私は今まで、村上春樹を読みたいと思った事がなかったんです。
ボジョレーヌーボーやiPhoneのように、どれだけ多くの人が発売日を待ち焦がれようとも手に取ってみようと思わなかったんです。
なのに今回、初めてタイトルを目にした時にちょっと面白そう・・と初めて心にひっかかるものがありました。
更に、私の尊敬する人が、とにかくこの本は読んだ方が良い。村上春樹の世界は、問いが問いのまま自分の中に残るから良い。と、強くお薦めされていて
なんだかご縁がありそうな本やなぁと思って購入しました。
初めて村上春樹の長編を読んだ感想は
ストーリー全体としてメッセージを感じたり、カタルシスを得たりする作家さんではないんやなぁという事でした。
でも、私の尊敬する人が薦められていた通り、断片には私個人に響く共感の種や、私自身への問いがたくさんあって読み終わった後も、じんわりと心に残っている気がします。
会社の昼休みに何気なく読み始めたのですが、数ページ読んだ所でこれは、じっくりと向き合って読まなきゃダメな本だ・・と思いました。
多崎つくるの境遇や彼の向き合うべき問題が私自身の境遇や向き合うべき問題と、とても近いと感じたんです。
自分を肯定できない自分が取るに足らない、つまらない人間だという想い
多崎つくるの巡礼の旅はその想いから解き放たれるために自分の過去の傷と向き合う旅でした。
フォーカシングという心理療法があります。
我流の私の解釈としては、自分の心や身体の中に残る想い(フェルトセンス)に会いに行ってその想いと向き合ってその想いを感じて、理解して、認めて、受け入れて、その想いと共にある自分を赦すそんなイメージなのですが、
多崎つくるの旅は、まさにこのフォーカシングそのものでした。
多崎つくると共に旅をして多崎つくるの巡礼の旅が自分の中に問いとして残ったことでいつか私も自分自身の想いを解き放つ旅ができるのかもしれない・・ですね。
最後に、一番心に残った文章を記しておきたいと思います。
※完全にネタバレですので、ご注意ください。
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そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂の一番底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。
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傷や痛み、自分の弱さに気付かないふりをするのではなくその傷や痛み、自分の弱さと向き合い叫んで、血を流し、何かを手放し失ったその先に得られる真の調和がある。
心に響きました。
- 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上 春樹

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