しかし時間無い悲しみ
原因と結果の経済学
教育の経済学
サピエンス全史
GRIT
7つの習慣
経済数学の直感的方法
善と悪の経済学
人工知能は人間を超えるか
人工知能と経済の未来
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善と悪の経済学
人工知能は人間を超えるか
人工知能と経済の未来
今kindle unlimitedで光文社の古典新訳文庫が軒並み無料で読めるので、大量にチェックして一日~二日で一冊ペースで読もうとしている
ラインナップとしては
ex)シェイクスピア「リア王」「ヴェニスの商人」
プラトン「ソクラテスの弁明」
ニーチェ「道徳の系譜学」「善悪の彼岸」
ガストン・ルルー「オペラ座の怪人」
マルクス「経済学・哲学寄稿」
などなど
以下要約の要約
「自分の頭で考える」
読書は他人の思考に自分の思考を委ねることなので、そればかりでは次第に自分で考える力が衰えていくことを指摘。ただ、読書自体を否定しているわけではなく
本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけ
とも言っています。
「著述と文体について」
この章では、ドイツで金儲けのために粗悪な本が出版されていき、そのドイツ語の乱れに対して辟易している。それに対して何も言わず、むしろそういった粗悪な本をありがたく読むドイツ国民と、諸悪の根源である三文文士を痛烈に批判している。(ここでヘーゲルやフィヒテは何度出てきたか分からない程批判されている。)
また、匿名批評家を「名誉心のかけらもない」と批判し、匿名の廃止を訴えている。
この章が一番長いのだが、ドイツ語についての記述が多いためです。飛ばしてもいいとは思いますが、大事な箇所も散見するのでざっと見ぐらいはした方がいいかもしれないです。
「読書について」
「自分の頭で考える」と似たような内容だが、ここでは
・人生は時間とエネルギーに限りがあるから、悪書を読むことなく良書を読むこと(ギリシア・ローマの古典を勧めている)
・「古人の書いたものを熱心に読みなさい。まことの大家を。現代人が古人について論じたものは、たいしたことはない」(シュレーゲル『古代の研究』)
・良書は二度続けて読むべき
・(真に正しく理解された)哲学は、その効果は緩やかであっても最強であり、世界を支配する力がある
といったことを言ってます。
以下感想
読書の重要性はいつの時代でも説かれているが、ただ漫然と本を読めばいいというわけではないことを鋭く指摘している。じゃあどう読めばいいのかと言えば、良書だけを反復して読み、そして自分で考えること。ここまでが「読書」なのだと思う。
所謂「ベストセラー」と「ロングセラー」とがあるが、ベストセラーであっても、長い歴史から見ればその批判を受け淘汰されてきたものは多いと思う。一方ロングセラーは長い歴史の中で多くの批判を受けてもなお生き残った本だ。そもそも紀元前の本(?)が2000年以上も読み継がれていること自体が凄まじいことだと改めて思う。
紙だと解説とか含めても101ページでとても短い。
岩波文庫だともっと格調高い感じの文体らしい(読んでないので伝聞で)が、光文社は柔らかい感じです。
なかなか耳の痛い話ばかりにも関わらず、読後のスッキリ感がいいので是非どうぞ。
個人的な考えとはあまりそぐわないですが、だからといって左翼が即ち悪の権化というのはどうも違和感を感じます
そもそも、右翼(right-wing)・左翼(left-wing)とはどういったイメージがあるのでしょうか
おおよそ一般的には
右翼:国家主義(statism)、保守主義、トリクルダウン、人工妊娠中絶反対、死刑制度存続、家族制度重視、不法移民反対、銃規制反対、etc...
左翼:進歩主義(progressivism)、社会主義(socialism)、ボトムアップ、中絶完全自由化、死刑廃止、不法移民容認、労組重視、結婚制度反対、同性愛容認、etc...
(一部アメリカの共和党と民主党の政策を入れました)
こういったところがあげられると思いますが、今日の世界における問題はこんなものではないですよね
例えば国家間の外交問題に関しても、右寄りはタカ派が多いとされますが、左寄りでも外交ハト派だけでなくタカ派もいます
あるいは「原発問題」に関して言えば、「即再稼働あるいは審査に合格後再稼働」か「現状維持で徐々に廃炉あるいは全機即停止で廃炉」でこの問題を考えるとして、これを単なる右左だけで規定出来るのでしょうか
そもそも右翼・左翼というのは相対的なものでしかなく、例えばキリスト教の特に右派や福音派と呼ばれる層はアメリカでは右翼もしくは極右と定義されています
一方で、日本においてキリスト教の思想は、天皇を象徴とした権威主義的な流れから比較的左翼に近い立場にあるとされます
そもそも経済自由主義や資本主義も、元々は左翼でしたが、資本主義によるレッセフェール(自由放任)によって、アダム・スミスの言う「神の見えざる手」がうまく機能しなくなってきた現状から生まれた社会主義・共産主義が相対的に左翼となったわけです
こういった経緯から考えるに、そもそも右翼・左翼という定義自体がもはや意味を持っておらず、単なるレッテル貼りにしか利用されていないのではないでしょうか
そして先ほどの結論と矛盾するかもしれませんが、所謂「右翼」においても、果たして右翼すなわち良いかといえばそうとは限らないですよね
例えば保守主義(conservatism)も、少し程度を間違えるとナショナリズム(nationalism)や民族主義(ethnicism)の沸騰から排外主義(chauvinism)さらには全体主義(totaliarianism)に発展する可能性だってあります
そうやってイデオロギーに限らず二項対立を煽るのはよろしくないです
大抵そんな白黒はっきりするわけではなく、中間のグレーの中で、白に近いグレーなのか黒に近いグレーなのかです
敢えて、よく言われる右翼・左翼の(極端な?)主張を例に出しますと、僕個人の思想としては、国際政治および安全保障に関しては現実主義の立場をとっているので、、国際法は簡単に破られるし、ましてや道理や倫理で平和は成り立たないと考えています
かたや竹島問題や所謂従軍慰安婦問題などで韓国という国に対しての心象は良くないですし、非常に失望しています(それとともに必要以上に韓国を過大評価し持ち上げる人も嫌いです)
しかしながら、だからと言って国交断絶だとか日米韓での安全保障での協調を無視する人も感情に流されていると思っています
右翼・左翼ではなく、あくまでそれぞれの問題に対して、どのように考えるかが重要なのではないでしょうか