今週の一枚は「田植え終わり」



こうやって改めて見ると、なんとも規則正しく美しい光景なんだろう。



ここ以外の田んぼにも田植えをしてるが、本当はこんなに米を作る必要はない。



なのになぜ、自分たちが食べる以上のお米を作っているのか?



それは各地にいる親戚にお米を贈るためだ。もちろんお金なんて貰ってないし、頼まれてるわけでもない。ただただ、都会にいる親戚に無料で美味しいお米を贈って食べてもらいたいからだ。そのためだけに両親はたくさんのお米を作っている。



父親は右腕を麻痺してて、箸もまともに持てなくなってる。それでも田植え機に乗って、暑い中、田植えをしていた



俺の両親はそんな事をもう何十年も続けているのだ。



その結果、両親はどうなった?



毎年、みんなから感謝の言葉を貰い、そしてみんなから健康を願われる人間となった。



昔、夜中に大きな地震があった時に家の電話が矢継ぎ早に鳴り響いた時があった。夜中なのにだ。



それは、都会にいる親戚たちからの両親の安否を気遣う電話だった。



その時、俺のLINEには俺の安否を気遣うLINEはあったのか?



もちろん誰からも連絡はない。だって、俺のLINEには誰の連絡先も入ってないから。いや、誰かの連絡先が入ってたとしても、誰も俺を心配する人はいないだろう。



なぜなら、俺がそんな生き方をして来たからだ。



両親は人の喜ぶ事を長年続けて来たから、人に真っ先に心配され、そして愛される。



なんだ、簡単なことだ。



まず、人を先に愛して、人のためになる事を長年し続ければいいだけだ。



人に愛されるとは簡単な事だった。



でも、簡単な事がなかなか出来ないんだよなぁ……



両親も人に愛される為にしたわけじゃなく、都会だから米を買うにはお金がいる。だから、田舎にいる私たちが無料で送ってあげよう!



最初はこんな思いからだっただろう。



しかし、父親は体が悪くなった今でもそれを続けている。



ここが普通の人なら難しい。



俺が体が悪くなったら、米を作るなんてアッサリと止めるだろうな。店でお米を買う方が安く手に入るし、体に無理して米を作る必要など何もないからだ。



まず、自分第一だ。自分の心や体が大事。人の為に自分がしんどい思いまでして、お米を作り、無料で贈るなんてしない。



しかし両親はお米だけじゃなく。自分たちから離れた孫にまでお金とお米を最近まで送っていた。戸籍から離れた孫にだ。戸籍から外れたら普通は音信不通となり何も送らないのが世間一般の常識だと思う。しかし俺の親は「自分たちの孫には変わりないから」と言って、最近までお米とお金を送っていた。しかし向こうから何も反応が無くなり、さすがにこれ以上何かを送るのは相手に迷惑になりかねないとなって送るのは止めたみたいだ。

 


凄いな。俺の両親はどんな精神構造をしているのだ?



損得をあまり考えないのか?それとももっと深い考えがあって、長い目で見て自分たちの得に繋がると思っての行動なのか?



いかん、いかん!



俺はこんな考えだから、人に愛されないんだ。



だから、孤独なのだ。



人が孤独になるのは、決して孤独に選ばれたわけではなく、自分から孤独を選んでいるのだ。



人は「孤独になった」



ではなく、



自ら「孤独を選んだ」が正しい。



これに気付いた俺は今日から始めねばならん。



今日から人の為になることを。



それは遥かに長い道のりで、決して両親には追いつけない道のりだ。



でも人生は1人で孤独に生きるより、誰かと一緒に生きる人生の方が遥かに楽しいと思う。




たった1人でもいい。



 

たった1人でも、人に心配される人生を歩もうと思った今週の一枚



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