ベビーシッターマッチングサイトを利用した痛ましい事件が起こりました。 

瞬間的に思った。
ネットを使った類似サービスも批判の対象になる。と。

私自身、利用はしていないけど、そのサービスの立ち上がりから注目してきて、代表取締役の甲田さんの人柄含めてよいと思っているAsMama(アズママ)も誤解されるんじゃないか?という懸念。

同時に、AsMamaがもっと世の中に浸透していたなら、今回のような事件は避けられたのではないか?と。

今回の事件に関するAsMamaのプレスリリースはコチラ

さすがの対応。


私が子育てして感じたのは、育児にはまだまだいろんな呪縛があるということ。

母親は子どものために我慢しなければならない。
それを我慢というのではなく、子育てをするなら当たり前。
親は犠牲になっても子どものために最適な環境を作ってやるべきである。

…こうあるべき。
…でなければならない。

三歳児神話もまだまだ色濃く残っている。

世の中は、母親が育児に手を抜こうとしている姿勢を見つければ容赦なく叩く。

母親なのだから我慢しなければならない、子どももために、という正義の剣を振りかざして。

正しいことを言ってる方は、とても気持ちいいと思う。
正論を唱えている気持ち良さ。

「子どものために。」

魔法の言葉だ。

私は過去、姑からこの台詞を言われるたびに苦い気持ちがこみ上げ、このやるせなさはどこからくるのだろうと考えていた。

正論を振りかざして、母親を追い詰める人はたくさんいても、母親を助けようと心の底から考える人は少ないように感じる。

私たちだって我慢したのだから、あなたも我慢するよね。
するべきだ!!!

「私だって我慢したのだから。それが子育てだ」…でも、なんか違う。
自分も我慢したからあなたも我慢しろってなんかおかしい。
大体、私だって母親なのだから、子どものためになんて、考えている。言われなくたって!!!自分だけが、こぢろのことを考えてるかのごとく言われるからもやっとするのだ。しかも、物差しは常に自分だ。


AsMamaの代表 甲田さんは違う。
自分の時なかったけど、あったらいいなと思っていたから、だからこのサービスを立ち上げた。
働く母親の視点から、働く母親、いや、働く母親だけでなく、母親たちにとってよいサービス。育児は頼り合いましょう?と、提唱している人なのだ。
彼女は、自分が我慢したことを押し付けない。自分が我慢したことや辛かったことをどうしたら良くできるのか?という視点から考えている人だ。

だから応援したくなる。

…って、言っても何ができるわけじゃないけど。

それなのにあなたはなぜAsMamaのサービスを利用しないの?と聞かれたら、それは私が頼ることはできても、頼られることを受け入れられないからだ(笑)
実は、私は子どもが嫌いです(笑)

自分の子どもを預かってもらったら、次は他人が困ってる時は自分が預かる…それが頼り合いだと思う。でも…私は…
それができないのです…
頼る一方になるのがわかるから、AsMamaのサービスを利用することに躊躇する。

これは私個人の性格の問題ですね(^^;;

ただ、少しずつ私も変わってきています。
ごく身近なお母さんたちには、何かあったら子ども預かるよ…って声を掛けられるようになってきました。
本当に気心の知れたお母さんだけだけど。

そして、今やってる保育問題の活動も、私自身がこぢろを保育園に入れるときとても不安だったから、その気持ちを後に続くお母さんたちにさせたくないから、という気持ちでやっている。
私だって苦労したのだからあなたたちもすればいい…なんて思えない!


育児は我慢が美徳

と、いう呪縛から逃れたらいいのだと思う。
そうしなければ、どんなに綺麗事を言ってもこの先子どもは増えない。
世の中も価値観も変わっているのだから。

右肩上がりの高度経済成長時代の子育てを押し付けられても困るのだ。

自分のための楽しみや遊びを我慢したくないなんて言ってない。

ただ、仕事と子育てを両方やりたいと言ってるだけなんだ。