6: 9歳の子育て | おもちノート

おもちノート

のんきな母(肝硬変...)
息子2人(小6・高1)
デグー【ゼウスくん】
との生活。

過激な生い立ち自叙伝
【おもちができるまで】

闘病生活になっちゃいながらも日々楽しみを見つけて☆

何気ない日常・子育て・心理学・雑学・時事ネタまで自由気ままに更新中★

おもち母になる

 

弟が生後8カ月くらいの時。

 

私と祖父母が暮らす実家に

子供らを連れて休息にきた母。

 

いつもなら私を泊まりに呼ぶのに

平日に珍しいなとは思ったが、

2人はさすがにしんどいのだろうと

私も祖父母も喜んで久々に

遊びに連れてきた妹と弟を受け入れた。

 

「子供ら見ていてくれる?

ちょっと買い出し済ませちゃうね。」

 

・・・いつか聞いたような言葉。

 

・・・さすがに、まさかね・・・

 

案の定それっきり。

 

何時間経っても翌日も連絡はない。

またフラ~っと飛んだのだ。

しかも、小学生を預けさらに年老いた

祖父母の元に、乳児を2人置いて。

 

おでかけ用のママ用品やら

最低限しか置かずに妹と弟を預けたまま

何日待っても音信普通のままで

一向に帰ってくる気配もやはりなかった。

 

彼女に子供を1時間でも見ていてと

言われるのは凄く恐ろしい事なのだと思った。

 

60歳を越えた病弱で病院通いの祖母と

漁師で生活時間真逆で不器用な祖父と

既に置いて行かれている小学4年生の私。

 

0~1歳の子供をどうやって育てろと?

 

祖母だって私が赤ちゃんだった頃から

10年近く経っていれば同じようには無理だ。

 

見捨てるわけにも行かず、夫も仕事で忙しくて

義祖母が闘病中で迎えに来られる状況でもなく。

 

むしろ、夫も居なくなった事に動揺していて

大混乱中でそれどころじゃなかっただろう。

 

再婚夫が知らないだけでこれは2回目だ。

今に始まった事じゃない、母はそういう人だ。

 

その日から、祖父母と共に必死な子育ての日々

 

一番しんどかったのは、もちろん祖母。

持病と共に小さな孫を3人もかかえてしまった。

 

学校に通いながら祖母の通院に付き添う

私の事を気に掛けながらも・・・

手伝ってもらうしか祖母には選択肢はない。

 

幼い孫。しかも乳児の孫の面倒を見ながら

頻繁に通院しながら喘息と戦う日々の祖母。

 

そして祖母は無理が祟ってついに倒れてしまい、

数ケ月程入院する事になってしまった。

 

この頃、母が昔から経営していた店での

膨大な借金がいきなり発覚した。

 

母は飲み屋での仕事と称して

かなり繁盛していた店の売上を全て使い込み

周りにふるまったりして、借金までしていた。

 

それすら知らんふりして普通に再婚し

普通に暮らして、普通に子を置いて消えたのだ。

 

もう、異世界かのような消えっぷり。

 

いかにもと思う取り立て屋さんが

学校から帰るとたまに家に来ていて出くわし、

元本だけでもと、支払いを祖父に内緒で

必死に工面したりで心身ともに

祖母は限界だったのだと思う。

 

祖母が入院してから、

私にとっては正に壮絶とも言える生活。

 

魔の小学生時代の日々がやってきた。