれど、それでも、代わりに失ったものもたくさんあったから。承知して納得していたつもりでも、実際は想像と食い違うことだって間々あるでしょう。だから、何も後悔しなかったといえば嘘になるわね。誰だってそうでしょう。一生のうちに、後悔をしたことが何もなかったなんて言い切れる人なんていやしないでしょう? 

あなたは、どう?」

「後悔をしたことがあるかないか、ですか?」

「ええ、そうよ」

「ありません……」

「……じゃあ、嘘をついたことは?」

「それは、あります」

「それじゃぁ、今、言ったことも嘘かもしれないということかしら?」

「どうでしょう? あなたが、そうだと思うなら、そうかもしれません」

「あなたって、見かけによらず可笑しな人ね」

「どれほど真実なのだと主張しても、相手がそれは嘘だと思えば、それは嘘ということになってしまうでしょう」

「真実は常にひとつ、そういう考え方もあるわよ」

「そうかもしれません。ですから、人それぞれの心の在りよう、それ次第ですね」

「今の自分が真実なのだと、そう思いたいわ。でも、他人から見れば、作られた贋物でしかないのかもしれない」

「僕は、あなたの外見を知ることはできませんが、お会いして、お話をしているうちに、お人柄を知ることはできます。そして、そこから外見を想像することもできますが、それは、それほど意味のないことかもしれません」

「失礼かもしれないけれど、それは、あなたが盲目だからなのでしょう」

「――― 人の心に、性別はあるのでしょうか?」

「それは、詭弁よ」

「そうですね。でも、僕の両親や祖母はすでに他界していますが、肉親の情というものは今も感じることができます。あなたのご両親が、会いたいと切望しているのは、性別にとらわれることなく、ただ、あなたという存在そのものなのではありませんか?」

それからしばらくの間、女医は口を開かなかった。

やがて、感嘆とも、諦めとも、決断ともつかない、溜息をひとつついた後、彼女はようやく微笑んだ。

「あなた、質屋なんてよりも、カウンセラーの方が向いていそうよ」

「質屋の店主というのも、なかなかいいものですから」

「まったく、道楽よね。こんな上客を袖にするなんて」

「またのお越しを、お待ちしています」

「今度は、お客としてではなく、個人的にお会いしてみたいものだわね」

「そうですね。お医者様とお知り合いになるというのも、いざというときに、心強くていいかもしれません。なるべくお世話にならずに済ませたいとは思いますけれど」

「ねぇ、私の恋人だということで、一緒に両親に会ってくれないかしら?」

「――― 本心ですか?」

「嘘よ。ちょっと、あなたを困らせてみたかっただけ」

「右京さんの方が適役かと」

「彼はだめよ。嘘が下手ですもの。それに私も、彼にそんな嘘はつかせたくないの」

「それこそ、右京さんの本心を聞いてみないと、わからないかもしれませんよ」

「そうね。でも、彼の本心は、知っているわ。人の心はままならないわね」

「僕は、相手の願いをかなえてあげたいと思うこと、それが、愛情のひとつというものだと思います」

「でも、願いがひとつだけとは限らないでしょう。そして、人間というのは、往々にして、相反する願望を同時に抱いてしまうものなのよね…。ねぇ、こんな言葉を知っているかしら?

『愛のおのずから起こる時まで殊更に喚び起こし且つ醒ますことなかれ――――』

誰の言葉だったかしらねぇ……」



〈21〉へつづく

翌日の昼間、右京が『思出館』に顔を見せた。

彼は、店に入るなりずかずかとカウンターに歩み寄ると、無言のまま煙草を喫いだした。

「ご機嫌ななめですね」

「見えないのに、人の機嫌がわかるのかい?」

「空気が違いますから」

「そうかい。それじゃ、勘のいいところで、俺の胸の中を読んでみろよ」

「――もし、お前が、あいつらの記憶を消してくれたなら、殿田の坊ちゃんは、お咎めなしで済んだのかもしれないのに……ですか?」

「ああ、そのとおりさ。なぜ、そうしない?」

「右京さんは、思い違いをしています。僕は、万能じゃありませんから。前にも言ったでしょう? 相手の意志を無視して、思い出、記憶を預かることは、とても難儀ですから。しかも、複数相手というのは……」

「でも、やってできなくはないのだろう?」

実際の話、以前、亜星がふたりの人間相手にそれをやってのけたその場に、右京も居合わせたことがあるのだ。

「……どうでしょう? そこまでするほど、僕はお人好しじゃありませんから」

「それじゃあ聞くが、マコトの場合は?」

「上条先生の場合は、その必要を感じませんでしたから。右京さんにあらかじめ言われていたとおりに」

「たしかにそうだが。そういえば、あいつ店に来るとか言っていたが、あれから来たのかい?」

「彼女が店を訪れたかどうか、右京さんに報告する義務はないでしょう」

「そりゃ、そうだが。一応、紹介した手前、気になるだろう」

「お客様を斡旋してくれるのは有難いですけれど、どうも、右京さんの紹介は、いわくつきが多いですからね」

「人をトラブルメーカーみたいに言うなよな。それで、彼女の依頼はなんだったのだい? 何を預かった?」

「それこそ、秘密厳守ですから」

「ちぇっ、かたいこと言うなよ」

「……右京さんが何を期待しているのかわかりませんが、上条先生とは、商談には至りませんでした。ですから、

彼女からは、何も預かりませんでした。ただ、ほんの少し、世間話をしただけですよ。右京さんの悪口とかね」

そう言って、店主はお茶を啜ったきり、あとは黙りこんだ。彼がいったん自分から喋らないと決めたなら、あとは何を言っても無駄だと、長年のつきあいでそれと知っている右京は、それ以上の追求を諦めることにした。

それでも、ふと、右京は思った。もしも、相手が自分ではなく、たとえば聖也あたりだったなら、亜星の反応も少しは変わるのだろうかと。実際、あの高校生の少年が『思出館』に下宿するようになってから、店主の亜星の人柄が、気のせいかもしれないが、少し変わったようにも思えるのだ。右京が以前よりも頻繁にこの店に顔を出すようになったのも、考えてみたら、聖也がやってきてからだった。どこにでもいそうな、世間知らずでただ素直なだけが取得の平凡な少年なのに、いつのまにか、『思出館』の空気にすっかり馴染んでしまっているのが不思議といえばそうだった。人と人との出会いや関わりも、不思議なものだと思わされる。右京自身も、たった半年ほど前に知り合ったはずの聖也を通じて、何人の人物と新たに出会ったことだろう。知り合いの平均年齢もずいぶん若くなったものだとも思い、右京は苦笑した。

「コーヒー、おかわりしますか?」

店主が穏やかに微笑んだので、右京はどこかしら、ほっとさせられるのだった。

「そうだな、じゃあ、もう一杯」

どこか薄暗く辛気臭い店だと思う。それでも、もしここが煌々と明るい店内だったなら、きっと居づらく感じてしまうのかもしれない。そんなふうにも思うのだった。



⑳へつづく