修行に入っている間は、当然ながら上祐氏や賛同している人たちとの接触は直接できず、そうではない人たちとは、ファミレスで話をしたりした。私がそういう人たちと話をしたかったわけではなく、向こうから話しましょうと行ってきたのだ。そこでは上祐氏のところから離れるように行ってくるものもいた。また、修行から出たら、こういうことをしてもらうつもりだという話もあった。しかし、私は彼らと話しても、到底考えを変えるつもりはなかった。そのとき話した中で、二人は教団から離れてしまったのは、皮肉な話である。
私と話した中には、ロシアを一緒に担当していた松下もいた。彼とは極限修行も一緒に行っており、ロシア以外でも一緒の部署で活動することも多かった。東京本部、亀戸・川口の財施部、といった部署で一緒だった。
彼を初めて見た時から、「こいつはただものではない」という印象を抱いた。そして何らかの縁というものを感じた。極限修行中にいったんワークを行う時があったが、その時に初めて話をして、それから意気投合し、親しい間柄となった。
私は彼に対して強い友情のようなものを感じており、それは向こうも同様だったようである。彼は情が薄いタイプで自分でもそう言っていたが、私に対してはある種の情のようなものを感じていたようである。そして、一緒にワークをすることも多かったので、縁は強かったであろう。
ただし、あまり批判じみたことを言うのはよくないが、彼に対して感じていたことを率直に述べるならば、違う部署でたまに会って話をしたりする分には何の気兼ねもなく話ができて、落ち着いた時をすごせたが、一緒の部署だとけっこう神経をすり減らすところがあった。それは向こうも同じだったかもしれないが、私は彼に対してかなり気をつかっていたし、いろいろと指摘される事に対して、頭にくることも多かった。
彼はかなり管理をしようとするタイプで、ひんぱんにでもないが、時々は私の言動に関して指摘をしてくることがあった。特に財施部を一緒に見ていた時はそれが顕著で、その指摘は的を得ていることも多くはあったが、あまりこちらの心情を鑑みずにしてくる印象もあり、頭では理解できても内面では納得できないことも多かった。彼は特にその傾向が強かったが、教団ではそういう指導者も多く、頭ごなしに指摘されて頭にきたり、心証を害する者も少なくはなかった。教団では慈悲が大切とされていたが、そういう接し方をしていた人はどれだけいたかといえば、疑問を感じざるを得ない。
私は彼に指摘されたことにたいして、ほとんど反論しなかった。それは一番大きな要因として、財施部もロシアも、指導をしていくのに大変であり、ここで内輪もめをしていたら、周りに悪影響を与えてしまい、それは避けなければならないと考えたからであった。そこで私は色々と指摘されてもそこで言い争ったりせず、周りの人たちがきちんと修行できるように気を配るようにした。彼がきちんと管理し、私が緊張をほぐす役割を担おうと考えた。それがうまくいったかどうかはともかく、財施部でもロシアでも、比較的多くの人たちが修行に取り組んでいけたと思う。ここで内輪もめをしたり、私も一緒になって締め付けを行っていたら、大変なことになっていたのではないかと思う。
それはそれでよかったのだが、私の抱えていたストレスもかなりのもので、ストレスを解消させるために好き勝手に行動する部分もあったが、それが松下には気に入らず、また私に指摘をしたり、管理をするようになり、それで私はストレスがたまるという悪循環でもあった。一例をあげるならば、私は外部の情報を取り入れるようにしていたが、それが彼にとっては許されざることであり、そのことを何度か指摘された。他にも私が教団の戒律に触れることをしているのがわかると、それをとがめることも何度かあった。
教団の決めたことに従えないのは私に問題があり、それは指摘されても仕方ないかもしれない。ただ人間は正論を言われても、それに従えない場合も多々ある。彼にはそこのところがあまりわからなかったようである。人間は理屈だけで動くものではなく、感情で動く要素も大きい。彼は感情を極力押さえつけてきたので、そこが正確には理解できていなかった。
それに言い訳をするようだが、好き勝手にやっていたのは私だけでなく、多くの指導者は1995年以降からかなり好き勝手にやってきていた。教団以外の情報を取り入れたり、外食をしたりするのは戒律違反だが、それをしている指導者やサマナなど、掃いて捨てるほどいた。今はもっとひどくなっているだろう。組織を運営していくにはある程度の決まりというのは必要だが、あまりきつくやりすぎても組織は硬直してしまうものである。
話が脱線してしまったが、ある日松下が私を外に連れ出して、色々と話をした。その時は私も久々に彼と話ができて嬉しかったし、なごやかな雰囲気で話をしていった。話の終わりごろ松下が「あなたが正大師とつながりがないということを正悟師(二ノ宮氏のこと)に話しておくよ」ということを言った。
その時私も適当にその発言に同調しておけばよかったのかもしれないが、それは自分自身を偽ることになると感じ、しばらく黙っていてから「いや、そうしてくれなくてもいいよ」と言った。それまで彼はにこやかな表情をしていたが、私がそういったとたん、明らかに強張った表情になった。松下にしてみれば、松本死刑囚の流れを汲む松本家の意向から離れることは、絶対にできないことであろう。彼はいまだにalephの中心となっている。能力もあり、修行者としての資質もあると思うが、いまだに呪縛から解き放たれていないことが残念である。最も向こうからすると、私など救いがたい魔境であるのであろうが。
こういったことは、二ノ宮氏自らも行うことがあった。ある日二宮氏が八潮の施設に来て、私を外に連れ出した。車で20分くらいのところにあるカラオケに連れて行かれた。そこには他に数人のサマナや師がいた。そこで歌ったり、食事をしたりした。これは二宮氏は時々行うことで、私に言うことを聞かせようと思ったのだろう。
上祐氏や賛同者の悪口を言われたりもしましたが、私は上の空で聞いていた。カラオケではしっかりと歌ってそれなりに楽しんだが、二宮氏の言うことを聞く気には到底なれなかった。
無理やり修行に放り込んだり、懐柔しようとしても、人間が本当に信念を持ったら、それを変えることはできない。それをできると思っているならば、人がどういうものかをまるでわかっていない。