2008年に生まれたこぢろも、小学校卒業。
あっという間という気持ちと、やっとここまで来たという気持ち。
コロナの影響でできなかったこともあったけど
そのおかげで感じることのできた周りの温かさや
今まで当たり前だと思ってたことが当たり前ではなかったことへの気づき
その分、何かできることがすごく嬉しかったり
そんなことを感じていたのなら…いいんだけど💦
もちろん、悔しいこともあったと思う
宿泊研修は無くなったし
野球の試合も半分以下に減った
最高学年として活動できた期間も短かった
私はと言えばここ一年は育児は楽しいよりも
しんどい
こっちが勝っていた。
反抗期が始まり、コロナの休校でエネルギーを持て余し、友達とはしゃぐのが大好きなこぢろは、長引くにつれイライラを募らせていた
中学受験と相まって毎日どうしようもないことで小競り合いが起こり、果ては掴み合いの大喧嘩。
小さくてコロコロぴよぴよしていた息子はどこへ?
と、涙にくれる日々
でも…
最後の登校なんだからランドセルで行くんだ!
と言い張り、ランドセルを背負って歩き出した後
振り返って
「卒業式きてね?」
と、念押しするこぢろは、まだ可愛らしい
毎日大人と子どもの間を行ったり来たりしているのだ
それが成長なんだ
わかるのに…
親の私がついていくのが難しい
そうやって揺れながら成長していく
頭ではわかっても、一度衝突するとヒートアップしてしまう…
なぜ素直にハイと言えないの?!
なぜそんなに人の神経を逆撫でするの!!
いちいち突っかかるのはなんで?!
こぢろ自身が揺れているからなのに
生意気に見えてまだ子どもで、だけど、まるっきり子どもでもない
かつて、自分もそうであったのに
我が子にそれを許せない…💦
一端の口を聞く癖に、やってることは幼稚
わかった口を聞くくせに、何もわかっちゃいない
それが反抗期
それが思春期
それが過渡期
わかっちゃいるけど…
心底疲れてしまうけど
かわいい我が子なことには変わらなくて
でもね、ほら
可愛さ余って憎さ百倍
そういう気持ち。
何かと守ってやりたかった
彼が傷ついて涙することが
親として切なかった
だけどもう
彼の世界に私は介入できない
ということを、ここ1年間でぶつかりながら私自身が実感してきた
ここから親離れは加速していくのだろう
一人っ子の選択を間違ったと思ったことは一度もない
私自身の親としての器はそれが限界だと今でも思う
一人っ子だからこそ、私は全力でここまで子育てにエネルギーを注げたと思うので…
反面、ここから先は今までのような関わりではなく、もっと離れて見守ることが求められる。
距離感も、エネルギーのかけ方も変えていかなくちゃいけない。
若干寂しい
私は私のやりたいことを再開しよう!
ご覧いただけるだろうか?蓋は最後まできちんと閉めない。それが、こぢろクオリティ…
そして、ランドセルの中は空なのに、そこに荷物を入れず手に持っているのはなぜ。
あっという間に入学式がくるなぁ〜
中学生活が楽しいものになりますように!