昨日、おとといと久しぶりに発熱しまして。
37.6度止まりだったのですが。
多分、プール開きの手伝いで炎天下にいたことが原因でしょう。熱中症的な…(^^;;
一瞬びびりましたが、悪寒はきてないので別の種類の熱だと思います。
ぢろりです。
しかしまぁ、原因不明の熱に苦しめられて、病院でもなんにも原因がみつからなかった間にあらゆることを試したなぁ…という感じ。
オステオパシー
オーラソーマ
スピリチュアルカウンセリング
オラクルカード
中国式マッサージ
曼荼羅アート
アーユルヴェーダ
クリスタル
わぁ~!!!
なんか怖いラインナップ!!(笑)
そんな中で、物事に執着しない手放しの感覚が自分にとってとても心地よく、モノだけでなく社会的なポジションさえも手放したら…気持ちが軽くなった。
その後から、少しずつ自分に対する気づきが深まって、周りの人のいろんな生き方に触れて自分の考えが少し変わってきた気がして、自分のやりたいことや、やってみたいこと、なんとなく今までと違ったものが見えてきて…
そのままのあなたでいい
とか
ありのままのあなたでいい
と、言う言葉に助けられ
「こうあるべき!こうでなければ!」みたいな呪縛から逃れつつある私ですが…
ここにきてまた少し変わってきてる(笑)
そのままのあなたでいい
とは、魔法の言葉。とっても楽になれる言葉です。そして必要なものはもう持っているのだから、あれこれ執着せず手放しなさいというのも、気持ちが軽くなる言葉。
でも、思ったんです。
これは、悩み苦しんでる人が最後に到達すべき場所で最初から何もしないこととはまた別だよなって。
今回だって、間違ってたかもしれないけど(笑)がむしゃらに生きてきたからこそ得られたモノやことがあった。そして結果私はたくさん持ちすぎていた。でも、持っていたからこそ、そこから不要なものを捨てることができたんだ。自分に必要と思うものを残せたんだ。
ありのままの自分を受け入れることは、自分に対する努力を放棄することじゃない。
そのままのあなたでいいのよ、と、いう言葉はときに「じゃあ、私は私。このままでいいんだ!だから好きに生きるの~♡」なんて実に自分に都合のいい解釈さえも呼び込む。
私は…
自分を向上させることを放棄はしたくない。やっぱり。
足りない自分をわかってるから、やはりそれを埋める努力はしたい。
だけど、それでもどうしようもないことだってたくさんあるから、そのときは自分を受け入れて、まぁがんばったけど仕方ないじゃん!と自分を許すことがありのままの自分を受け入れるってことかなと思う。
だってそうでなければ成長しないもの…
頑張ってる人には有効な、ありのままの自分。
でも、その言葉を「言葉どおりに受け止めて」何もしなければ、人としての深みは得られないんじゃないかな?と最近思うのです。
何もしないこととありのままとは違う。
そんなことを最近考えています。
偏って生きてきた私だからこそ、偏りに気づくことができた。今、バランスをとっている最中です。
どこが自分にとって居心地のいい中間地点なのか。
現実とスピリチュアルの真ん中を、探しています。
人の力ではどうにもならないことがあるのも事実。
天に祈ってるだけじゃ何も解決しないことも事実。
私のオーラソーマのティーチャーが面白いことを言ってました。
「目の前に怪我をして血を流している人に、大変!一緒に祈りましょう。そうすれば痛みがやわらぐ…とか全く意味がないですよね、そういう人は止血して病院に連れてく。これが適切なケアっていうことです」
その通りだわ(笑)
なんでもかんでもスピリチュアルでは解決できない。同時に、なんでもかんでもでもリアルな解決方法で済むわけじゃないんだと今回身をもって経験した私。
私の人生があと何年続くかわからないけど…できれば数十年あって欲しいし、その残りの時間を心穏やかに楽しく過ごしたいので、まだまだ模索は続くけど、それなりにこの3ヶ月でなんとなく方向性が見えてきたような気がします。