先日ブログ投稿した町名看板の時に、町名看板は大きく分けると琺瑯製と非琺瑯製の二種類あって、さらに「鶴源」さんの紺・青の看板と「大宮西ロータリークラブ」さんの緑の看板に分類される事を書いた。

 


設置時期については「1960年代から2000年までの間」とかなりざっくりな期間にしておいたけど、今回はこの期間をもう少しハッキリさせよう! と思い、ヒントが多そうな鶴源さんの紺・青看板に注目してみることにした。

以前の町名看板の時にも書いたけど、鶴源さんの看板については、本社や部署の記載内容がいくつかのパターンに分かれてて、たぶん以下の6種類になるかと思う。

 

卸部 東大成町 42-3785
小売部 銀座通り 41-7001
事務機部 東大成町 42-2605
文具 事務用品 スチール家具 事務機械



※部署の町名前にそれぞれ「大宮市」がつくパターンもあり



卸部 大宮市盆栽町 42-3785
小売部 銀座通り 41-7001
事務機部 東大成町 42-2605
文具 事務用品 スチール家具 事務機械



大宮市東大成2丁目
大宮駅ビル5階
大宮市銀座通り
文具・事務用品・各種事務機




卸部 盆栽町
事務機センター 東大成町
大宮西武7F
駅ビル5F
ボールペンから電子計算機まで



本社 大成町4丁目
小売部 大宮西武7F 駅ビル5F
ボールペンから電子計算機まで




本社 大成町4丁目83番地
ボールペンから電子計算機まで



こんな感じに。

 

これらの住所や電話番号から調べられないかと思い、鶴源さんの企業情報をHPで調べてみよう……と思ったけど、そもそも鶴源さんのHPが見つからない。

 

「全国法人リスト」で検索してみても出てこない。

企業自体がもう存在していないようだった。

 

※鶴源さんから部署独立されたであろうツルゲン情報(株)さんや(株)カネゲンさんのHPでは、鶴源さんの社名自体は見付ける事が出来ましたが、鶴源さん本体の沿革等は載っていませんでした。

そこで『国立国会図書館デジタルコレクション』で色々と検索してみたところ、鶴源さんは町名看板以外にも過去に雑誌等で広告を出されていたようで、いくつか見付けることが出来た。

 

 

まず、見付けられた一番古いであろう広告が、1963年の『埼玉年鑑』の以下の内容。

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本店 大宮市銀座通り 41-7001
卸営業所 大宮市東大成町 42-3785
三菱のスチールデスク・書庫ロッカー・ネコスの椅子

昭和39年版,埼玉新聞社,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/2984896
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この時にはまだ文具等を扱っていない。

町名看板の時より前なのかもしれない。

次に1964年の『埼玉年鑑』の内容。
 

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卸部 大宮市東大成町2-206 42-3785

事務機部 大宮市東大成町2-206 42-2605

本店小売部 大宮市宮町1-59 41-7001
ぶんぐ、事務用品の総合商社

昭和40年版,埼玉新聞社,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/2984897
-----------------------------------
 

ん? これって①の内容に近くないか?
町名看板と埼玉年鑑の内容をそれぞれ並べてみると。

■卸部
看板:東大成町 42-3785
広告:大宮市東大成町2-206 42-3785

■(本店)小売部
看板:銀座通り 41-7001
広告:大宮市宮町1-59 41-7001

■事務機部
看板:東大成町 42-2605    
広告:大宮市東大成町2-206 42-2605

キタ――(゚∀゚)――!!

ビンゴ!!
 

ちなみに小売部があった「銀座通り」は、大宮駅の東口ロータリーから大栄橋までの通りの事で、って地元の人なら当然知ってる話だけど。

 

 

宮町1-59は現在のミニストップ 大宮東口店さんの場所だからすべてマッチング。
①の町名看板については、1964年の時点の鶴源さんの広告で間違いないと思う。

その次は、1967年の『東日本六〇大都市文房具・事務機器・紙製品・印章用品業界名鑑』より。


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本社卸部 大宮市盆栽町458 42-3785
事務機部 大宮市東大成町2-206 42-2605
小売部本店 大宮市宮町1-59 41-7001 
文具・紙製品・事務機器・卸

 

日本文具新聞社,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/2518812

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お? おおお!?

