11:反抗期は? | おもちノート

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母(肝不全...)
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との生活。

過激な生い立ち自叙伝
【おもちができるまで】

闘病生活しながらも日々楽しみを見つけて☆

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私なりの反抗期?

 

そんなこんなで割と忙しく過ごしていた私には

小学生・中学生の記憶はかなり断片的で。

 

小さなイタズラで呼び出されたり、

怒られたりした記憶が少々ある程度。

 

荒れていたと言う程ではないが、

並みのやんちゃ、反抗期もそれなりにあった。

 

学校に呼び出されたり問題を起こすたびに、

兄(おじ)が父役としていつも居た。

何よりも怖い存在で門限を過ぎて帰宅しても

祖父母は怒らないが、兄のバイクが自宅前に

止まっていたら、迷いもなく私は引き返した。

顔を合わせたら怒られる。

物は飛んでくるし、キツイお仕置き・・・。

半端じゃなく怒られる。

 

そうやって甘やかす祖父母の代わりに

いつも厳しく間に入ってくれていた。

高校時代の私にとっては

何よりも恐怖の存在だった。

 

反抗期の時に祖母と言い合いになって

幼少期からの爆発に近かったが

 

「こんな家に生まれたくて生まれたんじゃない。

あんな親に産んでくれなんて頼んでない。

育ててくれと頼んだ覚えもない。

親を選べないんだから仕方ないでしょ」

 

と言ってしまった。

 

直後とんでもない事を言ってしまったと

心底自分自身がすごく嫌いになった。

すぐに言いすぎたと謝りたかった。

 

祖父母の気持ちは痛いほどわかっていたのに

自分だけが被害者の様な面して。

 

なんでそんな事を言ってしまったのか。

よりによって、正子じゃなく祖母に・・・。

 

悲しそうな祖母の顔は今でも忘れられない。

謝ったからって放った言葉が

無かったことにはならない。

普通でも絶対に親には言っていけない事を、

絶対に言うべき相手じゃない人に言った。

死ぬまで後悔し続けると思う。

 

その事は今も胸に残り続けている。

 

そんな反抗期も収まり、

高校は私立の大学進学有利な高校。

 

制服も可愛くて一般受験で普通に受かって

入学、と思っていたんだけど。

クラス発表の日まで何も知らず、

いざ見てみると高校とは思えない程

少人数の進学クラスになっていた。

 

入試試験の成績順に進学クラスの足りない

人数を集める為に電話が来ていたらしく、

祖母は私に相談もせず連絡があった事も

知らさずに進学クラスへ入学を承諾したのだ。

 

良く言えば3年間このクラスに居たら

エスカレーター式で受験なしで名門大学行き。

 

確かに勉強は嫌いじゃない。

小学生の頃から一人の世界で無駄な事を考えず

居られる時間が私にとっては勉強だったから

小さな頃から成績もそこそこ良かった。

 

祖母が私に対して教育熱心な事を

ずっと身にしみて感じていた。

 

小~中学生までで、

英語、ピアノ、ソロバン、習字、塾、家庭教師

高額な教材を沢山買ってやってたり。

と様々な事をやらされてきた。

 

祖母は母のように何の資格も無く

人に頼る人生は送って欲しくないからと、

叶わなかった教育ミスを私に託していた。

 

私本人の意思とは別に。

 

ただ祖母の期待に添う為に

出来る限り挑戦していた。

が、どれもいい経験にはなったし

社会に出て役に立つ事も多少あるし

資格の欄もある程度高校生までので

多少は埋められたのは良かった。

が、結果的に極めたものは1つも無かった。

 

どれも、正子のようにさせたくない!

正子を失敗作とし、私に全てを託していた。

「正子みたいになっちゃダメ」

「正子を反面教師にしなさい」

「男に頼るようにはなるな」

これが祖母のいつもの口癖。

 

私は祖母の気持ちが解っていたから

何も文句言わずにそれなりに続けてきた。

育ててくれて苦労かけている事に対する

せめてもの恩返しをしているつもりだったし、

高齢でも私の為にそんな教育環境を

整えてくれているのも贅沢な事だと思った。