がんばれ日本。
がんばれ東北。
今は政府を叩いてる場合じゃない。近隣諸国からの援助を受けながら、まずは原発の安全確保…危険を顧みず作業をして下さっているみなさん…ありがとうございます。
みんな。みんな。無事で。
これ以上死なないで!!!!



私は昨日会社にいました。
実はすげ~怖かった。でも総務人事としては避難通路の確保、キャビネの施錠指示(扉が開いて危険)などしつつ…
外にいる社員たちの安否確認を各部署から情報を吸い上げ、どうやら社員はみんな無事でした。

すごく揺れましたが、下手に外に出ても危険なのでしばし待機。
余震は何度も起こりどのタイミングで外にでたらいいかもわからず…
そのうち余震も弱くなってきました。

会社は幹線道路沿いにあり、窓からのぞくとみるみるうちに渋滞…
歩道は人がぞろぞろと歩いていました。
その幹線道路の下はちょうどとある地下鉄は走っているのです。おそらく駅から駅に人が流れてると思われました。

地震が起こったのは3時前後。

会社として社員を帰宅させるかどうか上の人ははっきりしません。確かに今帰宅させても電車はストップ…身動きもとれず…です。

こういう時の判断は難しいですね。

そのうち時短勤務の私の退出時間となりました(16時半)
みんなはまだ残るなか私は退出…

グ-グルマップで調べると会社から保育園まで約1時間。
歩ける。
いける。

完全に日が暮れる前に保育園につきたい。おそらく今日迎えに来られるかどうかさえ危うい家庭もあるはず。先生たちの負担を減らすためにも一刻も早く引き取りにいかなくちゃ…と。

この時点で携帯電話は全く機能せず。通話もメールもつながらないSoftBank、10年来のユ-ザ-ですが落ち着いたらキャリア変更します。
DOCOMOに。

途中駅をのぞくも
「運行停止。再開見通したたず」の貼紙。
そこでふと知り合ったアラフォ-女子と意気投合!?
目指す方向が途中まで一緒だったので旅は道連れとばかりに話しながら歩く歩く。

グ-グルマップの計算通りはいかなかったがそれでも1時間かけて歩き見慣れた景色にが見えてきた。
女性とは別れ保育園方面へ。

JRの駅はシャッターを下ろしバス停には長蛇の列。
日も暮れて不安も増す。
でも保育園は大丈夫。先生たちを信じて歩く。歩く。

1時間半かけて保育園に到着…が…こぢろは????

軽くパニックになっていたら「パパがお迎えにきましたよ」と。
ぱ…パパが?ますます混乱。
とにかくこぢろだけでなく夫の安否も確認でききつねにつままれた気分。

まだまだ長い夜になるであろう先生たちに途中のパン屋でかったマドレーヌとあんド-ナツを差し入れ園長先生にお礼を言ったら…涙が…

先生たちが子供を守ってくれると信じてた。そして子供たちも先生たちもみんな怪我がなく私たちママを待っていてくれて……
泣けてしまいました。

帰宅してこぢろを抱きしめてまた涙。

夫?

…冷静でした…

「お前なんで公衆電話から電話してこない?」

「アンタが家にいるなんて夢にも思うかバカヤロー」

…なぜ?家族無事なのに帰宅早々夫婦喧嘩?

そして初めて私はテレビを見ました。ニュース。
19時でした。

テレビの映像は考えてた以上の惨状。本当に日本?
これは日本?

阪神淡路大震災のときも思った…

あの映像の向こうには人がいる…
命がある
見えないけれど助けを求める人がいるかもしれない映像を安全な場所からみる私…



生きている自分。
家族。
あたたかい家の中。
電気もガスも水道も。

あたたかいご飯、お風呂にも入れる…

これを幸せといわずしてなんというのだろう。

当たり前の日常。

夜には帰宅して飯食って風呂入って寝る…なんという贅沢。
なんという幸せ。

被災地の映像に涙を流しながらも、自分の地域でなくてよかった…そう思ってしまう自分…

いつも通りにお風呂に入ろうとしている自分…

なんとも言えない気持ちになります。

私じゃなくてよかった…
家族が無事でよかった…
そう思ってしまうのです。

でも東北の人たちは………

そんな自分に凹んでいました。
ある友人のメッセージに勇気づけられました

『それが大人ってことです
でも同時に他人も思いやれる』

それができるのは優しい大人…と。

『そういう気持ちがうねりになって被災地の希望となるんだ』

と。

この方は阪神…の震災を経験されています…
そんな友人からの励ましで、私も自分にできることをしようと思います。

まずは節電。
節電します。

昨日から今日にかけてのごっちゃな気持ちを書きました。
長文乱文ごめんなさい。

読んでいただきありがとうございます。