小学校も中学校も高校も

部活は演劇部に入りました。

 

とてもとてものめり込む。

目立ちたいとか、そういうのではなく

「惨めな ゆうちゃん」

じゃなくなるのが嬉しかった。

 

演技している間は別人になれる・・・!

そう、ガラスの仮面のマヤのように

私は取りつかれていました。

 

高校まで私立だったので

プロダクションに入ったり、オーディション受けたりできなかったけど

女優さんになりたい!

強く、そう思うようになりました。

今の自分は死んでいるのも同然。

 

羽ばたきたい!

大好きな世界に身を投じたい!

 

私が私でない世界に・・・!

 

口もきいてくれない親なので

大学受験の相談ものってくれません。

今みたいにネット社会ではないし

自分一人で集める情報は限られていました。

 

そんな中、唯一行きたいと思った大学は

大阪芸術大学。

どれくらい凄い学校か知るのは

20年後くらいです。

見学に行ったら打ちのめされました。

もう、東京の演劇科のある大学には行きたくない。

 

実技も含めて2泊3日の大阪受験を

一から全部、ひとりで手配しました。

 

もう、その頃は

親は親で毎晩、怒鳴り声の大喧嘩。

私の進路など気にしちゃくれません。

 

大阪芸大しか受けないと言っても、

あっそう。

 

落ちたら専門学校行くから!

あっそう。

 

一応、後で文句言われるのがやなので

報告だけしました。

 

あっそう。

でした。

 

久しぶりに口きいてくれたな。

 

進学校だったし

普通は何校も受けるらしかったけど

大阪芸大以外は芸術ではない!

 

当時の私はそれくらい偏った観方をしていました。

 

3回受験して3回落ちました。

あそこは受験生という名のセミプロ集団です。

場違いもいいところに3回も受験。

 

やっと諦めて

演劇の専門学校に行くことにしました。

 

ここでまた母親が大声で

「専門学校に行くって行ってたけど

 演劇なんてやってどうするの!!!」

 

お父さんが、そんなに大きな声だすなよと言いながら

「お父さんはコックさんにでもなって料理人とかになるのかな

 とか思ってたけど、違うのか?」

 

母親は無視してお父さんとだけ話しました。

「私は演劇をやりたい。

 惨めな自分が忘れられるから。

 家にいてもビクビクしてるだけだけど

 演劇してるときは生きてるって感じるんだ。」

お父さんは穏やかに進めました。

「卒業したらどうするんだ。

 女優さんになるのか?」

 

すると母親が横から大声で

「そんなの無理に決まってるじゃないのー!!!」

 

「うるせえな!お前は黙ってろ!」

 

「卒業してそんなすぐに女優さんになれるとは思わないけど

 今、やりたくて仕方のないことがこれしかないから

 どうしても演劇をやりたいの・・・!」

 

お父さんは、わかってもらえました。

 

私立で育った

最初いじめられっ子だった ゆうちゃんが

無意識のうちに羽ばたこうとしていた瞬間かもしれません。

 

お父さんが話のわかってくれる人でよかった。

 

私はお父さんは好きだ。