これは②に近いんじゃない!?

さっそく同じようにそれぞれ並べてみると。

■(本社)卸部
看板:大宮市盆栽町 42-3785
広告:大宮市盆栽町458 42-3785

■小売部(本店)
看板:銀座通り 41-7001
広告:大宮市宮町1-59 41-7001

■事務機部
看板:東大成町 42-2605
広告:大宮市東大成町2-206 42-2605

(゚∀゚)キタコレ!!

やっぱり!!
②に関しては1967年の情報が反映されてる!

そして次は1972年の『埼玉年鑑』で。


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本社・卸部 大宮市盆栽町458 64-3785
西武店 大宮西武百貨店7階 41-7001
駅ビル店 大宮ステイションビル5階 43-1685
(他にも本庄店や浦和店などの記載あり)

株式会社カネスツ 大宮市東大成町2-206 42-2605
(カネマツの誤植? 鶴源グループとして記載)

 

昭和48年版,埼玉新聞社,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/9640817

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これは是非とも④と見比べたい。

■本社・卸部 
看板:盆栽町
広告:大宮市盆栽町458 64-3785

■事務機センター
看板:東大成町
広告:株式会社カネスツ 大宮市東大成町2-206 42-2605
※ツルゲン情報(株)さんのHPに【1972年 (株)ツルゲンの事務機部門を分離し(株)カネマツを設立 】の記載あり

■西武店
看板:大宮西武7F
広告:大宮西武百貨店7階 41-700

■駅ビル店
看板:駅ビル5F
広告:大宮ステイションビル5階 43-1685

これは同じと言って良いんじゃない? ダメかな?

いや、もう④は1972年で良いでしょう。

そして今度は1976年の『埼玉年鑑』を見てみる。

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本店 大宮市大成町4-83 67-1111
各支店 事務機センター(他数店舗の記載あり)

 

株式会社文具のプラス(西武店・駅ビル店)
※鶴源グループとして(他数店舗の記載あり)

 

昭和52年版 本編,埼玉新聞社,1976. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/9641263
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このあたりになると⑤や⑥が該当してくるんじゃないかな。

 

■本社(本店)

看板⑤:大成町4丁目
看板⑥:大成町4丁目83番地

広告 :大宮市大成町4-83 67-1111

 

■小売部

看板⑤:大宮西武7F 駅ビル5F
広告 :株式会社文具のプラス(西武店・駅ビル店)

 

この頃には本社以外はグループ会社(カネマツ・文具のプラス)になっていて、⑥の頃になると本社のみの記載になる。

 

なおこの後の『埼玉年鑑』の1981年広告までは【鶴源】名義だったけど、1982年ではカタカナの【ツルゲン】へと社名が変更されていた。

 

以上のように、鶴源さんの情報をもとに旧大宮市内に遺る町名看板の設置時期を調べてみたが、おおよそ1964(昭和39)年頃から、遅くても1981(昭和56)年頃までに設置された町名看板と分かった。

 

※国立国会図書館デジタルコレクションの資料については「著作権保護期間が満了していない資料」に該当するため画像等は貼付しておりません。利用者登録を行えば自身の端末でも閲覧可能になります。読みづらくてすいません。。

 

ちなみに琺瑯製の町名看板については「本社=東大成2丁目、または盆栽町」になっていて、①~④の期間(1964~72年)に集中していた。

非琺瑯製については、ほとんどが「本社=大成4丁目」の⑤以降の看板になっていたので(数枚は「本社=盆栽町」もあったが)、1976年以降に設置されたのだろう。

 

 

こんな感じでかなり個人的な検証となるので、どこまで正解に近づけたのかは分からないけれど、自分としては充分に納得し、大いに満足出来る結果だと思っている。

 

まあ、自分に甘い評価だとも思っているが。

 

 

旧大宮市内で見付けることが出来る町名看板は、古いものであれば設置からすでに60年も時が経過した看板だった。

 

今後も新しい建物が建ったり、道が広く整備されることによって、どんどんと消えてしまう旧大宮市の名残だけれど、これからも懲りずに町名看板を、そして旧大宮市を探していこうと思う。

 

ではまた。