団十郎“地獄から復活”会見
良かったですね~~。やっとお姿拝見出来ました。
朝のTV、釘付けになりました。
入院中、「成田屋通信」を読んでいましたが、とても大変な戦いをしている様子が書かれていたので、かなり心配をしていました。
取りあえず、ほっとしましますね。まだまだ、ゆっくりと回復していってほしいです。
復帰公園は、5月の歌舞伎座『団菊祭大歌舞伎』ですね。
楽しみです。
白血病治療のため休養していた歌舞伎俳優の市川団十郎(59)が15日、東京・歌舞伎座で舞台復帰の記者会見を行った。団十郎は昨年8月に白血病を再発。2度目の闘病生活は、抗がん剤の大量投与と自らの細胞を移植する厳しいもので、団十郎は「無間地獄から戻ってきたようだ」と話した。5月の「団菊祭大歌舞伎」で約10カ月ぶりの舞台に立つ。
団十郎に笑みが戻った。「私にとってこうして舞台に再び立てるということは、無上の喜び。久々なので不安もないことはないが、今は役者魂でうずうずしている」。顔色もよく声にも張りがある。「ベッドの中でも芝居のことばかり考えていた。一日も早く舞台に立ちたい」。これが闘病中の“大看板”の切なる願いだった。
昨年8月31日、再発の宣告を受けた。その時は頭の中が真っ白になった。「風邪がぶり返したみたい」と思い込んでいた団十郎に、医師から放たれた言葉は「今度の治療は並大抵のことではありません。相当の覚悟が必要です」だった。
厳しい闘いが始まった。まずは抗がん剤治療。認可されたばかりの新薬を60日間にわたり大量投与。髪の毛は抜け、顔は黒ずんだ。不快感も続き「まるで嵐の中で帆船に乗せられて船酔いを起こしている状態だった」と振り返った。悪い細胞が消えた1月23日、取り出しておいた自分の正常な幹細胞を移植。医師から「これでもう大丈夫です」と完治のお墨付きをもらった。
「まるで無間地獄から戻って来た感じです」。団十郎に勇気と元気を与えたのは、付きっきりで看病した希実子夫人(53)、長男の市川海老蔵(28)、長女の智英子さん(26)だ。「家族の力が私の支えでした」。そして、同じ病棟で同じ病気と闘う人たち。「苦しい治療だけど、これを乗り越えた人たちは本当に明るくなるんです。みんな早く良くなってほしい」と話した。
約10カ月ぶりの舞台は、お家芸の「外郎売(ういろううり)」。「家内はあまり無理しないでと言うけれど、もう大丈夫」。五月晴れに「成田屋!」の掛け声が飛び交うことだろう。
(スポーツニッポン)
報道陣約100人が待ち構える中、黒のハンチング帽をかぶって登場した團十郎が帽子を脱ぐと頭はスッキリ。長かった闘病生活をうかがわせ、「大変ご心配をおかけしました。一昨年10月に復帰したときは天にも昇る気持ちでしたが、今回は“無間地獄”から戻ってきたような気持ちです」と晴れやかな笑顔を浮かべた。
笑顔の復帰会見までの道のりは、想像を絶するほど厳しいものだった。團十郎は平成16年5月に白血病を患い緊急入院。寛解導入療法と地固め療法を行い、同10月に1度は「完全寛解」と診断されたが、昨年8月に再発していたことが発覚。同年9月に再入院した。
今回行った自らの骨髄を移植する治療にはリスクもともない、「再発を聞き、残念だった。自家移植をするかどうかの選択も真剣に考えていかないといけなかった。自分自身の中では“闘い”だった」と振り返る。
闘病中、抗がん剤投与の影響で頭髪が抜け、顔色も黒く変色。移植手術後には体調が悪化し、團十郎は「手術後の1週間は、大航海に出かけ船底で船酔いしていたようなものだった」と生々しく語った。
苦しい入院生活で團十郎を支えたのは舞台復帰への思いと、家族の絆だった。長男の市川海老蔵(28)からは「顔色がよくなった」と言われたそうで、「うれしいようなむず痒いような…」と照れ笑い。「ベッドで考えていたのは芝居のこと。家内には『無理をしなさんな』と言われた。こういう人(家族)が支えてくれた」と感謝の言葉を述べた。
「團菊祭五月大歌舞伎」では昼の部の「外郎売」曽我五郎役で出演。成田屋のお家芸である歌舞伎十八番のひとつで、團十郎にとっては昨年7月31日に行われた海老蔵の襲名披露巡業(相模原市)以来の復帰となる。
現在の体調は6、7割と語り、月1回程度の通院とリハビリを重ねていくが、「欲張らずにゆっくり治していきたい。復帰に向けて“役者魂”というのか、楽しみでうずうずしております」と早くも舞台が待ちきれない様子だった。
(サンケイスポーツ)
急性前骨髄球性白血病再発で昨年8月に再入院、2月に退院した歌舞伎俳優・市川團十郎(59)が15日、東京・東銀座の歌舞伎座で復帰会見を行った。自家移植を行った團十郎は「無間地獄から戻ってきた感じです」とつらい闘病生活を告白。家族の支えが大きかったと感謝した。團十郎は5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」(1~25日)で復帰する。
苦しい闘病生活に打ち勝って、生還できた喜びが表情からあふれていた。グレーのスーツに黒のベレー帽をかぶった市川團十郎は「5月の團菊祭で復帰できるのはうれしい。ご心配おかけしました」とあいさつした。
「急性前骨髄球性白血病」。一昨年の5月に発病した病魔に再び襲われたのが昨年8月。「再発の宣告を受けて、風邪がぶり返した程度だと思ったが、すぐに並大抵のことではないと思い知らされました」
前回の入院では骨髄移植をせずに投薬治療で「寛解」になったが、今回は、末梢(しょう)血の幹細胞自家移植を行った。細胞分裂の根本となる幹細胞を取り出して、抗がん剤治療を施して、がん細胞がなくなってから、幹細胞を移植するものだ。ドナーによる骨髄移植の場合と比べれば復帰が早いといわれるが、副作用が少なかった前回と比べても今回は「無間地獄から戻った感じです。(前回とは)ケタが違います。抗がん剤の量もはるかに多い量でしたし、かなりきつかった」。抗がん剤の副作用で頭髪が抜け落ちた頭をさすり、つらい闘病生活を告白した。
そのつらさは團十郎によると「大航海時代の帆船に乗って、猛嵐で船底で揺られているようなもの。いろいろな症状が現れました。地獄の亡者みたいでした」というほど。それでも、昨年8月に認可されたばかりの「トリセノックス」という薬を病院で初めて用いたことが効果をあげ、死の淵(ふち)から生還することができた。
耐え切れたのは家族の支えがあってこそ。「家族ですね。家内、娘、せがれ、そういうものの力が私を支えてくれたなと思います」と話し、時折、見舞いに訪れ励ましの言葉をもらった息子の市川海老蔵(28)には「うれしいようなむずがゆい感じです」と苦笑いを浮かべた。
10か月ぶりとなる舞台復帰は5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の「歌舞伎十八番の内 外郎売」の曽我五郎時政役。成田屋の家の芸で、團十郎自身が海老蔵時代の80年に復活上演した思い入れのある演目だ。「ベッドで考えていたのは芝居のこと。楽しみでうずうずしている」とやる気十分だ。
再発直後に「復帰するときは『外郎売』だ」と家族に宣言。闘病の高いモチベーションとなっていた演目で、團十郎が歌舞伎座の舞台に立つ。
(スポーツ報知)

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