最近はYouTubeで子犬や子猫の動画を見ると胸がキュンとする。



TikTokでは検索してないのに、捨て犬や捨て猫の動画ばかり流れてくる。



多分、AIの判定により見てる動画の時間の長さによって、それ関連の動画がオススメとなり流れるようになるのかな?知らぬ間に子犬や子猫の動画に釘付けになってたのかも知れない。


人間の赤ちゃんの動画も可愛くて、熱心に見てしまうし、これは俺の中に眠ってた母性が溢れ出してるのかも知れない。



この前はTikTokで目の開かないような子猫が一生懸命に哺乳瓶にかぶり付いてる動画を見て「お世話したい!」と思った。これが母親の気持ちか。



「私がいなきゃこの子は死んでしまう!絶対に守る!」



こんな気持ちだ。



でも、やはり生き物の根底には「生きる!」という強い命令が刻み込まれているんだな。だって、どんなに心では人生を諦め死にたいと思ってても、お腹が減ればお腹は鳴るし、体は真っ直ぐに食べ物を求めるわけだから。



だとしたら、生物としての絶対的に正しい答えは「生きる」ということが正解なのは間違いない。



もちろんこれは本人の意思とは関係ない答えだ。体が生きるという方向にしか向いてないという意味での生物的な正しい答えだ。



だから、産まれたばかりの子猫や子犬は生きるために必死だ。目の前の敵か味方かも分からない生物にさえ、生き抜くために必死に甘えて餌を貰おうとすがりつく。



そんな姿を見て、男である俺の心の中にも「キャワワ!!!」と思う母性が溢れ出すのだ。



思えば俺も昔から犬を飼いたかった。



小学校の帰り道に出会った捨て犬のコロ(仮名)を自分のペットにしたくて、子供の足では長距離である4キロという長い道のりを、給食の残りのコッペパンで餌付けしながら帰ったあの日。


濃密な4キロの道のりの道中で、コロ(愛犬登録予定)との心の距離はグッと近づき、俺の家の前に着いた時にはもう絶対に離れられない二人の絆が築き上げられたと思ってた刹那、コロ(どうしてなの?)は俺のふくらはぎに噛みつき、俺の方を振り返りもせずに素早く逃げたのだ。



長い道のりで芽生えた二人の熱い想い、グランドキャニオンよりも深い深い絆、そしてサーモンピンクのような甘美な思い出が何もなかったのかのような本気噛みだった。



その後の俺は一人で泣いたね。



大人になればもっとドロドロとした裏切りがあるのは分かってる。しかし、小学校低学年での、このちびっ子ジョージに対する容赦なきこの仕打ち。



大人の世界のようなドス黒い裏切りを教えるにはまだ早すぎないか?



コロ?コロよ。コロったらねぇ?どうしてなの?



まるで、県庁所在地から離れたところにある寂れたキャバクラのキャバクラ嬢みたいな雑な仕打ちじゃないかい?



観光客でもう店に来ないと分かった途端にLINEブロックするんじゃなく、もっと未来ある夢を見せておくれよ…



俺はあまりの衝撃で、この出来事から犬が怖くなってしまってた。



でも、まだ諦めてないんだ。犬を飼うことを。



今度はちゃんと子犬から育てたい!簡単に抜け出せないように贅沢な餌で贅沢漬けにし、さらに人間様の圧倒的な立場によって服従させてから、愛情いっぱい育てたい!



……まぁ、俺がこんな闇ブローカーのような気持ちを持ってる人間だからコロ(幻の愛犬)は逃げたんだろうな……



でも、今の心が枯れてる大人の俺でも子猫や子犬に対して「お世話したい!」「育てたい!」「守りたい!」こんな気持ちが芽生えるなんて、やはり動物の赤ちゃんの可愛さは半端ないんだな。



しかし、本当に全ての赤ちゃんの心は純真なのか?もしかしたら、大人顔負けの駆け引きの心もあるのではないか?



