夫が録画していたNHKのスティーブ・ジョブズの特集を見ました。
世界を変える人は、自分が世界を変えられると思ってるんだなー。
一歩間違えたら痛い人だ、そんなことを言ったら絶対夫にしばかれる。
でも、確実に言えることは一つ。
ジョブズが生きてたら、きっと「パチンコガンダム駅」なんて表示される状態でマップは公開しなかっただろうということ・・・・。
頑張れApple
私の初PCは夫のおさがりマッキントッシュでした、ぢろりです。
本日、夫から「壺の話知ってる?」と聞かれて、なんか怪しげな宗教勧誘の壺の話かと思い思いっきり怪訝な声で
「はぁ?」
といってしまいました。(何いってんのアンタ的な)
インターネットの世界ではあちこちでコピペされている有名な話みたいで、どこが一番最初のソースなのかわかりませんが、引用すると以下のような内容です。
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
・・・・これを読んで思ったのは、私にとっての大きな岩はなんだろう。ということ。
忙しいとみせかけていても、大きな岩がなければそこに満足感はない。
学生の頃、スケジュール帳にびっしり予定を書き込んで、さも「忙しいアタシ」を気取っていた時もあった。予定があることが充実度と比例するのだと思っていた時代もあった。
だけど。
そうじゃないんだ。
この話は、それを的確に表現している。
私の大きな岩。その一つは確実に息子であり、家族だ。
でも、それ一つではない。
自分にとってのポリシーというか、軸になるべき、大事なこと。
それを大事にして残りの人生を生きたいと思った。
(41歳の流通ジャーナリストの金子さんも急に亡くなってしまったし・・・人間の命って本当にわからないと思った矢先だったので)