一律現金給付の断念。


という話題が今ツィッター上で話題です。

今置かれている状況は人によって様々です。


もう、明日の糧すら得られない超差し迫った人もいれば、今のところお給料は出ていてしばらくは持ち堪えられる人。


そう考えた時、財源は有限だから緊急度の高い人から支給するのは、わりと真っ当な考え方かな?と思います。

その分、働けている人には減税とかね。そっちの方がありがたいな。


ケースバイケースで対応することは、すごく面倒くさいので『一律○○』とすることは一番楽な方法だと思います。

それをしないことは、ある意味考えてるんじゃないか?と思うのは…違うだろうか。


まぁ、その方法にもよるけど。


去年、我が家は亡くなった義母の相続で結構な税金を納めました。

あれは、果たして有効活用されるのか?

納めた税金が何に使われているのか、わかる仕組みを作ることはできないのかな?

自分たちが納めた税金が何に使われてるのか明確に見えたら、みんな無駄遣いはしないだろうし、納める方だって納め甲斐があるだろうに。


お金は、たくさんあっても困らない。

だから欲しい。


私だって欲しい。


給付されるならそりゃ嬉しいです。


でも、今は


もしかしたら足るを知る、ということを現実に突きつけられているのかもしれない。

そして、それはすごくすごく難しいことだって思いました。


果たして『幾ら』なら妥当なのだろう。



今年はゆっくり桜を見ることもできず


だけど、桜の美しさは変わらない



あちらこちらに桜はあって。


日本は改めて桜が身近にある国だなぁって思いました😊

わざわざ花見に行かずとも。

すぐそこに桜はある。


医療の現場で働いている人

ドラックストアで不当に罵られてる人

休む間もなく品出しをしてくれるスーパーの人

運んでくれる物流の人

ゴミを収集してくれる人


日本の秩序を守ってくれるのは、こういった『名もなき人』たちだから。

そのことに感謝して、私は何ができるかと言えば、足るを知ってジタバタしないこと、なのかな。


外出できなくても、花見ができなくても、休校でエネルギーを持て余す息子と衝突することも…

死ぬよりマシ💦😅


ドリフターズの志村が死んじゃって。

ドリフ世代は軒並みショックを受けて。

凹んでるんですけど…


でも、志村は素敵な70年を生きてきたんじゃないかなって。日本の有名なコメディアンとして、ずっとお笑いの第一線にい続けられて。

タバコも酒も控えたら、もしかしたら長生きできたのかもしれないけど…それらも含めての、あの面白さが生まれるパワーだったとしたなら、、、もちろん、今死にたくなんてなかっただろうけど…


だけど、後悔は少なめの人生だったのでは?と。

そう思うことで、少しだけ気持ちをあげようとしています。


お金も命も、どこが満足の頂点なのか、わかりませんね。

もっとたくさんあれば。

もっと長く生きられたら。

人間はどこで満足したらいいのかな。


だからこそ、自ら「治療はもういい」と言い切った義母の強さを今改めてすごいことだと感じます……


コロナの致死率は、インフルよりもまだ低くて。8割の人は軽症だから…

むやみやたらに怖がるよりも、落ち着いて暮らすことの方が大切ですね。

免疫力が低い人たちを守ること。

それが重要なんだと、改めて思いました。


きっと私も息子もコロナでは死なないだろう。

夫は微妙(笑)←喫煙者だから。


だけど、媒介はしちゃうのね。


学校の再開も急ぎません。

もはや。

なんならGW明けまで休校と言われても、もう驚かない。


↑と、昨日ここまで書いて下書きに入れてたら今朝になって、都立高校の新学期がGW明けというニュースが届きました。

小中もこれに倣う気がしています。


コロナが収束しますように…

でも、コロナ以外の病気で苦しんでる人もたくさんいるし、その方たちも救わなくちゃいけない。


医療に携わる人の感染もきっとこれから増えるはず。


出来ることが大人しくしていることだけなら

今はとにかく大人しくしておくしかないですね…