処方箋を持って会社から一番近い薬局へ行く。

出てきたのは超体格の良いおばあちゃん…
よろしく…

処方箋を渡して薬を出してもらう。

「この薬は一日2錠、こっちは3錠。それと抗生物質でてるわね。これは先生は朝からって書いてるけど夕方から飲んでも構いません、何か質問ある?」

この抗生物質は前にも出してもらったもの。いきつけの内科の先生に授乳中でも大丈夫と言われて飲んだ。
今日の先生にも授乳中と伝えて処方箋書いてもらった。
だから大丈夫なんだ。
わかっていたはずなのに最近薬に関して質問があるかと聞かれると、つい条件反射的に聞いてしまう…

「授乳中でも大丈夫なんですよね」

…途端に眉間にしわを寄せる薬剤師。

「だめよ!授乳中?何ヶ月なの?」

「…は?…9ヶ月ですけど…」

「9ヶ月?まだ母乳なの?もうやめたら?」

なにぃ?!

「10ヶ月過ぎても母乳がやめられない子供はずっとやめられないわよ?」

「はぁ…」

「断乳は親も寂しいだろうけど今が止め時よ」

…なんでよ…

「これを機会に断乳したら?2日であきらめるわよ」

…お前うちの息子に聞いたんか!!

母乳育児はデリケートな問題。母乳の出方も人によって違う。
あげたいのに出ない人。やむを得ない事情であげたいのにとめなくちゃいけない人。できるだけ母乳で育てたい人。ミルクで育てたい人。考え方も様々だ。


自分にとって育児が身近なものになって知ったことがある。


育児にも「流行り廃りがある」ということ。


母乳がもてはやされた時代もあれば、ミルクが推奨された時代もある。

離乳食の時期にいたっても、2か月過ぎたらどんどん他の味に慣れさせたほうがいいといわれた時代もあれば、今のように「離乳食はできるだけゆっくりと」といわれる時代もある。

はちみつは1歳過ぎりまで与えないほうがいいという情報だって、昔は浸透していなかったと思われる。


そして今、溢れる育児情報。雑誌、テレビ、インターネット。

育児情報はちょっと調べれば山のようにでてくる。

そしてそれは、すべてが正しく見え、しかしすべてを実行しようとするとどこかに矛盾が出てくる。


そして行きつくのは、何を選択し、どの情報を信じるかは自分次第。


もっというのなら


子供を見ながら親が決定していくしかない


ということだ。


子供には個性がある。だからこそ、「その子にあわせた情報の取捨選択」をしないと大変なことになる。


生後2か月までの私は慣れない育児とまったく寝てくれないこぢろに疲れ果て、毎日細かく育児日記をつけて生活のリズムを把握しようとし、育児書を眺めては「この子は次どうなっていくのだろう」とそればかり考えていた。

そんな私を、母が苦笑いしながら見ていた。

今なら、あの苦笑いの意味がわかる。


毎日の寝る時間を把握しても、翌日同じとおりになるとは限らない。

育児書をいくら読んでみても、そのとおりになるとは限らない。


(体温を測って健康状態を把握したり、今みたいに保育園に行っていれば毎日のリズムを把握することにはそれなりの意味があると思うが)


生後2か月過ぎるころ私は育児日記を捨てた。育児書を閉じた。


私はこぢろを見て、こぢろによいと思う最善の方法で育てる。

情報にはふりまわされない。

母親である私が、強い意志を持って情報を選択し信念を持って育てるのだ!


という、わりと当たり前のことに気付いたのだ。笑


いろんな意見や情報を参考にするのはよいと思う。

私もわからないことがまだまだ多すぎる。

でも、最終的に決めるのは私(またはダンナ)だし、それを決めるには「こぢろ」としっかり向き合っていなければならない。そうでなければ「こぢろ」にとってよい選択なんてできるわけがない。


生後6カ月から保育園に預けることになったこぢろ。

日中はミルクと離乳食で頑張っている。

保育園でもよく遊び、頑張っている。

ならば、帰宅してから夜、そして朝、保育園に行くまでは、可能なかぎりおっぱいをあげたい。

私のおっぱいが出る間はできる限り長くあげたい。


それが私とダンナが決めたことだった。(ダンナは「あなたが大変じゃなければいいんじゃないー」というスタンス。笑)


それについて、実の親や親しい友人さえ何も言わないのに


たった5分前にあったような赤の他人のあなたに・・・


なぜ決められなければならないのか。笑


冗談じゃない。


しかし、子育ては誰もが経験者。みんな一家言持っているので反論しても無駄無駄無駄。


ここはにっこり笑って確実にスルー


しかし、おせっかいなばあさんだよなー。もう二度とあの薬局にはいかない。ぷんだ。