ここから始まる18町(2km弱)の氷川参道の入口に建つ一の鳥居。

 

 

その鳥居脇に建つ「武蔵国一宮」の標石。

この標石は、氷川神社HPによると享保7(1722)年に奉納されたものらしく、現存する石造遺物の中で最も古いものだそうです。

 


木が生い茂って見づらいですが、標石左側には確かに「享保七年二月吉祥日」と刻まれていました。

 

ちなみに標石の右側面には「是より宮迄十八町 裏大門すぐ道あり」との文字が。

 

こちらは日光が上手く当たっていないのでさらに見にくい。

 

Google マップの口コミに凄く詳しく書かれてありましたので、こちらを見れば分かりやすいです。

 

 

ところで、この標石正面の「武藏国一宮」の文字は、こちらの場所に設置されている石碑の文字と似ている。


 

 

向かって左側の石碑が該当の石碑。

 

一の鳥居の方の標石はググるとたくさん情報が出てくるのに、こちらの石碑については調べ方が悪いのか、まったくと言っていいほど情報が出てこない。

 

並べてみてみるとやっぱり似ている、気がする。

 

また、正面の下部の文字を独自に解読してみると

「是より宮、二町 裏大門鳥居ヘ出ル」と読める気がする。

 

一の鳥居の標石にも、氷川神社までの距離に関する文字が刻まれていた。

共通点もあるので、もしかしたらこの二つの石碑は実は同じ頃に建てられた石碑なのかも。

 

そう思って石碑の右側を見てみたらあっという間に答えが分かった。

こっちにも「享保七年二月吉祥日」って刻まれてる!!

 

また、石碑の左側の下の方には、

見づらいけど「宥寛」との文字があり、一の鳥居の標石についての口コミにも同じ僧の「宥寛」の記載があったとの事なので、まあ間違いなく同じタイミングで建てられた石碑なのだろうと思う。

 

まあ、個人的な意見ではありますけど、この二つの石碑を一緒に説明しているサイトなどを見たことが無かったのでとりあえず。

 

ちなみにこの石碑の右隣には松尾芭蕉の句碑が建っています。

「空蝉や 沙羅双樹の 花のいろ」の句とともに、沙羅の木や百日紅の木が植えられているようです。

 

もしかしたらこちらの石碑の方がまだ知られているのかもしれない。
 

ではまた。