新型コロナが深刻なのはわかる。

志村けんの死がショックなのもわかる。
私だってドリフ世代。

だけど、コロナの死だけが残酷なわけじゃない。

コロナ以外の重病で入院している人、苦しんでいる人
これからもしかしたら…経済悪化で亡くなる人が出てくるかも

看病できない
最期に立ち会えない
看取ることができない
コロナの死は残酷

という風潮に違和感

死は残酷なもので
どんな形でも残酷で辛く悲しい

だけど、それは誰にとっても平等なことで
生まれてきたからには誰もが死ぬ

本人からしたら、死を迎えた瞬間に全ては終わり

残された人たちが
盛大に送り出してあげたい
最期を悼みたい

という気持ちは、残された側の都合で

亡くなった方にしてみたら
生きられないなら、終わったら後は同じ

そんな気がするんです。
その人のため、というか、残された側の気持ちの整理というのかな…
少なくとも、去年義母を送り出した時は、もしかしたらこういうこと、義母は望んでないかもしれない、でも、私たち家族の自己満足のためにやるね、って言いました。(お通夜の料理、斎場のお花、そのほか色々)

祖母、義父、父、義母…
がんになり、すべての人たちの入院から最期まで見届けてきた中で、そう思うようになりました。
私自身が、歳をとってきたこともあるけど。

コロナひどい!
コロナ怖い!
コロナで亡くなったら悲惨!

というか、、、うまく言えないけど

死って、そういうものだと思うんです。

だから、過度に怯えず、出来ることをして、笑顔で過ごしていた方がよいと思います。
精神衛生上。

私は、順番に逝けたらいいなと思っています。
子どもや若い子が死ぬことはやっぱり悲劇。
自然の摂理に沿ってないから。

そういうと、年寄りは死ねっていうのか?!と、怒られそうですけど💦😅

そうじゃなくて。

歳を取ったら死ぬことは、人として当たり前のことでしょうということが言いたいだけ。
それをきちんと受け入れられるということが、人として完成するってことなんだなと思ってるだけです。

それを、昨年逝った義母が教えてくれました。

まさか一年後にこんなことになるとは、全く思っていなかった。。。
今まで自分が、過ごしてきた40年以上がなんと幸せな日々だったのか、と、改めて感じる毎日です。

早くみんなで集まって飲みに行ったり、野球の練習したり、合宿に行ったり…したいなぁ…

感染予防もだけど、心も健やかにいたいですよね!!😊