俺が可愛いだけの気持ちを持って、絵画にもならないジョージの微笑みで子猫や子犬に哺乳瓶でミルクを与えてると、



「コイツ、いつも長ったらしく小難しいナルシスト全開の文章を書いて「俺は寂しいと思う心が無い」とかクールを気取ってるくせによ、1人でキモい笑顔で俺にミルク飲ませてるよ。お前の文章なんてほとんどの人は読んでないよ。いいね貰って喜んで、すぐにいいねを返してるけど、お前の文章を読まずにいいねだけを押してる人がほとんどだぞ?お前の文章なんて一般受けなんてしてないの!まぁこうやって無邪気にミルク飲んでりゃ、世間知らずの単純馬鹿のジョージがアホ面晒して俺を大事にしてくれるわけだから、しばらくは我慢して懐いてるフリでもしてやるか…」



イタタ、自分で書いてて心が痛い。



でも分かってる。改めて言われなくても十分分かってるよ。いいねが来たら、すぐに一生懸命にいいねを返してるけど、ほとんどの人が俺の文章を見ずにいいねだけを押してくれてるのは分かってる。



でもね、いいねを押すのにも労力がいるじゃないか。



だから、文章を読んでくれてなくても俺は感謝の気持ちでいいねを返してるだけなんだよ。



しかし、もし、子猫や子犬がミルクを飲みながらこんな事を思ってたら、どうしよ…



でも、人間以外の生物の思考はかなり単純で、間違いなくこんな事は思ってはいない。それどころか、最近ニュースになってたが「死」さえ認識してないのではないか?と記事に書いてあった。



5/21のYahooニュースで、京都大学の研究グループが野生の霊長類では初めて、死んだ個体との交尾行為をタイに生息するサルで観察したと発表したのだ。


この研究グループによると、ベニガオザルのメスの死体を偶然発見して、他の個体がどのような反応をするかを3日間観察した結果、3頭のオスが死体と交尾する場面を4回確認したという。


これはどういうことかというとベニガオザルには「無抵抗で横たわっている状況」が「死んでる」に結びついていない。つまり「死の概念」がないのではないか?ということなんだそうな。



昔、ネパールでの世界最大の生け贄の祭り「ガディマイ祭り」を、たまたま動画で見てしまった時があったが、この時は20万もの動物が殺されていた。しかし、目の前で仲間のヤギが首を切られて死んでいってるのに、真横で呑気に草を食べてるヤギを見て「次は自分の番だと怖くならないのか?」そう思った記憶がある。



人間ならありえない行動だ。その時まで人間に飼われていたわけだから、人間に対して恐怖心を持ってないのは分かるが、目の前で仲間が殺されていってるわけである。人間なら、絶対に恐怖心が芽生え逃げ惑うはずだ。この事例から考えると、動物の心には人間のような繊細で高度な心など存在してないと思われる。



だから、動物の赤ちゃんは心から俺を必要としてくれて頼ってくれると思うのだ。



だから、いつか子犬か子猫を育てたい。



でも、必死に哺乳瓶にかぶりつく子犬や子猫を見てて思うんだ。



俺は周りの人に負担をかけるのは迷惑でしかないと思って生きて来た。でも、人を助けたい!お世話したい!そうすることが喜びに繋がる人がいることを今は知った。


俺も人の迷惑になる事を考えず、必死に他人を必要とする人生を過ごしてたら、もしかしたら子猫や子犬のように他人から愛される人生もあったのではないかと思うのだ。



「こんな夜更けにバナナかよ」という映画では、難病の筋ジストロフィーを患い、動かせるのは首と手だけの主人公が周りにワガママし放題の映画だったが、それでも周りのボランティアの人たちから愛されていた。


それは主人公が自分の心を着飾らず、素直な心のままで周りに接してるからである。病気で自分だけでは生きれないから、遠慮なく周りを必要としてた。



俺は五体満足だし、この先両親がいなくなり、一人になっても周りに迷惑をかけずに生きて行けるだろう。



でも、それは逆に悲しい事で人との繋がりを得られない可能性が高いということでもある。



俺も赤ちゃんの時は必死に母親を求めて泣いてたのにな…



一番人間らしくて愛される行動を、大人になるにつれ忘れて無くしてしまった。




大人は人に愛されたいと悩んで苦しむが、本当は生まれた時に、すでに人から愛される答えを持って生まれて来てるのだ。