今日は、なんというか、ショック・・・とも違う、衝撃・・・、感動というとそれはなんだか偽善ぽくて、でもとにかく「打たれた」ことがありました。
そう、そこにはプラスもマイナスもなく、ただただ自分の感覚を打たれた・・・ゆさぶられた・・・そんな出来事でした。

保育園に通うお母さんたちが妊娠すると、それはお迎えやお見送りの時にある程度気が付く。
赤ちゃんはある日突然生まれてくるわけではないことは、ある意味常識です。

妊娠してからいわゆる正産期と呼ばれる37週に入るまでに、赤ちゃんはお母さんのおなかの中でゆっくり育つ。お母さんの体は変化していくものです。

でも、その変化がみられるある日突然1歳くらいの赤ちゃんを連れていたら・・・

「?!」

と、思うことでしょう。

今朝、そんな出来事に遭遇しました。みんな一瞬戸惑っておりましたが、一人のお母さんが「え?そのお子さんは??」と聞いたら

「あ、里子として迎えることになったの」

ごくサラリと。
そんな風に、そのお母さんは言いました。

私を含め、クラスの3分の1は高齢出産。第二子に躊躇している(私も含め)ママ達は目からウロコ。
・・・二人目って・・・自分で生むだけの選択肢以外にも道はあるんだ。と。

いや、知識としてはあった。
里親制度。
そして養子縁組。
でも、それは「知識」だっただけで、今日、私はそれを目の当たりにしてなんというかこう・・・
圧倒された。

こぢろに弟か妹・・・自分の年齢、経済的事情、夫の性格、仕事・・・・悩んであきらめていた。
でも里親なら少なくとも私自身が妊娠するわけではないので体力的な面はクリアだ。
とはいえ、それ以外にクリアすべき点は山ほどある。

その「山ほどあるべきことをクリアして里子を迎える」と選択した人が目の前にいる。

びっくりしました。

口でいうほどたやすいことではない。実子がいるならなおさらだ。

なんかこう・・・そこには私にはない「圧倒的な愛」みたいなものを感じた。狭い範囲の話ではなく。
人類に対する愛。みたいなもの。

言葉にすると本当に陳腐だなって思うんだけど・・・・

オーラソーマ(最近勉強してるからどうしてもここに置き換えてしまうんですが)でいうところの

ピンクとマゼンダだ・・・・。




咲き誇る芍薬の花のごとく。

ただひたすら、ピンクとマゼンダ。

ピンクの「無条件の愛」を実践すると・・・・きっとこんな感じだっていうのが目の前にあって。
それが私には衝撃でした。

そのご夫婦は特別なことをしようとか、よいことをしようとか、そういう話ではないんだと思う。
ただ、本当に、ごく自然に、里親として子どもを迎えたい、迎えようと思ったんだと思う。

その気持ちにも、圧倒。

うまく言えないです。なんだろう。すごいなって思いました。
そして、里子を迎えるのって、やはり繊細な部分があるらしくて、ある日を境に「はい、今日から家族の一員ね」というわけじゃないようです。

最初は週に1回、慣れてきたら土日に泊まってみて、さらになれたら1週間一緒に過ごしてみて・・・というように段階を踏んで子どもが馴染むかどうかを慎重に判断するようです。

私たちからしたら当たり前の生活習慣ですが、「裸で家族とお風呂に入る」という経験さえも、施設で育った赤ちゃんには未知の体験らしく。

「施設では、赤ちゃんを職員の方がお風呂に入れるけど、一緒に洋服を脱いでお風呂に入ったりはしないでしょう?服を着たままで自分だけがお風呂に入れてもらう。だから、自分以外の人が裸で一緒にお風呂にはいることが怖いみたいで泣いちゃったりするの」

そうなの?!

そういうことがたくさんあるから、いきなり家庭生活に入るということは難しいのか・・・と納得しました。

私は、だからってすぐ明日から里親制度を検討することはできないんですが。
でも、そういう形で子どもを家族を作っていくこともできるんだということ、それを実践している方を目の当たりにしたことは、とても貴重な経験だと思います。

ピンクがあらわす「無条件の愛」

これが、少しだけ自分の中に知識ではない形で落ちてきたような、そんな気持ちがしました。